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2月のプラネタリウム

今年の三月に退職をしてから
スピッツの「スワン」という曲を一人で繰り返し聴いている。

【星空を見るたびに思い出す さよならも言えないままだった】

今年に入り、もう何回聴いただろうか。
ただひたすらにその曲を聴き、私はそっと目を閉じる。

 
 
 
 
 
 
 
私はかつて障害者福祉施設で、正職員として働いていた。

その施設は生まれつきもしくは人生の途中で何らかの事故や病気の影響で
身体か精神か知的に障害を持つ
18歳以上の方が利用者だった。

 
その施設は日曜日と祝日が休みで
月曜日~金曜日は作業を
土曜日は行事を行っていた。

 
作業の種類は下請け作業や自社製品を作成するだけでなく
外部に清掃・除草作業に行ったり
喫茶店を営業したりしていた。

 
土曜日は年間行事が前もって決められており
4月は花見
5月は外食……といった形で
毎年恒例行事がいくつかあり
必ず毎月一回以上、どこかしらに外出していた。

大きな行事が入っていない他の土曜日は、室内レクを行ったり
散歩に行ったりと
行事企画担当職員が職員体制で決めた。

 
基本的にパートさんは月~金曜日勤務で
正職員は月~土曜日勤務であった。

パートさんは最低月一回は土曜日勤務だが、任意なので
出勤しない人は全く出勤しないし
月一回勤務できなくてもペナルティがないし
出勤する人は月三回は出勤していた。

 
 
正職員は基本的に月に二回、土曜日勤務であった。

振り替えは派生しない。
こちらも原則月二回なので
月二回勤務しなくてもペナルティは特にない。
出勤できなければ有給休暇を消化すればいい。

 
 
土曜日の行事は比例する。

面白かったり、盛り上がる行事であればあるほど
利用者は参加するし
利用者が参加すればするほど
職員の確保が必要である。

土曜日に外出する場合は
室内レクの1.5~2倍の職員を確保することが望ましい。 

   
利用者は基本的に月~金曜日に施設を利用し
土曜日に利用するか否かは任意であり
前の月か前々の月に、土曜日の行事内容を発表し
申し込み用紙を配った。

 
それを集計し、利用者の出席状況に合わせて
土曜日のシフト表を作成した。

と言っても
パートさんは土曜日勤務を嫌がったし、任意であったし
正職員も有給休暇消化をすればいいだけなので
土曜日の職員確保は悩ましかった。

「その日は用事があります。」

正職員であろうと
そう言ってしまえばそれまでだ。
困るのはシフトを組む担当職員と、現場支援に入る人だけだった。

 
 
人手が足りないから協力的な職員はいつも同じ人で
職員体制が整わなければ
支援時に問題が起きやすい。

 
問題が起きた際
施設側や保護者から責められるのは
有給休暇消化をした職員ではなく
週6勤務を快く引き受けた職員ばかりだった。

  

 

どの土曜日に勤務できるかを問われた際
社会人一年目の私はバカ真面目に
全ての土曜日営業勤務を申し出ていた。

 
 
働きだした頃、同期がいなかった私は
振り替えや有給休暇制度がいまいちよく分からず
学校と同じように、仕事は原則的に休んではいけないと思っていた。

土曜日に人手が足りないことはよく分かっていたし
新卒を基本的にとらない施設が
私を特別に採用してくれた恩もあり
私はバカ真面目に 
土曜日全て勤務は致し方ないことだと思っていた。

 
上司が休んでいようと
他に休んでいる正職員がいようと
私が尊敬していた正職員は皆土曜日勤務に協力的だったし
私はそんな正職員の背中を見ていた。

 
だから入職した4月に14連勤が早速あったし、週6勤務も普通だったし
毎月毎月、他の職員より土曜日勤務をしていた方だった。

 
あの頃はまだ、人手不足といってもかわいいもので
職場内の人間関係は穏やかな方だったし
私は新米で施設の行事の準備や参加が楽しかったし
そんなに休みがなくても
特に不満ではなかった。

 
不満であったのは、当時遠恋だった彼氏くらいだ。

彼氏は私と同じく、社会人一年目だった。
私の給料は研修医だった彼の1/3だったが
研修医の彼よりも忙しく
仕事を理由にデートを断ったり
彼の家でさえ仕事をしていた。

 
「俺と仕事、どちらが大事なの?」

 
そう彼に問われる始末だ。
普通は女性側が言う台詞だと思うが、実際私の方が働く日数や時間が長かったのだから仕方ない。

 
「優先すべきは仕事。」と私は答えていた。

 
念願の福祉職で本命の施設で働いていた私は
恋よりも仕事を優先した。
学ぶことはたくさんあったし
入職して半年後に新規事業二つの責任者に任命された私は
サービス残業や休日仕事さえ当たり前だった。

 
入職した年は週6勤務で土日も自宅でパソコンを叩いていた日もあった。
私にとっては初めての監査もあったので、余計に忙しかった。

 
大学を卒業した後に専門学校にまで行った私は
早くみんなに追いつきたかった。
私の周りはほとんどの人が大卒で22歳から働いていたし
私の職場はみんな年上でベテランばかりだったので
私は私でしっかり働く社会人になりたかったのだ。

 
 
仕事の忙しさは新規事業立ち上げや職員増加から一旦落ち着く。

その施設で10年以上働いていたが
一年目は有給休暇や振り替えをとらなかったので
一番忙しかった。

時点で忙しかったのが
退職前の令和元年度…2019~2020年に当たる。 

 
サービス残業時間的には一年目の方が忙しかったし
一年目は仕事始めたてで余裕はなかったが
あの頃は、施設が平和でアットホームだった。
笑顔やあたたかさがあった。

 
だから、総合的に考えたら
令和元年度の方がハードであったかもしれない。

退職前は安定剤を服用していたし
安定剤や眠剤を服用していた職員は他にも複数人いたが
私が働きだした頃
安定剤を服用していた職員なんかいなかった。

いなかったのに。

 
 
 
私の施設は毎年8月に、プラネタリウムの行事があった。

外出行事は人手不足なので、毎年私は大きな行事は出勤が当たり前だったが
何故か一年目からプラネタリウムは人手が足りていたので、勤務日ではなかった。

 
 
プラネタリウムも出勤を覚悟していた私は
勤務しなくてもよいと言われて
ガッカリしたのを覚えている。
 
プラネタリウムは小学校の遠足を最後に
私は長らく行っていなかった。

 
出勤じゃなくなったことでプラネタリウム欲がおさまらない私は
結局彼氏とデートで行ったり、友達と遊びに行ったりしていた。

大人になってから久々にプラネタリウムに行くと
なかなかロマンチックで素敵だった。

 
友達に至っては年間パスポートを買っていた。
ディズニーランド以外で年パスがあることに私は驚きを隠せなかった。

 
 
外出行事の後は、職員同士であぁだったこうだったと話で盛り上がるし
参加した利用者も夢中になって私に話してくる。

外出行事の写真は掲示板に飾られ
みんな笑顔で実に楽しそうだ。
羨ましい。

「来年はともかさんも行こうよ。」

と、利用者は言い
私も来年こそは行きたいと思っていた。

 

 
だが、何故か次の年もプラネタリウムは私は仕事じゃなかった。

年間行事でプラネタリウムだけ、たまたま勤務日ではなかったのだ。

 
社会人二年目になれば仕事にゆとりもでてきたし、振り替えや有給も理解してきた。
独身の私は振り替えはともかく、有給は使いにくく
土曜日勤務日数が妥当なことは
本来はありがたかった。

 
社会人一年目の頃よりも貯金は貯まったし
彼氏とデートしたり、友達や家族と過ごしたり
家でゆっくりしたり
趣味を楽しみたかった。

 
仕事は仕事、プライベートはプライベートとして
私は休みを満喫するべきだった。

 
 
だが、私は仕事が好きすぎた。

もはやほぼ毎日家族より長い時間を共に過ごす同僚や利用者は
私にとってあまりにも大切な存在になりすぎた。
仕事も楽しくやりがいがあった。 

職場は私の居場所であり、仕事は私の生きがいであった。

 
 
思えば私は学校も大好きで、皆勤賞だった。

家族以外が集う組織に自分が組み込まれ
家族以外のみんなと過ごす時間が好きだった。
やりたいことややるべきことに溢れていると
私は燃えてワクワクしたし
達成感も得られて楽しかった。

忙しいことや予定が詰まっている状態が好きだった。

私はそういう性分だった。

 
昔から、夏休みのような長い休みは好きではなかった。
三連休が時折あれば十分だ。
いや、それさえ贅沢だ。

 
学生時代は習い事や部活やバイトで
ある意味フルで休みの日なんてないに等しい生活を送っていたのだから。

 
 
 
11年間働いていたのに、プラネタリウムに勤務したのはわずか4回だった。

他の外出年間行事はほぼ皆勤賞だったので
プラネタリウム運がないにもほどがある。

 
 
外出行事としてプラネタリウムは職員人気が特別高かった訳でもないし
利用者の参加率もめちゃくちゃ高かったわけでもない。 
暗闇や密室が苦手な利用者もいたのだ。

 
シフトを組む職員は年単位で変わったので
本当にたまたま、私は外された。
偶然毎年、プラネタリウム日が職員が勤務しやすい日でもあったのだろう。

 
 
 
初めてプラネタリウムに出勤したのは四年目であった。

私が初プラネタリウム出勤であることは、みんなに意外がられた。
なんせもう四年目だし、他の外出行事に私は必ずいたので、「なんでプラネタリウムだけ未経験なの?」と逆に聞かれた始末だ。
それは私が聞きたい。

 
 
プラネタリウムの支援は、映画館の支援によく似ていた。

プラネタリウムは二階にあった為
車椅子の利用者をエレベーターで付き添って誘導する職員と
一階と二階に待機する職員とで役割を分けた。

更に、映画時と同じように
代表職員が障害者手帳を受付に出して
障害者割引適応手続きを行う。

 
映画館と違うのは、チケットが利用者と職員で異なることだ。

職員は引率者の証拠として、手渡されたバッジをつけて
引率者と書かれたチケットを使用する。

 
 
プラネタリウム開始前にトイレ支援をし
一般客に迷惑がかからないように整列させ
時間になったら誘導する。

映画館は指定席だが、プラネタリウムは自由席なので
正職員で状況を見て誰がどこに座るかをパートさんに指示し
どんどん着席していただく。

 
車椅子の利用者の方は、暗闇の中で職員で手分けして
車椅子から降ろして、通常席に移乗する。

 
車椅子から移乗する際
マンツーマンでもできるが 
欲を言えば職員二人で行った方が流れはいいし
障害のレベルによっては、三人以上が必要となる。

 
移乗の後は車椅子を邪魔にならない場所に寄せる。

 
 
プラネタリウムは初めてだったが
映画館の支援をすでに四回以上こなした私は
プラネタリウム支援は行いやすかった。

プラネタリウムは映画よりも短い時間の上映だから
楽でもあった。

 

 
映画館は、5種類くらいの映画から利用者に好きな映画を選んでもらい
5チームに分かれて各自支援だったし
映画人気やチームによっては
支援度や職員体制がおかしかった。

 
利用者は映画中に声を上げてしまったり、ポップコーンや飲み物をこぼしたり、半券をなくしたり、席を立ったり
上映中にトイレに行きたくなったりするのが普通であった。
パンフレット購入支援も入る。

問題が起きたり、一般客の方に迷惑をかけてはいけないと、職員は約二時間気を張っていた。

 
映画の上映時間に合わせて
忙しなくフードコートでご飯を食べたりもあった。

 
 
だが、プラネタリウムはご飯は施設で食べるので
外部での食事支援も、フードコート席取りもしなくてよい。
パンフレット購入もない。
トイレに行きたがる人もほとんどいないし
飲食は禁止である。

非常に、気が楽だった。

 
気が楽すぎた私は
リクライニングシートと暗闇と音楽が心地良くて
気づいたら寝てしまった。

 
他の職員もプラネタリウムは眠くなると言っていたが
念願のプラネタリウムで私もすっかり眠ってしまった。
なるほど、映画支援時は寝たことがないのに
なんたる心地良さだ。

 
プラネタリウムデビュー日は、特に大きな問題はなく終わり
私は経験できたことに喜びを感じた。

 
 
 
プラネタリウム二回目の出勤日も同様だったが、2018年の三回目の出勤日は事件が起きた。

 
その日、人生で初めてプラネタリウムに行くという重度の利用者Aさんがいたので、私は支援をすることになった。
彼女はほとんど発語はなく、体は大きい。

  
 
受付に券を渡した後、彼女はパニックになり
急に逆走して、一般客にぶつかりまくった。

「Aさん!?」

私は走って追いかけ、声をかけ、再び受付を通過した。
Aさんは「ウェッウェッ」と嘔吐の手前のような反応が始まり、顔色が悪い。
施設を利用して間もないので、本当に気持ち悪いか拒否反応か定かではない。
初めての反応だったが、おそらくメンタルだと思った。
Aさんは再び逆走し、トイレに走った。

 
「アンパンマーン!!」

 
Aさんが助けを求める。
私の認識はしていても、私の名前を呼べないAさんが、いきなりアンパンマンの名前を叫んだ。
初めての反応である。
やはり恐怖なのだろう。
私の手は振りはらわれ、一般客に巨体でガンガンぶつかっていく。
まずい、私は完全にバイキンマン扱いだ。

 
Aさんの家族はいつも電話に出ない。
Aさんのパニック状態は初めてのことなので、慌てて携帯を鳴らすが
家族はやはり電話に出ない。 
仕方なく、携帯をポケットにしまう。

 
本来は私が重度利用者三人担当の予定だったし
その日は行事サブリーダーだったし
施設全体参加人数は数十人であったが
もはや、プラネタリウムの中に入れない。

 
私は他の職員に他の利用者とプラネタリウム支援を任せて
Aさんとプラネタリウムを後にした。

 
 
 
プラネタリウム会場から離れた途端に、Aさんの嘔吐のような反応は止まる。
両手で耳はおさえている。

イエスノーの意思伝達をAさんはできない。
首振りや頷きもできない。

  
だが、やはりプラネタリウムへの恐怖心からこのような行動であることは予想ができたので
私はAさんと散歩に行って時間を潰すことにした。
Aさんは散歩が大好きであり
散歩中は表情が穏やかになる。

 
 
その日はプラネタリウムの予定だったのに、私とAさんは星も見ないで
走り回って汗だらけであり
もはやただの運動会であった。
散歩中は気温がぐんぐん上がり、更に汗をかいた。

 
夏場だし、散歩ルートは日なたであった。
クーラーの効いた部屋でプラネタリウム予定だったので
Aさんは飲み物もお金を持ってきていなかった。
脱水が怖かったので、立替でAさんに飲み物を購入した。
Aさんは食欲旺盛のため、飲み物を一気飲みした。

 
トイレの合図はまだ練習中なので
脱水とは違う心配が頭をよぎり
私はトイレに誘導した。

 
 
Aさんは笑っていた。
二人で散歩は初めてだった。

 
プラネタリウム予定だったけどまぁ…
Aさんが楽しそうなら、こんな過ごし方も、いいか。

 
 
 
………と思ったのは私だけで

サブリーダーの私がいなくなったプラネタリウムは混乱し、人手不足になり
問題が多発していた。

 
立場はサブリーダーだが、実際は女性職員と利用者のリーダーであり
実質の動きとしては、私はリーダーであった。

 
私がAさんと二人で運動会をしていた頃
プラネタリウム支援者は星どころではなかったようだ。

 
 
だから単純に障害者支援は、人の数だけで考えてはいけない。
利用者や職員の人数ももちろん重要だが、ハプニングがあった際に対応するとなると
やはりベテランの職員がいるかいないかは大きい。

私とは異なり
パートさん達はプラネタリウムや土曜営業日支援の経験値が足りない。
そして、基本的に組織はリーダー指示の元で動く。

 
利用者は慣れた職員と慣れていない職員では反応が異なり
私が急遽いなくなったことで利用者はパニック状態にもなった。

Aさんを個別対応し、Aさんが落ち着いた分の代償だ。

 
だが、かといって他の職員にAさんは任せられなかった。
Aさんは私に断トツで懐いていたし、意思伝達が難しい。
体が大きく、一般客に体当たりしている程我を忘れているAさんをパートさんには任せられない。

 
Aさんは男性職員が苦手であり、男性職員が近づくと逃げてしまうというのもあり 
男性職員に任せるわけにもいかなかった。

 
 
普段とは違う環境になると、利用者はまた違った顔を見せる。
パニック状態にもなりやすい。

だから外出行事の時は職員が多いにこしたことはないし
初参加利用者やパニック状態になりやすい利用者には、必ず私が支援についていた。

 
 
そんなことを、上はちっとも理解していなかった。

 
 
 
 
 
真面目な職員ほど、支援に協力的な職員ほど、私の施設は叩かれた。 
だから、やり手の職員ほど、みんなどんどん辞めていった。

 
2017~2018年頃、上の方針で辞めた職員の補充はされないことになった。

要支援の利用者はどんどん増やされた。
福祉施設は利用者の区分や人数や利用者の出勤数に合わせて 
施設にお金が入る仕組みだ。

 
お金を儲けたいなら
職員の数を削り、区分が高い利用者をたくさん契約すればいい。
上は単純にそう考えた。

 
 
土曜日の行事は、職員の確保がどんどん難しくなっていった。

「子どもの運動会(等)があるから」「稲刈りがあるから」と、職員がみんな同じ日に勤務拒否をする。

家庭は大切だ。子どもも大切だ。それは分かる。
稲刈りも大行事だ。私だって兼業農家の娘だから分かる。

 
だから独身者の私に勤務拒否権はないし、他の独身者も同様だ。
土曜日勤務をやるしかない。
人手不足だから、平日に振替がとれない。
振替をとると、翌日に、休んだ日の問題勃発を責められる。
だから振替は一応とれるけど、とるとロクなことはない。

シフトが組めない。

だが、出られる職員がいない。
自分達がフルで出ても、行事がまわらない。
問題が多発して、保護者や一般客から苦情が入る。利用者が怪我をする。

行事の質を下げると
利用者が参加しない。
参加しないとお金にならないから
上から怒られる。
求人は出してもらえない。
出してもらっても、何年も募集したままで人が入らない。
人が入っても、残業も土曜日勤務も断られる。

 
私や他の職員が安定剤を飲み出したのは
そんな時だった。
飲んでいたのは皆
サービス残業や土曜日勤務に協力的だが
上から当たられる人達だった。

 
 
 
 
そんな中、2019年を迎えた。
施設は史上最悪に近い大きな改悪があり、予想以上に職員は仕事がしにくくなった。

一週間で職員が四人辞めた。
もうどうにも、負のスパイラルは止まらなかった。

 
「重度の利用者は外出行事を企画しなくても家族が預ける。利用者が外出しなくても喜ぶように、現場が企画しろ。」

と上に見放された我が事業部は
土曜日の外出の予算が削られ、外出年間行事が白紙になった。

 
我が事業部は重度の利用者が利用している。

求人を出してもらえないし、上がそういう方針である以上
室内レクや外出は規模を縮小するしかなかった。

 
 
20年近く、毎年行っていたプラネタリウムだったが
そういった流れで
2019年夏は中止になった。

 
事情が分からない利用者や保護者からは落胆の声が上がり
私は頭を下げたり
代わりに他の行事を一から考えなければいけなかった。

 
 
 
 
そんな中、2020年を迎えた。

私は主任と僅かな協力者と共に、必死で戦っていた。
どうにか外出行事や室内レクができないかと
振替を捨てて、全ての土曜日営業に勤務をしていた。

 
2月頭は節分を行った。
私は赤鬼になり、利用者と豆まきを行った。 

二月はプラネタリウムを
三月はボーリング大会を外出行事で企画し
私は予約をしたり、準備をしていた。

私が土曜日勤務を行えばいい。
利用者が喜んでくれるなら、休みを減らして構わない。
私はそう思っていた。

   
 
 
豆まき行事が終わって帰ろうとした時、上と直属上司から人事異動を言い渡された。

 
「あなたの代わりはパートで十分よ。求人はそのうち出すわ。」
 

……私は、リアルな泣いた赤鬼だった。

 
人事異動をしたら、もう外出行事に勤務はできないことを意味する。
代わりの人は決まっていない。
今までだって、辞めた人の補充はしていなかったから
上が代わりを入れる気があるかも分からない。

 
上に掛け合っても、労基に掛け合っても無駄で
人事異動するか退職するしか道がない私は
退職を選んだ。

 
 
 
辞表は受理され、二月いっぱいの勤務をしたのち、有給休暇消化が確定した。

【引き継ぎをしないで三月から人事異動】が、上からの指示だったからだ。

 
 
 
私は主任に、ボーリング企画書を全て渡した。
私は行事企画と準備責任者だった。

私「私が勤務できる行事はプラネタリウムが最後です。…ボーリングは、あとは、よろしくお願いします。」

 
主任「ボーリング場を予約した日に、人事異動発表なんて………。準備だって、始まったばかりなのに!」

 
私「人事異動をしても、退職しても、どちらにしても私は、もう三月から行事勤務はできません。………できないんです。

人事異動は、拒否権がないです。」

 
主任は泣いた。
私も泣いた。

ボーリングを企画した時、こんなことになるなんて考えてもいなかった。

 
 
 
一月の会話を思い出す。

「令和元年は夏にプラネタリウムに行けなかったから、二月にプラネタリウム行きましょう。冬のプラネタリウムも面白そうじゃないですか!

人手はなんとか確保できました!!」

 
なんて、私は意気揚々と主任に言っていたのに。
主任は乗り気だったのに。
利用者もみんな、プラネタリウムを喜んでいたのに。

 
 
 
初めての冬のプラネタリウムが、私の最後の行事、か。

 
利用者はまだ知らない。
私が二月いっぱいで辞めることを知らない。

ただただ外出行事が、プラネタリウムが嬉しくて
私の横ではしゃいでいた。
私は作りものの星よりも、利用者の笑顔を眺めていたかった。

 
私「Bさん、プラネタリウム、暗いけど怖くない?」

  
利用者B「ともかさんが隣にいるから、怖くないよ。でも、手を繋いでいたいな。
ともかさん、今日は寝ちゃダメですよ~。」

 
私「……いいよ。手を繋ごう。寝ないように、頑張るね。」

 
 
最後のプラネタリウムが始まった。 

涙が込み上げたけど、暗闇だから利用者は私の涙に気づかなかった。

 
ごめん。ごめんなさい。
あと少ししか、私は隣にいられない。

 
 
Bさんの手は暗闇でもあたたかい。

勇気づけられたり、力をもらっていたのは
支援者と呼ばれる私の方だった。

 
 
毎回プラネタリウムは眠くなるのに、私は全く眠くならなかった。

このまま時が止まればいいのに。
どうか、どうかこのまま時が止まればいいのに。

そう、願っても
星は動き、物語は進む。

 
その日の物語中、「あなたののぞみは?」と尋ねる台詞があった。

 
 
私ののぞみは、このまま倒れて動けなくなるまで、もしくは施設が潰れるまで、この事業で働くこと。

利用者の隣で、利用者の笑顔を見守ること。

 
 
作りものの星や私の涙では、流れ星の代わりにはならない。
そんなのぞみ、ここで願ったところで
退職の現実は変わらない。

 
 
 
プラネタリウムが終わり、部屋が明るくなった。

 
「楽しかったね!また来年も一緒にプラネタリウムに行きたいね!!」

 
Bさんが残酷な無邪気さで笑う。
一緒に、は行けない。
もう二度と。

  
 
「また一緒に、プラネタリウムに行きたいな。」

私は利用者を見て笑いながら言った。
大丈夫。
泣かないで、私は言えた。

 
 
 
 
私が施設を去ったのは、それから一週間後だった。

 
 
 
 
 
 
  
コロナウィルス感染により、三月以降は外出行事が全て中止になった。

三月のボーリング大会は中止になった。

 
東日本大震災の時も、ボーリング大会は予約をしていたが、自粛といった形で中止になった。
ボーリング大会は、なんだかいつもついていない。

 
 
 
 
私の住んでいるところは田舎だから、見上げると星がよく見える。
プラネタリウムもいいが、本物の星を生で見ると美しい。

 
こうして夜空には本物の星が瞬いているのに
私は空を見上げては一人、最後のプラネタリウムを思い出す。

 
「あなたののぞみは?」

 
再び問われたら、私は何を望むだろう。

 
 
12年間も施設に関わっていたのに
退職をしてから、仕事の記憶が緩やかに薄れている。
利用者の笑顔や施設の様子は思い出せるのに
私は段々と利用者の声を忘れていく。

 
だからきっと利用者も、私の声を忘れていっているかもしれない。

 
 
今日も利用者の隣には、私以外の誰かしらの職員がいるだろう。
コロナウィルスが落ち着けば、施設でも再びプラネタリウムに行けるかもしれない。

 
私以外の、誰かと共に。

 

































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