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毒親から受けた心の傷を直視した結果

昨日の投稿「毒親から受けた心の傷を直視してみた」を早速読んで下さり、ありがとうございます。今日は心の傷を直視した時に読んだ本と、見つめた傷について書きます。
昨日の投稿はこちらからご覧いただけます。

ところで、傷を直視するためになぜ本を読んだのか。
もちろん対象となる内容の背景や詳細に関心があったのは入り口として言うまでもないですが、実際にやりたかった作業はこのツイートにある「非寛容な感情」を認め「寛容を育」てたかったのだと思います。

ちょうど今朝このツイートを見て、これだ!と思いました。


昨日も書いた通り、読んだ本は人格障害者やそういった人間が関係する環境で発生した、犯罪に関するノンフィクション作品です。


ここからは、3作品から自分の体験と照合した部分や感じた事を書いていきます。

読んだ作品

4、5冊読んだのですが、その中から特に読みやすく印象的に残った3冊を選びました。

いずれも社会的に話題になった犯罪が主題ですが、北九州の連続殺人事件は特に有名だと思います。
今さらではありますが、詳細を知らなかったため関連本を2冊読みました。(1、2冊目)
また目黒区の虐待死事件は今年公判が行われていて、2月にモラハラの一事例として知りたくて読んだ本でした。今回の読書で読み直してみました。(3冊目)

ここからは、犯罪事件における圧力や支配の中に見つけた、毒親家庭での類似体験について書いていきます。


主犯以外が結託しないよう、それぞれの悪口を言う

これは北九州の事件で頻繁に使われた手口。主犯である松永氏がこの方法を使い、逃げ出す術を失わせたり、いつ自分の番になるか分からない恐怖を抱かせたりしました。
1対多だからこそ、必要だった方法とも思われます。

しかし、これが私の家庭内でも起きていました。凶悪犯罪で使われている支配の手法が、一般家庭内のモラハラでも使われていました。

生まれ育った家庭の家族構成は父、母、そして私の三人家族。核家族の典型の構成です。


たった1(母)対2(父、私)にも関わらず、私は日頃から父の悪口を頻繁に聞かされていました。
あまりに幼い頃から聞いていたので、成人して以降もずっとそれが真実だと思っていました。


また父は、私がいかに人間として出来損ないであるか、「だらしない」「自己管理ができない」「勉強をしない」等と母から聞いていました。多忙な毎日を送る人であり、起きている私とは朝顔を合わせるかどうかの生活が長かったため、父には随分長いこと誤解されたままでした。

どんなに母に酷いことを言われても、長時間説教されても、ご飯が食べられない日があっても、反省文を数え切れないほど書いても、本気で逃げようとはなかなかならなかった。
1人ではどうにもならないという虚無感や、誰も味方になってくれないという孤独感は、この手法により生まれていました。

大人になってから母がこの方法を使っていたことを知り、衝撃を受けました。

いつ失言してしまうのか、いつまた地雷を踏んでしまうのかと怯える日々。理由ありきの罰。

これは目黒区の虐待死事件や、北九州に並ぶと言われる尼崎事件でもよく見られた被害者の心境です。

被害者を支配する主犯が些細な事でも爆発的に怒り罰を与える事を繰り返す、しかもそのパターンは不規則なため、支配される側は何がその起爆剤となりうるのか、いつ地雷を踏むのか常に怯えて暮らす事になります。
結果的に支配は成功し、被害者は服従の度合いを強めていくことになります。

この構造が、過干渉・支配型であった私の家庭でもしっかり見られました。

私にとって、母は家の中に見えない地雷をたくさん撒いている人でした。
私がなかなか服従し切らなかった事も相まって、地雷の数はさらに増していました。

そんな私に下される罰は、

・長時間の説教
・何度も添削を受ける反省文作成
・食事を抜かれる事
・外出禁止令の施行

でした。

母を怒らせたら、また夕飯がなくなるかもしれない。
また一晩かけて何枚も反省文を書かないといけないかもしれない。
どの話をしたら怒らせてしまうんだろうか。
何をしたらまた説教されるんだろう。
そんな事ばかり考えて毎日暮らしていました。

かつては支配型の毒親家庭特有のやり方かと思っていましたが、犯罪における恐怖支配でも同じ方法が取られていました。

自分の番が来ないように、相手を貶す。家庭内ランクの存在。

1つ目に被支配側の人間が結託しないために悪口を吹き込まれる、というやり方・体験について書きました。さらにここから、被支配側の人間同士が支配者に自分以外の悪評を伝える、という現象があります。
これは、支配者の注意を他の人に向けるための行動です。

この現象は北九州の事件や、ひとつ前で触れた尼崎事件にも見られます。虚偽の悪評である事、本意でなく悪評を吹き込む事が多いのですが、それは自分の立場を守るための行動となっています。

これも無自覚でしたが、私の家庭内で起きていました。
1つ目に挙げた通り、我が家はたった1対2の関係でしたが、自分に矛先が向いた日は「今日は私が最下位なんだな」と思っていましたし、自分への罰等が終わると父の悪い事を母に伝えて、しばらくは自分にその番が回ってこないように、と立ち回っていました。

(今になってそれを自覚すると、本意ではないとはいえ自分の家族を貶める行為を常習していたなんて悲しすぎるし、恐ろしく感じます…)

「権力と支配の車輪構造」と「DVのサイクル」

ここまで3つの類似体験を取り上げてみました。他にも実はいくつもあって、それ自体が恐ろしい発見ではありますが、この支配に関わる構造をわかりやすくまとめたものに出会ったので、それを取り上げておきたいと思います。
有名な構造のようなので、心理学等に明るい方はご存知かもしれません。

下の図は「権力と支配の車輪」と呼ばれる、DVの構造を表したものです。これは3冊目の目黒区虐待死事件の本の巻末資料に掲載されていました。

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(この図ではDVを男性が行う事を前提としているのはちょっと、、と思いますが、いまだにマジョリティは男性による女性へのDV、なのでしょう。現実には割合はともかく、男性でも女性でも行いうるものと思います)

一般的に「DV」「ドメスティックバイオレンス」という言葉からは、身体的暴力を連想しがちです。しかしこの図にあるように、さまざまな暴力の形や制約、抑圧により、DVにおける権力と支配が成り立っています。

目黒区の事件はこの構造に基づいた支配と被支配の中で発生した、と言われています。

もう1つDVに関する規則性として「DVのサイクル」も巻末資料に取り上げられていました。

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上図では、DVにはサイクルが繰り返し何度もやってきて、緊張と緩和の連続である事を示しています。


なぜ車輪構造とサイクルを取り上げたのかというと、この2つも私の育った環境で強くみられたものだったからです。

今なら驚きませんが、自分の親が毒親だと、自分がアダルトチルドレンだと、そう自覚するまでは、まさか自分の家庭内で身体的暴力以外にも(※)DVが日常的に行われているとは思っていませんでした
過干渉、支配型の毒親が行っている事はDVだった。改めて認識してみても、衝撃的です。

※人格障害者である母からの支配とコントロールに加え、父からの体罰も受けていたため「身体的暴力以外にも」という表現をしています。

さらには、毒親家庭の場合も社会性を減らされ閉鎖性を高められていますので、誰にも気付かれないばかりか、過干渉・支配型の毒親に育てられた子供には夫婦間DVの様に駆け込む場所もありません※。状況を自覚することも困難ですが、DVを受けていると自覚出来てからも出口なき大きな苦しみが伴います。

※身体的虐待が顕著な場合には、児童相談所もありますので、この限りではないとは思います。精神的虐待に関してはない、という事を意図して書いています。

このように照らし合わせて見ると、私自身の生き死にが関わるほどの事が起きていなくとも、日々いかに残酷なことをされてきたかが客観的によく理解できました。
そして、ここまでの事をされてきて必死に許そうとしなくても良いし、この経験を携えて親を許さないまま生きていってもいいじゃないか、と思えたのでした。

親と似ているところがある。それが怖い…

他にも3冊から見出した類似体験はたくさんありましたが、最後にこれだけは強い共感を覚えて胸が苦しくなり、絶対に書いておこうと決めていました。

この言葉は、北九州の連続殺人事件の主犯である松永太氏の息子さんが元NHKの番組プロデューサーのインタビューをまとめた本「人殺しの息子と呼ばれて」(冒頭で紹介した2冊目)の序章、書き出しにある言葉です。

自分の経験も大いに反映された上での個人的な認識として、親御さんの罪は親御さんの罪であり、息子さんに罪がないのは明白と思っています。しかしご本人に関係あるものとして背負っているものはあまりに大きく、重い。

物事の規模は違えど、ありふれた家庭とは大きく異なる親の元育てられ、自分自身に付随する人や物事で苦しみや難しさを抱えて生きてきたので、彼の苦しみの1/1000くらいは想像できるような気がしています。

そんな彼のその一言も、「分かる」なんて簡単に口にしてはいけないはずですが、やっぱり共感しました。

私もいつの日か母のようになるのではないか。

母の異常性をはっきりと認識し、本格的に離れようと努めるようになってから、体の奥の奥でずっと抱えている不安です。

だから自分の中にあるアダルトチルドレンとしての癖、考え方と必死に戦ってきました。それが自分を大きく否定する事になったとしても、そこからどう立ち振る舞えば外の社会で生きていけるのか、必死に取り組み続けています。

それでも「これは母に似ているんじゃないのか」と思う事はゼロにはならないのです。その恐怖、不安たるや。

私の場合、母も、そのまた母(私にとって母方の祖母)、そのまた母(曽祖母)も、つまり三世代に渡り自己愛性人格障害であったと考えられています。
その血を引いていても全く不思議ではない。
母に至っては、「自分は母のようになりたくない」と言っていたにも関わらず、今はコピーロボットのように同様の行動や言動を繰り返しています。

もしかしたら私も。

そう思う気持ちがある一方で、私で絶対にこの流れを断ち切ってみせる、という強い覚悟もあります
だから自分のその可能性のある部分は、きちんと把握してしてうまく外の世界に合うようチューニングしていこう、というのをポリシーにしてきました。

そうしたら、松永太氏の息子さんもこのように言っていました。

(略)認めたくないけど認めて、上手に付き合っていくしかないんかなあって思っているんです

「分かる」とか「同じ」だとか簡単には言いたくないですが、「この人の言っている事は分かるし、今の自分のポリシーと同じだ」と思わずにはいられませんでした。
そして、とても勇気が出ました

親への怒りや憎しみが再燃して「後戻り」してしまい、その感情の中で溺れてしまうのではと思う日々でした。しかしインタビューでの彼の言葉を読んだ後には、不安は全てなくなっていました。


もしかしたらまたこの先、親への怒りや恨みにまみれそうになる日がまた来るかもしれない。その時の自分に向けてこれを書いておきたいなと思いました。

ついでに近しい体験をしているどこかの誰かに、何か1つでも参考になることがあったらもっと嬉しいです。


Photo by Alice Hampson on Unsplash

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