家族との仲は悪い。子供を産む意味は?

私は家族との仲は良くありません。

毒親って言うやつなんですかね?

小学生のとき私は学校に居場所がなくて人気がない校舎のトイレに閉じこもって時間を潰したりしていた話を前の記事で書きました。詳しいことは重複するので端折りますが、徐々に蓄積していったダメージに耐えられなくなり中学一年の秋に不登校になりました。

母親には毎朝怒鳴られ、夜はずっと一階から私の悪口が聞こえてきました。
階段を上がる足音=怒鳴られる時間なので階段の音を聞くのが怖かったです。

父親は母親と一緒になって私の悪口を言う時間以外は無関心でした。
ペットの世話にばかり力を入れており、子供よりもペットの方が家族として大切にしているように見えました。この人何で子供なんか産んだんでしょうか?独身のままペットの世話だけしてれば良かったんじゃないでしょうか?

毎朝、電気コードを首にかけて椅子の上に立ちます。
でも死ねませんでした。恐怖という感情を呪うことしかできませんでした。

机に置かれていた一冊のノート。おそらくしまい忘れたのでしょう。
どうせロクなことは書いてないだろうと理解していましたが、中身を覗いてしまいました。
要約すると子供を産んで後悔したかのようなことが書かれていました。

〇〇(私)はいらない子、だそうです。

学校と家で、両方とも居場所が無かった私はインターネットの世界に入り込む以外に、心の安定を保つことはできませんでした。

これが虐待の定義に入るかどうかは分かりませんが、少なからず私にとって親に対して憎しみを覚えるには十分な出来事であったと思います。

虐待の定義に入るとしても、親からすればあれば虐待ではないのでしょう。
あの人達の認識では虐待=暴力でしょうから。

私には兄が1人います。
兄も同じく親のことは嫌いでした。高校卒業と同時にすぐに家を出て1人暮らしを始めました。

大学は国立の大学で学費は安いとは言え、学費と家賃など親が全て支払っていたので安い金額ではなかったと思います。親は遠まわしに、私には1人暮らしをするようなことはしてくれるなよと圧力をかけてきました。

兄が横浜で1人暮らしを満喫する中、私は毎日往復三時間かけて大学に通いました。

時が経ち、親は丸くなりました。
親が丸くなっても、私はもう親を親として接することはできなくなっていました。

以前書いたように、私は大学で教員からパワハラを受けたことが原因で留年しました。

その時の親の言葉は「こうなる前に私たちに相談してくれればよかったのに」でした。

ここで私は察しました。

中学時代、虐待まがいのことを数年間続けていたことは覚えてすらいないのだろうな、と。

虐めと一緒ですね、学生時代虐められて深い傷を負った被害者はそのことを一生引きづり苦しみます。
けれども加害者はそんなことは綺麗サッパリ忘れ20歳そこらで結婚し、子供を産み人生を満喫します。

人を苦しめた、という記憶はとても軽いものなのです。

子供にとっての世界は狭く、基本的に学校か家かの二択です。学校で居場所をなくした子供は親に頼るしかりません。その親からすらもボコボコに傷を負わされた人間が、今度辛いことがおこったとき、親に助けを求められるでしょうか。

留年したとき自殺が未遂に終わり失敗してしまったのでその道具が親に見られてしまいました。

母親は「アナタが死んだら私も死ぬ」みたいなことを言っていますが、この言葉が私をさらに苦しめています。

優しい性格(笑)である私は自分の死によって誰かに悪影響を与えることが嫌で自殺することすらも踏みとどまっているのです。

なんて、どこまでもお人よしで、自己犠牲の精神に溢れているんでしょうか?たいへん素晴らしいですね。

毒親は大体発達障害とかその他何かしらの障害を持ってることがほとんどだと言われています。私の親も多分持ってるんじゃないでしょうか。

まぁ言われてみれば、障害を持ってなければ毒親になんてならないかもしれませんね。

おそらくそれが遺伝したことによって私は集団に馴染めず今までずっと苦しい思いをしてきました。

死ぬことすらも自由に選べない愚かな人生。

でもその優しい生き方(笑)と自己犠牲の精神(笑)も、そろそろ限界を感じています。
生きていたくありません。

あぁ、書いててまた涙が出てきた。書かなければ良いのに、書いてしまうのはリストカットのような自傷行為と同じなんでしょうか?

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