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「BSEと鳥インフルエンザ」 母のエッセイ 『戦争、そして今――あの日々を、一人の女性が生きぬいた』補遺作品

 二〇〇一年九月頃のことだったろうか。その日、私はテレビを見て本当に胸が痛んだ。日本で始めて狂牛病(BSE)が発生した千葉県の酪農家から、乳牛四十六頭がトラックで運び出される光景だった。この酪農家の家族はその後みなで泣いたと言う話を聞いた。これらの牛たちはその後間もなく焼却されたという。焼却とはどういうことなのだろか。

 まさか生きたまま焼かれたのではないと思うが-----。想像するだけで耐えられない思いだ。トラックに乗せられた牛たちは、自分たちの運命を知るよしも無い。けれど私には彼らの大きな黒い眼が不安感でいっぱいのように見えた。潤んでいるようにさえ感じられた。周りの人間たちの慌しい動きから、自分たちの運命の行き着く先を、なんとなく予感したのだろうか。

 こんな光景が、今また私の脳裏に浮かび上がってきたのも、近頃の、鳥や鯉たちの大量死のニュースに大きな衝撃を受けたからである。

 「鳥インフルエンザ」。何か不気味な感じの病名だが、私は今度はじめて耳にした。山口県、韓国、タイ、ベトナム、ラオス、中国などアジア各地で同時多発的に発生している。感染拡大を防ぐために各国とも懸命の努力をしているが、もしこれが人間から人間へと移る新種ウイルスへと変化して行ったら大変なことになるという。致死率が極度に高いそうだ。

 二、三ヶ月前には茨城県の霞が浦其の他で養殖鯉が大量死した。養殖業者は全員廃業したそうである。業者たちに与えた経済的打撃はどんなに大きいことだろう。その後アメリカでBSEが発生し、それに続く今度の鳥インフルエンザである。

 全く暗い気持ちになる。どうしてこんな事が次々とおこるのだろうか。未来の地球の運命をかいま見る思いだ。人間の力の及ばない何かが、私たちの地球に襲い掛かって来たのだろうか。アフガニスタン、イラクなどの大量殺戮、大量破壊。この愚かな戦争というものを、飽く事無く繰り返している人間への神の戒めなのかも知れない。

 山口県当局は鶏の「処分」を完了したと発表した。少し前まで数多くの鶏がしきりに餌を啄ばんでいた鶏舎は今、がらんとしている。空しい空間となった。ただ、消毒液のにおいが漂うばかり。養鶏業者にとっては辛い眺めであろう。私は思う。当局の発表した「処分」とは一体どういうことだろうか。テレビではショベルカーで大きな穴を掘り、白いビニール袋につめこんだ鶏たちを、次々と放りこんでいた。何万羽という鳥たちもあの牛たちと同じように生きたままとつい暗く考えてしまう――。

 一昨年五月の連休、広島県在住の娘夫婦に招かれて、孫の男の子も一緒に中国地方の旅を楽しんだ。秀峰伯耆大山の中腹では、広々とした牧場で牛たちがのんびりと草をはんでいた。緑の牧草と、白黒まだら模様の牛たちとの色彩のコントラストがとても美しく、思わずシャッターを押した。夫と娘と私、三人揃ってこの景色を背景に娘婿が写真をとってくれた。今でもリビングボードに飾ってあって、あの楽しかった旅の良い思い出となっている。大山牧場で飲んだ牛乳のおいしかッたことも忘れられない。

 牛は本来草食動物である。あの大山の牛たちのように、広い牧場で美味しい草だけを食べて育てば、BSEの心配もなかったことだろうが、すべてに経済性が重んじられるいまの社会では無理なのかも知れない。

 私たちは、他の生き物の命を貰わなければ生きられない。牛も豚も鶏も魚も野菜たちもみな命を、私たちのために差し出してくれている。牛が可哀想、鶏が可哀想と言っても、それらを、食べて生きている以上、それらの命をうばうのは仕方が無いことなのかもしれない。そうとしたらせめて、これら他の生き物の犠牲の上に、私たちが生きていることの意味を考え、有難いという気持ちをすこしでも持って生きていきたいと思う。

 鳥インフルエンザの蔓延は食い止められるだろうか。毎日、新聞を見たり、テレビを見たりするたびに気遣っている。

  二〇〇七六月三〇日執筆




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