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【思いつきnote】「ありがとう」が口癖 前編(memo書き)

●はじめに

いきなり恥を晒すようで恐縮ではございますが、以前の私の口癖は「すみません」でした。

「悪くもないのに謝るな」とツッコまれたこともあります。

●「何に謝ってるの?」

この「すみません」は何に対しての「すみません」だったんでしょうかと自分なりに考えてみました。

・「ミスをした自分が許せない」から
私としては素直に謝っているつもりでしたが、「そこまでへりくだることもないんじゃない?」と思われることもあったように思います。

「ちょっとでも(人の)手を煩わせてはいけない」という思いがあったのかなと。
実際は「持ちつ持たれつ」なのでそこまで気にすることもなかったように思います。

少し(過去の自分に対して)いじわるな見方をするなら、そこに「傲慢さ」があったようにも思います。
「自分は少しでもミスをしてはならない」なんて思っていたのではないかと。

ある意味、自己評価が(ムダに)高いというか、自尊心(劣等感の裏返し)が高かったようにも思えます。

今は「もう少し遠慮したほうがいいんじゃないか」というくらい図太くなってしまったので、「もう少し謙虚さを思い出したほうがいいのかな」と思う事もあります。

・「穏便に」済ませたいから
これはズルいというか卑怯というか、でも下手に事を荒立てるのも宜しくないこともありますし、といった所です。

自分が頭を下げれば丸く収まるなら」という気持ちだったと思います。
「出過ぎてもダメ引っ込み過ぎてもダメ」だったら全力で引く方がまだマシだと思っていたんですね。

それが過ぎると「自分を消耗させてしまう」ことになってしまいます。

とはいえ、突っ張り過ぎてその勢いで周りを巻き込んで転ぶなんてこともありましたので(はた迷惑が過ぎますね)、単に「ほどほど」の塩梅がわからなかっただけかもしれません。

・自己否定が過ぎた
こんなことを述べるのは恥ずかしいのですがあえて述べますね。
「自分の存在自体が罪悪なんだ」という思いがあったんだと思います。

もしかしたら、「自己肯定感が高い」というと「自分の能力が高い」とか「自分の価値が優れている」という自己評価なのではないかと思われるかもしれません。

確かに能力や価値があると思えるようならば、それが自信となって自己肯定感が上がることもあります。

ですが「自己肯定感が高い」というのは「自分に対しても人様に対しても」許容できる器が大きいことなのではないかと思うのです。

何ごとにおいても限度というものはありますが、「自分のダメさ加減を笑って許せる」心の余裕というものがあれば、それが人様への態度にも反映されるように思います。

私だけかもしれませんが、否定や批判というのは「自分に向くか人様に向くのか」の違いはあれど、本質的にはおなじことで、それは「許容できない」という思いがあったのだと振り返る次第です。

●後編へ

自己分析でけっこうな文章量になってしまったので、前編後編と分けさせていただきます。

●おまけ

仮に「ダメダメな自分」であったとしても、許容できるというかむしろそれでいいじゃないか、というのが今の私の気持ちでございます。

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