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『星のように離れて雨のように散った』

<2021年9月15日執筆>

 ちょうど金木犀の花が咲き始めて、どこからともなく高貴な香りが漂っている季節に私はこの文章を書いている。気がつけばあれほど忙しなく鳴いていた蝉の声も収まり、代わりに柔らかい草木の匂いが立っている。

 この時期、中編小説を書いている真っ最中だったわけだが、不思議と片手間で本を読みたい熱が沸々と湧き起こり、新橋駅からほど近い本屋さんに立ち寄った。しばらくウロウロした後、ふと一冊の本を手にとる。──早朝の7時のことである。人の姿は、まばら。

 本記事のタイトルは、今回紹介する書籍名をそのまま持ってきた。自分で考えようと思ったけれど、これ以上適当な言葉が思いつかなかったんだ。

 これまではどちらかというと私は図書館で本を借りることが多かった。たぶんこれからも。それでも衝動的にお金を払って購入して、ハードカバーのずっしりした重さを確かめたくなってしまう。これは正真正銘、私の本だ。

 美しい装丁。島本理生さんの『星のように離れて雨のように散った』。同作者の作品で私が読んだことがあるのは『ナラタージュ』のみ。いつ読んだかは忘れたけど、その当時うまく私の抱いていた感性のカケラと合わなくて、それから作品を手にとることはなかった。

いつも世界が終わる前日のようだった。(p.66)

 改めて今回本作を読んでみて、なんて美しくてなんて不器用な主人公なんだろうと思った。そう、彼女は一見うまく世の中を渡り歩いているように見えるのに、実は溺れそうになって息ができない状態になっていた。宮沢賢治の未完に終わった『銀河鉄道の夜』に惹かれて、自分の中の幻影を求め大学でも研究に没頭していた。

 人には、それぞれ異なる神様が住み着いている。

 物心つく頃に父親が失踪した過去を持つ主人公。彼女は、無意識のうちにまた傷つくことを恐れているように見えた。言葉がいかに大切であるかも同時にわかっていて、容易な形で口にすることを拒んでいる。

 言葉って、人を喜ばせることもできるし気をつけて扱わないと時に相手を深く傷つけてしまう。時々、言葉が無ければもっと楽に生きることができるかもしれないなと思ってしまうことさえある。

言葉は少ないほうがいいし、愛は語らないほうが何百倍も尤もらしい。(p.27)

 他の人のことをとやかく言えるのに、自分のことになると途端に盲目的になる。自分が、わからなくなる。何をしたいのかどこへ向かって歩いているのか。

 私はついつい、間違ったことをしてしまった時に今までにないくらい饒舌になる。何かから逃げるように。明確な拒絶を避けるために。言葉は相手にはっきりとした意思を伝える上では便利なのだろうけど、反面自分の誤りを覆い隠すものであるのかもしれない。

 国によっても印象が違って、海外だと平気で「Love you」って言ったりするけど、日本語で「あなたのことを、愛してる」なんて言うのは照れ臭い。どちらも同じ意味のはずなのになぜか受け取りの深刻さが違う。不思議だ。昔の侍が「切腹する」くらいの覚悟を持たないと、なかなか口にできない。

 夏目漱石は「月が綺麗だ」と表現したことは国語の教科書にも載っているくらい有名だけど、それくらい日本人は言葉の持つ力を重視したし、比喩を使うことによってよりムーディな雰囲気を醸し出させることに成功したのかもしれない。

 さて、この読書感想文がどの着地点に向かっているのかわからなくなってきた。終わりに向かっているように見えてももしかしたら始まりの地点に戻ってきているのかもしれない。

 本を読み終わった時、物語は終わったのに何かが自分の中で始まった気がした。言葉の持つ重み、自分の思いが少しずつ私の体の中でひとつの形になっていく。

 時に人は結論を急ぎすぎてついつい相手の気持ちを考えずに先走ってしまう。自分の気持ちと相手の気持ちが通じ合っていると考えてついつい押し付けがちになってしまう。

(君の意志は、ここにある…はずだよ)

(いえいえ、もう少し落ち着いて)

 貴方も私も、違う人間。一見気持ちが通じ合っているように思うのは、ただの錯覚。自分のことを自分でもわかっていないのに、なぜ貴方が私のことを分かったような素振りを見せるのか。

 ああ私も不器用な人間だったのか。

 少し、深呼吸をして流れゆく星を眺める。ただ、眺めるだけ。

*

 読み終わった時に、唐突にadieuの「ナラタージュ」を聴きたくなった。


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