そばアレルギーならうどんを食べたい

先日、浪人中の友人(今度で3浪になる)と話した。彼は今年のセンター試験も失敗し受けるところがなかったそうだ。というか、受けたいところへのボーダーまで達してなかったようだ。そして、あっさり浪人を決めてしまった。

そんな彼と話していてあれっ?と疑問に思ったことがある。

彼が自分は「社会不適合者だ。」といっているにも関わらず、受験に固執していることだ。彼は、「大学に入ってもなにもしないと思う。」とも言っていた。そして、「哲学に興味はあるけど哲学科はオワコンだ。」とか、「この大学受かったら、就職がいいところにいける。」とも言っていた。

なぜ、社会不適合者を自認している(バイトの面接に10度落ちた経験からそれを導きだしたようだ。)にも関わらずその社会のメインストリームである『名の通った大学→名の通った企業』という道に固執して、浪人を繰り返すのか?なぜ、自分の興味を「就職」という一行事のために捨てなければならないのか?

きっと、彼は自分が不適合者であることに罪悪感を覚え、それに必死に適合しようとしているのだろう。

僕は、彼に上で述べた彼に感じた疑問をぶつけてみた。彼は「やっぱり、学歴っていうのはこの社会にとって重要で、就職のときとか努力の証としてみられると思うんだ。」なんてことを言っていた。それももっともである。

彼は自分が社会不適合者であるから適合しようとしているのだ。僕はそんな彼の価値観を否定したり、批判したりはしない。

只、僕は彼がやっている行為は「そばアレルギーの人が発作を起こしながらそばを食べようとしている」ことだと思う。正直彼の話を聞いていて、どこか既存のロールモデルや社会のメインストリームが絶対的な前提条件となっていて退屈に感じた。彼は自分がそばアレルギーだったとしても、自分にはそばを食べる道しかないと思っているのだ。

僕は思う。そばアレルギーならうどんを食べたい。だってそばは絶対食べなくてはいけないものではないから。もちろん、そばを食べられる人はそばを食べて生きていけば良い。しかし、僕たちにはラーメンだって、うどんだって、パスタだって、はたまた白米だって食べることができる。だからそばを食べることに固執してはならないし、それは哲学科を「就職」で諦める彼のように自分をあらぬかたちで抑制してしまいかねない。

僕たちは忘れてはならないのだ。そばは主食ではないことを。

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