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キャリアという世界をフィールドワークしたくなった話

キャリアという世界観が日本に入って起こっていることについて、また他国ではどうなっているのか。
どこかで研究できないだろうか、と最近考えていて。この話を聴いてくださる、もしくは見守ってくださる先生を探している。

「キャリア」にまつわる解釈、定義はさまざま

わたしは自身がキャリアコンサルタント、という肩書を持っているので「キャリア」という言葉にはなじみがあるが。この言葉には、場面や人によって解釈が少しずつ異なると感じている。

まず、わたしがこの仕事をする際、最初にキャリアカウンセラーの資格を取得した。取得した団体では「キャリア」を下記のように定義していて、わたし自身もこの捉え方に基づいている。

JCDAでは、キャリアを「人生そのもの」としてとらえています。

日本キャリア開発協会HP「キャリアとは?」
https://www.j-cda.jp/your-own-career/about-career.php

しかし「キャリア」という言葉そのものの由来にも諸説あるように「キャリア」の意味するところも取り扱う所や人によって、少しずつニュアンスが異なる。

例えば、国家資格キャリアコンサルタントを管轄する厚生労働省ではこのように説明している。

「キャリア」とは、過去から将来の長期にわたる職務経験やこれに伴う計画的な能力開発の連鎖を指すものです。「職業生涯」や「職務経歴」などと訳されます。

厚生労働省HP
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/jinzaikaihatsu/career_consulting.html

上記の定義だと、職業や労働といった働くことに限定したものと捉えられている。
そのためか「自分には立派な学歴や職歴が無いから関係ない」「今さらそんなことを考える必要は無いのではないか」という声も聞く。

また学校におけるキャリア教育を管轄する文部科学省で「キャリア」を定義すると先ほどのものと少し異なる。

人は,他者や社会とのかかわりの中で,職業人,家庭人,地域社会の一員等,様々な役割を 担いながら生きている。これらの役割は,生涯という時間的な流れの中で変化しつつ積み重なり,つながっていくものである。

また,このような役割の中には,所属する集団や組織から与 えられたものや日常生活の中で特に意識せず習慣的に行っているものもあるが,人はこれらを 含めた様々な役割の関係や価値を自ら判断し,取捨選択や創造を重ねながら取り組んでいる。

人は,このような自分の役割を果たして活動すること,つまり「働くこと」を通して,人や 社会にかかわることになり,そのかかわり方の違いが「自分らしい生き方」となっていくもの である。  

このように,人が,生涯の中で様々な役割を果たす過程で,自らの役割の価値や自分と役割 との関係を見いだしていく連なりや積み重ねが,「キャリア」の意味するところである。

中央教育審議会「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について(答申)」(平成 23 年1月 31 日)

働くことを軸としながら、生活する部分も含んでいる。
官公庁の中でも共通した認識ではなさそうである。

「キャリア」はどこから来たのか

「キャリア」の語源もいくつかある。
「荷馬車」を意味するラテン語の「carrus」から来ているという説や「荷馬車や四輪の荷車の通り道、轍(わだち)」を意味する「carraria」に由来するという説もある。

いずれにしても、過去(轍、通った後)~現在(乗っている荷馬車、通っている道)のことを示していると考えていて「人生そのもの(日本キャリア開発協会)」や「職務経歴(厚生労働省)」に繋がっているものと考える。

となると。
「キャリア教育」「キャリアアップ」といった言葉で用いる場合、少し違和感を感じる。
例えば「キャリア教育」はその先にどのような職業や働き方をするのかを考えるし、それまで通った道や轍にアップダウンはあったかもしれないが「キャリアアップ」の「キャリア」が意味するところは過去のことではなく、未来の計画や目標について示していることになる。
過去・現在・未来が混在しながら話題は進んでいる気がしてならない。

そもそもキャリアという概念の源流は欧米からきたもののようだ。
(ここではキャリアをどう取り扱っていたか、という観点でキャリア教育の歴史や流れを用いる。)
20世紀初頭に始まるアメリカでの職業指導運動やドイツでの職業教育が源流とされている。また日本でも、大正時代から職業指導が徐々に始まる。
1927年には大日本職業指導協会として日本で最初の職業指導の研究、実践団体が設立された。またその流れをくむ日本進路指導学会(現在の日本キャリア教育学会)が1994年にキャリア・カウンセラー認定制度を始めることで日本におけるキャリア・カウンセラーが登場したようなので、それ以前にキャリアという概念が存在していたと思われる。

キャリアについて、世界の流れが呼応し合って現在の形になっていると思われるが、海外からの影響は大きいだろう。
では、現在のキャリアの取り扱い方は日本に合う形になっているのか?
それとも日本がどこかの概念や取り扱いに合わせようとしているのか?あるいは、どちらでも無いのなら「日本に合う形」ってなんだろう?と思った。 ある意味「キャリア」は多くの国との共通言語として用いられているかもしれないが、日本の官公庁内でも定義が少しずつ異なるように、それぞれの描く「キャリア」の概念は万国共通ではないのかもしれない。

それぞれの国でカスタマイズされているかもしれない「キャリア」。
日本では現在「キャリア」をどうカスタマイズしているのか。
これからどう取り扱いながら共生するのが良いのか。
それぞれの持つ文化やライフコースとこれまでどう折り合いをつけながら人々は生きてきたのか。
これからどうしていくのが最適なのか。

この辺りに関心があって、できれば大学時代に触れていた人類学界隈の分野で深められないかと思っている。
研究できる所や先生、どこかにいないかなぁ。

背景

この5年ほどモヤモヤと考えていたことに、ここ最近輪郭を帯びたのが上記のようなことだった。

自分自身のことや大学で進路の支援をしていた時の違和感から来ている。
だからといって、現在取り扱われているキャリアの何もかもが悪いとは思わない。
わたし自身、今もキャリアコンサルタントとして活かせると思うところを自分で活用し、お伝えしている。
自分にとっても関わる人にとっても生活のヒントとなるという実感があるから、社会の変化を感じるタイミングで見直すことを試みてみたくなった。

慣れ親しんで長く着ていた服が、体型やトレンドの変化で、そのままで着ることに違和感できなくなった服のように。
またリメイクして今に合わせるように。

それは、今の自分に合わせるだけでなく、時代の環境や空気感に合わせる意味があるのかもしれない。

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