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時の器としての建築 / noteを書こうと思ったワケ

1.銀座に眠る都市型神社

銀座のとあるペンシルビルをエレベーターで8階まで駆け上がり、そこから屋外の避難階段を登る。くもりガラスのドアを1枚抜けると、そこには周囲の街並みから切り取られた信仰空間が広がっている。

銀座3丁目にある朝日稲荷神社は銀座で初めてビル化した神社である。1983年に隣にある大広ビルが改築されるのに伴って、歴史ある社殿はビルの1〜2階を吹き抜け拝殿とし、本殿を屋上に設置するようになった。1階の社殿と屋上の本殿はパイプで繋がれており、想いを地上から屋上へとどけてくれるという仕組みになっている。

日本一高い地価と激しいスクラップアンドビルドで知られる銀座には、このように都市化の波を受けてビルの屋上や足元、路地の奥に規模を縮小しながらなんとか残り続けている神社が18個も存在している。銀座の面積が1㎢にも満たないことを考えると、かなりの密度で銀座には都市型神社が存在していることになる。このように、神社という最も保守的なビルディングタイプでさえそこに新しい形態が必要になってしまうほど、都市化の波は激しく険しい。

そのような時代背景において、建築やまちづくりを通してどのように街の文化を更新できるかについて考えることは、意味のあることだ感じる。それは、単に文化を保存するのではなく、文化の中のこれからも引き継ぐべきエッセンスを21世紀的にどう再解釈し、新しい形態を与えるかということである。建築は新しい物をつくるだけでなく新しい物語を作らないといけない。空間づくりを通して、その場所や街のもつ”時間”を未来に紡ぎなおすことが建築の重要な役割であると、ふと銀座の小さな神社の前で感じた。

2.建築デザインと時間

建築家、内藤廣はデザインすることの定義として次のように語っている。

建築も土木も、正しい「技術の翻訳」がなされ、それが置かれる「場所の翻訳」がなされ、最後には「時間の翻訳」がなされる。ここまで来ないと本物ではない。

つまり、内藤廣にとってデザインとは、①最先端の技術を一般の人にもわかりやすく形に落とし込み、②その場所の良さを取り込み、③その場所に流れてきた時間を捉え、未来へと投げかける。ことによって成立している。その上で、「時間の翻訳」について次のようにも語っている。

「時間の翻訳」ということに関してはなかなか難しい。わたし自身にとって、あるいは良識有るプランナーの誰にとっても、究極のテーマだからです。ですから、僕もこれまでの仕事のなかで、うまくできたかどうかまだ分からない。…おそらく、それができるためには「技術の翻訳」というのがちゃんとできていて、なおかつ「場所の翻訳」というのが正確にできて、その上で偶然が味方して始めて成り立つ話が「時間の翻訳」なのだろう、そのくらいの話だと思っています。

この、究極のテーマであり内藤廣でも自信を持って捉えることのできない「時間の翻訳」に少しでも近づきたいという思いがこのノートを書く目的の大部分である。

1990年代生まれの私たちは、インターネットや携帯電話、CDなどデジタルな物で囲まれたアナログデトックス世代であり、それゆえに古き良きものへの憧れは大きい。その一方で、モダニズムがこれまでの歴史から建築を切り離し、レム・コールハースのような建築家の登場によって周辺の文脈に縛られたコンテクスチュアリズムが衰退した現代に生きる私たちは、意外にもその都市の歴史をドライに捉え、「あの頃は良かった」と語り続けるおじさんたちのように懐古主義に浸ることなく、その場所に漂っている時間のエッセンスをうまく編集して未来に投げかけることができる世代かもしれない。

3.都市と建築につよくなる練習帳

建築設計という世界に足を踏み込んだばかりの私ではあるが、このノートを通して建築や都市への考えをアウトプットし、場所の時間を未来に紡いでいくような空間づくりへの足掛かりとしたい。具体的には簡単なアーバンリサーチや、足を運んだ建築についてのおぼえがき、本の感想、自らのプロジェクトの紹介などをできるだけわかりやすい言葉で綴っていきたいと思う。

建築は人だけでなく時をもその空間内に収容し、未来へと引き継いでいく。豊かな時間を未来に引き継げるように、肩の力を抜きながらも考えを言葉にしていきたい。

*石井 研士「銀座の神々―都市に溶け込む宗教」 ロンド叢書 1994年    
*内藤廣「形態デザイン講義」王国社 2013年









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