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【摩擦と矛盾を楽しむと飛躍する】

今日は『摩擦と矛盾を楽しむと飛躍する』
についてお伝えしていきます。

3日前約2ヵ月ぶりに
赤飯を食べていた時の事です。

小豆ともち米が大好きな
自分にとってはかなり
嬉しいメニューです。


小豆の程良い甘さと
もち米のふわふわした触感が
上手くコラボしています。

シンプルな食べ方でも
十分に美味しい味です。

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栗が余っていたので
栗赤飯(栗おこわ)にしても
良いかなぁと思いました。

ところが
ここで問題点が発生します。


それは

食べ合わせを遵守している
自分にとって栗を混入する事は
身体に良い事なのかという
摩擦が生じた事です。


栗はブナ科クリ属の木の一種で
果物(フルーツ)でもあります。

私の食べ合わせルールとして
主食とフルーツは混同しないと
決めています。

1度に1種類のフルーツだけ食べて
絶対に混ぜない事です。


理由は糖質同士が重なり合うと
膵臓さんに負担がかかり
消化吸収が上手く
機能しなくなるからです。

例えば
ラーメンとチャーハンによる
組み合わせ等は危険なのです。


美味しいでしょうが
消化器官にダメージを与え
糖尿病や膵臓がんに
繋がっていきます。

学生時代は若さと体力もあって
少々無茶をしても平気でしたが
年齢を重ねるとそうはいきません。


昔だったら氣にせず
栗赤飯をガッツリ
食べていたと思います。

しかし
食べ合わせや
今後の展開を考えると
控えたほうが賢明です。


栗と赤飯の甘味を堪能したい欲望と
大きな病気には罹りたくない不安とが
摩擦して葛藤しています。

さらに
健康を促進している治療家が
不摂生をする事で辻褄が合わず
矛盾している状態にもなります。

まさに
「摩擦」と「矛盾」の狭間で
思い悩む状況です。

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悩みに悩んだ末
今回私はあえて栗赤飯を
食べる判断をしました。

すると周囲からは

「健康を促す治療家として不謹慎ではないか」

「思考・感情・発言・行動が一致していない、不誠実だぞ」

「矛盾している事は断じて許し難い、冒涜しているのか」

etc

罵声と怒号が
寄せられるでしょう。


摩擦と矛盾がある上で
決断した理由は

「頻繁に栗赤飯を食べる訳ではない」

「エンザイムやエネマ等で排出すれば良い」

「自分の心の声に沿って素直に判断した事」

都合良く解釈しました。


ごちゃごちゃ複雑に考え過ぎて
感情がモヤモヤしていては
栗赤飯に失礼になります。

有難い食事として
召し上がれると思えば
例え食べ合わせが悪くても
美味しく食べられます。

手を合わせて
大自然の命と恵みに感謝して
頂きますと合唱すると
幸せホルモンも分泌されます。


もし毎日食べ合わせを無視して
不摂生をしているとなれば
嘘つきかつ誠実性がありません。

一貫性を守る事は大切な事ですが
余りに固執して柔軟性に欠けると
臨機応変に対処出来なくなります。


『自分らしさを捨てる』参照。


自分らしく信念を貫き通す姿勢も
凛々しく素晴らしい事ですが
ずっと同じままでは
現状維持に留まる事になります。

時には真逆の視点に触れる事で
新しい自分へと進化して
バージョンアップ出来ます。


公私共にあらゆる場面で
必ずと言っていいほど
「摩擦」と「矛盾」に
遭遇します。

この世の中は
「摩擦」と「矛盾」
だらけです。


にもかかわらず

「摩擦が無いストレスフリーの社会が良い」

「矛盾を感じると葛藤して前に進めない」

「自由で居心地の良い空間で過ごしたい」

etc

お決まりの
キャッチフレーズを
見聞きします。


出来れば
「摩擦」と「矛盾」を
この世から消し去りたいと
願っているかもしれません。

「摩擦」と「矛盾」が無ければ
果たして安心・安全・安定して
過ごせるのでしょうか。


「摩擦」がある事は
違いが存在している事です。

違いがあるからこそ
衝突しつつも組み合わせで
新しい物事が誕生します。


「摩擦」が無ければ
氷の上でツルツル滑るように
ずっと同じままの状態です。

抵抗も無く楽ですが
何の変化もありません。


「矛盾」も同様です。

むしろ「矛盾」に
満ち溢れています。


「矛盾」は良くない事であると
植え付けられている
風潮さえあります。

これは一貫性を強固に死守し
自分だけの世界観に
どっぷり浸かっているからです。


口に出す言い分が

「自分の信念こそ絶対に正しい」

「相手の主張は間違っている」

「私は全て知っている」

「私はその意見に反対する」

何が何でも
アイデンティティを曲げず
意固地になろうとします。


周囲を見渡して
自分が感じ取れる物事が
全て一緒くたであれば
ただの全体主義です。

昨今の世界がこの同一視発想で
支配して統一しようとする
危険な方向に動いています。


「摩擦」と「矛盾」を与えて
「分断」と「葛藤」を生み出し

最終的に支配者層の思惑にまとめて
誘導しようとする洗脳支配は
もはやお家芸になっています。


多くの人々は
「摩擦」と「矛盾」を
苦痛かつ有害であると
認識させられています。

連中達は民衆を思考停止させ
本質から目を逸らすように
堕落させています。

であれば逆手に取って
「摩擦」と「矛盾」を楽しんで
連中の罠(トラップ)を回避して
主体的に面白がれば良いのです。


相反するモノ&コトこそ
統合出来る絶好の機会です。

「摩擦」と「矛盾」を
抱合している概念が

「弁証法」

「ティール組織」

「トランスパーソナル心理学」

etc

です。

これらは様々な対立する事象を
踏まえては乗り越えてを繰り返し
常に変容し続けています。


「摩擦」と「矛盾」を
上手く活用する着眼点として
下記の3つがあります。

1.全ては陰と陽で相反する事を受け入れる

2.全てをダイナミックに生きて
  陰と陽の両極端を実践していく

3.陰と陽を融合して新しい観点で発想する


1.全ては陰と陽で相反する事を受け入れる

   二元論、二項対立、二者択一等を
   一旦脇に置いてそのまま認識します。

   感情的に興奮して対立するのではなく
   ニュートラル状態で観察します。

   正解や答えを断定する事なく
   グレーゾーンを用意しておきます。


2.全てをダイナミックに生きて
  陰と陽の両極端を実践していく

   人生は山あり谷ありで
   流れるように動きます。

   良い事悪い事も自分にとって
   かけがえのない貴重な経験と捉えます。

   自分の視点だけでは偏りが出るので
   必ず真逆の概念も体験します。

  
3.陰と陽を融合して新しい観点で発想する

   「弁証法」を使って融合していきます。
  
   特に自分にとってアンチとなる分野を
   専門家レベル位まで調査して
   肉体、感情、精神に取り入れます。

   例えば、私の場合「現代医学」は
   アンチかつ敵なので徹底的に精査して
   心技体で武装しておきます。


但し注意点として
意志力を奪われる内側と外側の
「摩擦」と「矛盾」は
カットしていきます。

内側要因

「作話」

「言い訳」

「自己防衛」

「責任転嫁」


外側要因

「クレクレ君」

「テイカー」

「ヴァンパイア」  


内側と外側共に全て断絶します。


痛み(摩擦)×執着=苦しみ
です。

「摩擦」を消すよりかは
執着を無くしていく事で
早く楽になります。


居心地の悪い場所に行って
「摩擦」と「矛盾」を
面白おかしく楽しむと
一段と飛躍します。

「摩擦」と「矛盾」を受け入れて
アップデートしていきましょう。

今日も読んでくださって
ありがとうございます。


追伸
あなたにとっての
「摩擦」と「矛盾」を
教えてください。

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