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純ジャパ米国留学体験記(2009年)

いま出張に来ていますが、こうして海外にいるとはじめて海外に長期で滞在したときを思い出します。

私は2009年夏から10か月間、アメリカの州立大学に留学していました。

今になって振り返ると大学に入学するまで一言も英語を話したことのなかった自分がこうして今ドイツに来ているのもすべてはあの時から始まったのだなとしみじみ思います。

今日は、帰国直後に書いたレポートをそのまま転載します。

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「一年間なんてほんとうにあっという間だから、精いっぱい楽しんできなよ!」。出発前に先輩からそう言われた。でもアメリカに着いた当初はこんなところで一年間も生活するなんて自分には無理だと思った。
 
 私が留学したソノマ州立大学は、カリフォルニア州のサンフランシスコから車で北へ一時間ほどの場所にある。ソノマはカリフォルニアワインの産地で、大学の周りにもブドウ畑が一面に広がっており、おしゃれなワイナリーが点在している。天気の良い日にドライブに行くととても気持ちがいい。カリフォルニアの良いところはなんといってもその気候だ。夏は暑いがカラッと乾燥していて、木陰に入れば涼しくとても心地が良い。澄み切った青空を見ると、暗い気持ちもすっきりと晴れてくる。本当に暮らすには良いところだと思う。ただし、本当に何もない。あるのは、見渡す限りの草原と青い空だけ。ちょっと買い物にスーパーに行くにも、歩きだと往復一時間以上かかった。週末遊びに行こうにも、居酒屋もなければカラオケもない。車なしでは何もできない。早稲田とはまったく違う生活だった。

 私は五人のアメリカ人と同じ寮に住んでいた。寮といっても二建ての一軒家みたいなもので、一階にキッチンとリビング、二人部屋が一つあり、二階に上がると一人部屋が二つ、二人部屋が一つあった。私はジョンと一緒に二階の二人部屋で暮らした。ハウスメイトはみんな明るくおおらかで良い人たちだった。ただし少々明るすぎて、毎晩三時くらいまで大音量で音楽をかけながら騒ぐので付き合うのに疲れることもあった。また、みんな音楽が大好きで暇なときはいつもギターやベースをいじっていた。自分は弾けないけれど、彼らが弾くのを聞くのはけっこう好きだった。でも隣の部屋のジェイムズがドラムセットを一式持ち込んで来て、それを朝っぱらから叩きまくるのには少し困っていた。また、彼らはおおらか過ぎる部分もあって、人が買ってきた食材を勝手に食べるし、使った食器は洗わない、ゴミは捨てないなど日本では大雑把といわれる自分が綺麗好きに思えてくる程だった。

 英語に関していうと、ほとんど会話は出来ない状態で留学に臨んだ。留学二日目の朝、”It’s hot today, isn’t it?” とジョンに話しかけられたが、何を言っているかまったく聞き取れず、結局三回言い直してもらっても理解できなかった。はじめのころはずっと相槌と笑顔でごまかしていた。何を言っているかわからなくてもとりあえず”Oh yeah” といっていた。でも、”What classes do you take this semester?” と聞かれたのに、“Oh yeah. Hahaha!!”と大きな声で答えて恥ずかしい思いをしたことがある。だんだんと英語を話すのが怖くなって、一時期部屋に引きこもって他の留学先の友達とSkypeで話してばかりだった。英語で話していると、自分の思っていることの半分も言えないで常にストレスを感じていた。  
    
 しかし、人は本当に環境に慣れるものだ。 二、三ヶ月もすると、だんだん慣れてきて英語が不思議とすらすらしゃべれるように・・・なるのではなく、英語がしゃべれないことに慣れてくる。話せないことに慣れてくるとなんだか肩の力が抜けて、無理に小難しいことを言おうとしなくなる。幼稚園児並の英語でいいからとにかく話してみようという気持ちになった。 だって、人生二十年間日本語一筋で生きてきた人がいきなり二十年間英語一筋で生きてきた人と同じように英語を話すなんて、最初から無理なのだから。できなくて当然。そんな簡単に上達するはずはない。あんまり気合いを入れすぎずに、コツコツやっていこう。そのように考えるようになってからはだいぶ気が楽になった。

 はじめは嫌いだったソノマでの田舎暮らしもだんだんと好きになっていった。東京と違って、時間がゆっくりと流れていくような気がして心地よかった。何もすることがないからこそ、自分でやることを見つけようという気になれた。読書をたくさんしたし、ルームメイトたちと毎日のように夜遅くまでバスケをした。ルームメイトに食材を食べられたら、その分自分も食べ返してやればいいと思えるようになっていた。留学して七、八カ月が過ぎたころになって、ルームメイトの言っていることを聞き返すことも、自分が聞き返されること少なくなった。寝ぼけていても自然と口から英語が出てくるようになっていた。でも、やっとスタートラインに立てたくらいだと留学を終えた今に思う。留学前は一年もあればペラペラになれると思っていたが、そんなことは無かった。これからも英語の勉強は続けていって、あと二、三年後にある程度形になればいいなと思っている。

 最後に、一年間留学を通して一番感じたのは、人の優しさだ。言葉も上手くしゃべれず、日本から遠く離れた右も左もわからない見知らぬ土地で知り合いもいない、そうした環境の中でいろいろな人に助けていただいた。私はなぜだかそれまでは人になるべく頼ってはいけない、何でも自分の力できるようにならなければといけないとばかり考えていた部分があったが、いまは頼れるときは頼ってもいいのだと思えるようになった。そして、感謝の気持ちをどんどん伝えていこうとも思うようになった。なにか助けてもらっても自分からは相手にできることは、ただ感謝することしかなかったのだ。これからもこの気持ちを持ち続けていたいと思う。
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もう10年近く前のことになりますが、今も基本的な考え方はあまり変わっていません。

今この瞬間もドイツ人のなかでどうやって日本人の私が価値を発揮していくか、どうやって彼らの役に立てるかを模索している最中ですが、あの頃と同じようにコツコツやっていくしかないと思っています。

※最後に、これから留学しようと思っている人、また帰ってきたばかりの人へ。

上の文章ではポジティブに終えていますが、帰国した直後は渡航前に描いたような成果(英語力のアップや知識、経験)を得られなかったという思いもありました。「もっといろいろとチャレンジできたのじゃないか・・・」、「あともう少しいればもっと英語を話せるようになったのではないか」と思う人もいるかと思います。

後悔は後悔のまま残して帰ってきてよいと思います。


留学はゴールではなくあくまでスタートです。
留学したことによって開かれる道は必ずあります。今回やりきれなかったなという思いがある人はまたこれから頑張ればよいのです。どうしても納得できなければ期間を延長する、また大学院で行くという選択もあります。

私も英語に関しては、社会人になっていきなり技術的な専門用語が入り乱れる会議の議事録をいきなり英語で取らされたり、海外の取引先との契約交渉を電話会議で取り仕切らされたりしながら、毎日冷や汗をかきながら必死に吸収してきました。いまものろのろと低空飛行ながら勉強は継続しています。

また、語学力に限らず日本から一歩出て外から日本を見てみること、自分のいた環境から少し離れてみる経験というのはとても貴重です。

もちろん今は日本にも多くの外国籍の方が住んでおり国内でさまざまな交流は可能ですが、自分自身が少数派の環境に身を置くこと、物理的に自らのコミュニティから離れることは貴重な経験に思います。

さらに矛盾するようですが、留学という経験はそれだけで貴重ですが、それですべてがうまくいくわけではありません。昔は帰国子女や留学経験者という属性だけで十分に食っていけたのかもしれませんが、今はそういう時代ではないと思います(それに、本人もそれでは面白くないでしょう)。当たり前ですがその経験を何に生かすかの方が何倍も大事です。

なので、まずは一つの大きな挑戦を乗り越えた自分を褒めてあげましょう。そのうえで次にその経験をどのように繋げていくかを大切にしていきましょう。

自戒を込めて。

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