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世界に羽ばたく『EDAMAME』

酒の肴といえば枝豆。

枝豆といえば夏の肴!ビールと枝豆最強!

というように夏の肴というイメージの人が多いと思いますが丹波の黒豆枝豆のように秋に採れる枝豆もあります。
丹波の枝豆を食べて以来、自分にとっての枝豆の旬は丹波の枝豆を食べる秋だったりします。

そして
「枝豆と一緒に飲む日本酒が最強!」
ですw

そんな酒の肴ランキングのトップに入る枝豆は冷凍食品でも売られている程にのん兵衛にとって欠かせない肴になっています。

では、枝豆が日本で食べられるようになったのは、いつ頃からかというと、はっきりとは分かっていません。

縄文時代の遺跡から、ツル豆やリョクトウなどの小さなマメは多く出土していますが、大豆のような大きめの豆の出土されていないので、縄文時代には大豆は日本に入って来ておらず枝豆は食べられていなかったのは確かです。

大豆は、弥生時代に稲作と一緒に朝鮮半島を経由して日本に伝わったと考えられているので、弥生時代から枝豆が食べられていた可能性もあります。

が、これも可能性だけで確固たる証拠はありません。

平安時代には食べられていたらしいという説があり、文献に登場するのは鎌倉、室町の頃からになります。

そんな枝豆が日本中で広く食べられるようになったのは、やはり江戸時代の中期以降。

江戸時代の文献には、

「夏に枝豆売りの姿が町でみられた」、「大豆をサヤ葉の柔らかいうちから食べた」

などの記述が残されており、また、江戸時代の歌舞伎や浮世絵にも、枝豆が描かれていることから、枝豆が庶民に親しまれた食べ物であったことが分かります。

そんな枝豆は、かつてはアジア圏だけで食べられていました。
枝豆は、お酒の肴としてもぴったりであることから、さらに広く食べられるようになったと考えられます。

アジア圏で広く食べられていたのならヨーロッぱはどうだったのかというと、未成熟の大豆を茹でたりして食べるという発想が思い浮かばなかったのか、欧米では食べられていませんでした。
あの、古代ローマ時代でも枝豆を食べていたという記録や文献はありません。

そんな枝豆は、いまや『EDAMAME』としてアメリカを始めとした世界で食べられるようになりました。

その要因となったのが、990年代後半からの日本食ブーム。

日本食の人気が高まるにつれて、枝豆も世界中の人々に知られるようになったのです。
お酒の肴としてぴったりなことから、海外でもビールやワインなどのお酒と一緒に楽しまれています。

どこの国でも酒の肴としての優秀なのですねw

また枝豆は栄養価が高く、低カロリーな事から欧米ではスーパーフードとして認知されスーパーや専門店で販売され、くた枝豆を使った料理やお菓子も人気を集めています。

このように、枝豆は、日本を代表する食材として、世界中で愛されています。

枝豆はアジア圏で食べられているのに日本食ブームと共に日本の料理として欧米で認知されたのは中々に面白いですね。

色々な理由がありますが、四季折々の食材を楽しむ日本食の魅力の力がおおきかったのかと思います。

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