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終戦から76年、18歳で戦死した兄を想う義母の話

過去帳に知らない姓の人が。。。

私:「おばあちゃん、この人誰なん?」

義母:「腹違いの私のお兄さんや。。。」

家の仏壇の過去帳に見慣れない姓のご先祖様の名前がありました。
義父母と同居してからずっと気になっていましたので、7、8年前に聞いてみたところ、義母が涙ながらに答えました。


捨てられた奥さんと息子

(このお話は義母の実の母が義母に話した内容です)

義母の父親には前の奥さんがいたようです。
神戸で芸者をしていた女性にいれあげて、見受けまでして結婚したという熱の入れようでした。

その後、義母の父は脚気(かっけ)を患ってしまいました。
商売をたたんで、神戸から愛知県にある実家へ奥さんと転がり込み、お兄さん夫婦のお世話になります。

病気が快復した義母の父は、奥さんと生まれたばかりの息子を実家に残して一人で神戸へ行き、商売を再開しました。

それから何年もたたないうちに、
義母の父から一方的に実家にいる奥さんに離婚届が送られてきて、結局離婚に至ったそうです。奥さんは兄夫婦にさんざんいじめられた挙句に、まだ赤ちゃんの息子とともに追い出されてしまいました。


引き裂かれた母子

追い出された元奥さんは体が弱くて経済力もないため、泣く泣く小さな息子を養子に出しました。
幸い養父母は子供が欲しくて引き取ったということもあり、その小さな男の子をとてもかわいがったそうです。

引き裂かれたお母さんは養父母の家の近所に引っ越して、ひっそりと暮らしていたそうです。恐らくのちに息子とは時折あっていたのだろうということでした。


お兄さんに赤紙が来た!唯一の望みは。。。

養父母の家に赤紙が来ました。お兄さんへの召集令状です。
養父母がお兄さんに何か望みはないかと尋ねたところ、

「実のお父さんに会ってみたいです。」

その言葉を言える養父母であったこと、また勇気を出してお兄さんが本心を言えたことが良かったな!と思います。


そしてお兄さんは戦争へ

義母の父は不倫で別れたのかと私は想像していましたが、そうではないそうです。(理由は不明)数年後に義母の母と会い再婚します。

そして4歳の時に、義母は両親と他4人の兄弟姉妹とともに神戸港へ行きます。お兄さんが神戸港から船で戦地へ向かうのを見送るためです。
それが義母にとっては、最初で最後のお兄さんとの出会いになりました。

お兄さんは一家で送ってくれるのを見てこう言ったそうです。
「僕にはこんなに可愛らしい弟や妹がいるのですね!」

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※(イメージ写真です)

神戸港には、お兄さんの実のお母さんもひっそりと来ておられたそうです。


過去帳に名前を頼んだのは義母の母

終戦の年に入って、お兄さんが戦死されたという知らせがお兄さんの養父母から義母の父のところにも連絡がありました。わずか18歳でした。

義母の母はお兄さんがあまりにもかわいそうだと言って、お寺さんで供養をお願いして過去帳に戒名(俗名も)を記載していただいたそうです。


忘れないでいよう!義母から引き継ぐ大切なこと

義母はお兄さんに一度しか会えず、しかも記憶はかすかです。
それでも、18歳で散っていかれた腹違いのお兄さん、そして苦渋の思いで養父母にお兄さんを託されたお兄さんの実のお母さん、お二人のことを忘れないでいたいと義母は話します。

私もその義母の心を引き継いでいこうと心から思います。







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