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「海風に吹かれて」 母のエッセイ 『戦争、そして今ーーあの日々を、一人の女性が生きぬいた』より

 先日、新聞の投稿欄に埼玉県在住の若い一女性の書いた文章を見た。生後四ヵ月の赤ちゃんを育てているというその人は、日ごろ子供をおんぶして散歩しているという。子供も喜ぶし、自分にも良い運動になり一石二鳥と言っていた。この文は私に、はるか昔のある光景を懐かしく思い出させてくれた。

 おんぶと言えば、近頃町で赤ちゃんを背負っている若い母親をあまり見かけない。子供の数が減っている上に、車の普及やベビーカーの使用などでおんぶなどという格好の悪いことは今の人はあまりしないのだろう。

 私は子育ての頃はいつもおんぶだった。買い物中はもちろん、洗濯中も掃除中も、私の背中にはいつも子供がいた。心配性の私はいっときも子供から目が離せなかったのだ。おんぶしていれば安心だった。子供もまた私の背中がどこよりも居心地が良い所だったようだ。「あなたの背中にはいつも子供さんのいないことがありませんね」と同じ社宅の人に言われたことがある。

 四十年近く前、私の一家は九州博多に住んでいた。夫が勤める会社の社宅だったその家は、博多湾から近く、海に出れば能(の)古島(このしま)がすぐ眼の前に浮かんでいた。作家の檀一雄が晩年二年ほど住んだという島である。

 その頃は三人の子育ての最中だった。春先になり陽気が暖かくなると、ほとんど毎晩、夕食後に末の息子を手でおんぶして散歩に出かけた。まだ三歳くらいと幼かった息子は、この散歩が何より好きだった。背中の息子を後手で支え、二人とりとめのないおしゃべりをしながら、海とは反対側の電車通りまでゆっくりと歩く。八分くらいの道のりだった。

 今は地下鉄になっていると思うが、その頃は昔懐かしい路面電車が走っていた。乗り物の絵本を見るのが大好きだった息子。何冊か汽車や、電車や、飛行機、また赤い消防車などの絵本を買って与えたものだ。

 息子と二人、歩道に佇んで右や左からつぎつぎと走ってくる電車を飽くことなく眺める。三十分もして、「もう帰ろうね」といっても「もっと、もっと」とせがむ。心ゆくまで電車を見ると、ようやく帰途についた。

 途中、住宅街への曲がり角に一軒の駄菓子屋があった。ここで息子は必ず身を乗り出して「ぎゅうにゅう、ぎゅうにゅう」と店の中を指差した。店番のおばあさんが、「この子は本当に牛乳の好きな子だね」と笑いながら瓶入りを一本渡す。その頃、牛乳は瓶に入っていた。

 息子は受け取るやいなや、それこそ一気飲みでゴクッ、ゴクッとあっという間に飲み干した。そして心底満足といった様子。「なんて飲みっぷりがいいんだろうね。この子はきっと大きくなるよ」おばあさんも小さなお得意さんに上機嫌である。「バイ、バイ、お休み坊や」の声に送られて家路につく。海からの涼しい夜風に優しく頬を撫でられながら。

 往きは元気におしゃべりしていた息子は、家に帰り着く頃には、私の背中にぴったりと顔を寄せてすっかり寝入っている。電車も沢山見たし、好きな牛乳もいっぱい飲んだし、母の背に揺られ、少し塩気を含んではいるが優しい海風に触れて十分に心満たされたのだろう。肩越しに見る幼い寝顔は本当に無心そのものだった。

 家では当時十歳と十二歳くらいだった二人の娘たちが布団を敷いて待っていてくれた。そこへ息子をそっとおろす。それきり朝までぐっすりと寝込んでしまう。この夕食後の散歩は、息子にとって眠りにつく前の心地よくまた大切なひと時になっていた。私と息子との貴重な心と身体の触れ合いの時でもあった。

 年の離れた弟を、二人の姉たちはとても可愛がった。息子がまだ赤ちゃんのころ、私が時折少し離れた街、おもに小倉だったが、そこへ買い物に行ったときなど、二人でミルクを飲ませたり、おむつを換えたり、お昼寝させたり、みな手際よくやってくれた。私は安心して用を済ますことが出来た。母親代わりも板についた二人だった。今でも息子が姉たちに一目置いているのは、年が離れているだけでなく、どこか心の深い奥底に、幼時のこの感触が残っているからだろう。

 色々あった博多時代のこと、今もあの美しい海や街の風景とともに懐かしく思い出す。あの駄菓子屋はもうないことだろう。路面電車も姿を消してしまっただろう。だが息子や二人の娘たちとの思い出は消えることはなく、今も私の心の中にありありと残っている。

二〇〇六年九月二十一日 執筆


上記の思い出を素材にした詩作品



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