Egotisme

イタリアの閑暇そしてその悦楽にひたる。

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【ティエポロ】ミラノのクレリチ宮

17世紀にはヴィスコンティ家の邸宅だった建物を その後カルロ・ジョルジョ・クレリチ侯爵が買い取り、 ミラノにそれまでにないような豪華な宮殿にしようと 大修復が行わ…

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ヴィチェンツァと天正少年使節団

建築にあまり興味のない⽅でも、ヴィチェンツァでルネサンスの 建築家パッラーディオが⼿がけた美しい建物をご覧になれば、 きっと⼼を動かされるはず・・・ ヴェネト州…

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【カラヴァッジョ】果物籠

ミラノのアンブロジアーナ絵画館にあるカラヴァッジョの「果物籠」。 久しぶりに鑑賞する機会に恵まれました。 こうした静物画という画題が独⽴した絵画ジャンルとなる⼀…

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黒装束の花嫁

ミラノから北に約50kmほどの、コモ湖近くにスキニャーノという、 ⼈⼝わずか900⼈ほどの⼩さな村があります。 古くから伝わる伝説では、その地で結婚が決まった娘は頭か…

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ジュゼッペ.ヴェルディの妻たち

先日ジュゼッペ・ヴェルディについて書いたので、 今日は彼の妻たちをご紹介しましょう。 最初の妻はマルゲリータ・バレッツィ。 いかにも優しそうで愛らしい表情が印象…

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ジュゼッペ・ヴェルディ

ヴェルディは彼のオペラが世界中に知られているように、 厳格で気難しいけれど物惜しみしない性格であることも つとに知られています。 1835年から1900年の間に残された…

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ミラノ

1883年3⽉9⽇、トリエステで⽣を受けた詩⼈ウンベルト・サバ。 彼ならではのアフォリズムに彩られた詩集は、故須賀敦⼦さんを惹き付け、 美しい⽇本語に訳してくださって…

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スカラ座こぼれ話

オペラの殿堂といわれ、その名を世界に知られるミラノのスカラ座。 オーストリア・ハプスブルグ家のマリア・テレジ ア⼥帝の所望によって 建築家ジュゼッペ・ピエルマリ …

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【ミラノ】屋根のない美術館

長年住んでいても、なかなか⾏く機会のないその土地の記念墓地。 ⾜を踏み⼊れてみたら、驚くほど立派でした。 建築家カルロ・マチャキーニが1863年から1866年にかけて建…

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【イタリアで最も美しい村】スペッロを訪ねて

スペッロはウンブリア州ペルージャ県にある、イタリアで最も美しい村と 名付けられたコムーネの⼀つ。 ドライブの途中、スバシオ⼭の麓に突如現れる村の姿に、思わず歓声…

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イタリア王妃マルゲリータとピッツァ

イタリアが1861年に統一されて、初のイタリア王妃になった マルゲリータ・マリア・テレーザ・ジョヴァンナ・ディ・サヴォイア。 イタリア国王第1号はヴィットリオ・エマ…

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【カラヴァッジョ】瞑想の聖フランチェスコ

縦128cm、横97cmの大きさに、頭蓋骨が仄白く浮かび上がる、 強烈な明暗キアロ・スクーロ。 目を凝らしてみると、苦悩をにじませたような額と 慈しむような目で、その白…

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【四方山話】マルクス・アウレリウス

エミール・マール著『ヨーロッパのキリスト教美術』を 読んでいたら、とても興味深い逸話がありました。 中世、イタリアへの巡礼で最初に訪れるべき所は もちろんローマ…

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ベアトリーチェ・チェンチ

ローマのバルベリーニ宮にあるグイド・レーニの 「ベアトリーチェ・チェンチ」肖像画。 美術館のサイトには1600年頃の作品であると書かれてあります。 ベアトリーチェ・…

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スタンダール慕情

パリでは歴史散策をするのが好きです。 前回行った時にはl'église de l'Assomption de Paris/ ノートルダム・ドゥ・ラソンプシオン教会に立ち寄りました。 ここは1842…

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【ティエポロ】ミラノのクレリチ宮

【ティエポロ】ミラノのクレリチ宮

17世紀にはヴィスコンティ家の邸宅だった建物を

その後カルロ・ジョルジョ・クレリチ侯爵が買い取り、

ミラノにそれまでにないような豪華な宮殿にしようと

大修復が行われました。

それがミラノ大聖堂からすぐの、裏通りにひっそりと佇む

クレリチ宮です。

18世紀になり、カルロの息子のアントニオ・ジョルジョ・

クレリチにその「大修復」の意思は引き継がれます。

おそらく当時イタリアでも話題にな

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ヴィチェンツァと天正少年使節団

ヴィチェンツァと天正少年使節団

建築にあまり興味のない⽅でも、ヴィチェンツァでルネサンスの

建築家パッラーディオが⼿がけた美しい建物をご覧になれば、

きっと⼼を動かされるはず・・・

ヴェネト州ヴィチェンツァには個⼈の名前でその建物が呼ばれる

「スタイル」を⽣み出した建築家パッラーディオの傑作

パッラディアーナ聖堂と、世界最古の屋内劇場オリンピコが

あります。

セルリアーナ式と呼ばれる、ヴェネツィアの建築において

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【カラヴァッジョ】果物籠

【カラヴァッジョ】果物籠

ミラノのアンブロジアーナ絵画館にあるカラヴァッジョの「果物籠」。

久しぶりに鑑賞する機会に恵まれました。

こうした静物画という画題が独⽴した絵画ジャンルとなる⼀歩を

踏み出したのは16世紀半ばのことです。

ただ当時、絵画はジャンルごとに等級化されていて、

最⾼のジャンルはもちろん宗教画、そして歴史画、肖像画、⾵景画、

⾵俗画という順番でした。

そして最下級に静物画が置かれていました。

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黒装束の花嫁

黒装束の花嫁

ミラノから北に約50kmほどの、コモ湖近くにスキニャーノという、

⼈⼝わずか900⼈ほどの⼩さな村があります。

古くから伝わる伝説では、その地で結婚が決まった娘は頭から⾜の先まで

なぜか⿊づくめにする事になっていたとか。

若い娘なのに、アクセサリーを身にまとう事も全くなく、

つまりお葬式の時とそう変わらない⾐装だったと言われています。

スキニャーノでは、代々の領主が「結婚初夜の前に花嫁

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ジュゼッペ.ヴェルディの妻たち

ジュゼッペ.ヴェルディの妻たち

先日ジュゼッペ・ヴェルディについて書いたので、

今日は彼の妻たちをご紹介しましょう。

最初の妻はマルゲリータ・バレッツィ。

いかにも優しそうで愛らしい表情が印象的なマルゲリータ。

1836年5⽉、彼⼥が22歳、ヴェルディが23歳の時に結婚し、

1837年に娘ヴィルジニアが⽣まれましたが、なんと翌年1838年死亡。

その後息⼦イチーリオも授かりますが、不幸にも1839年に亡くなります。

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ジュゼッペ・ヴェルディ

ジュゼッペ・ヴェルディ

ヴェルディは彼のオペラが世界中に知られているように、

厳格で気難しいけれど物惜しみしない性格であることも

つとに知られています。

1835年から1900年の間に残された膨⼤な書簡から知られざる

ヴェルディの姿が浮かび上がってきます。

尊⼤さをもつ⼀⽅で教養にあふれ、現実や周囲の状況を

⾒据える眼⼒を持つカリスマ的⼈物。

当時のミラノは、若い⾳楽家を常に好意的に受け⼊れるわけでは

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ミラノ

ミラノ

1883年3⽉9⽇、トリエステで⽣を受けた詩⼈ウンベルト・サバ。

彼ならではのアフォリズムに彩られた詩集は、故須賀敦⼦さんを惹き付け、

美しい⽇本語に訳してくださっています。

ウンベルト・サバの詩にMilanoというのがあるのですが、

これがサバの詩集の中で⼀番好きな詩。

Fra le tue pietre e le tue nebbie
faccio villeggiatura.
Mi

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スカラ座こぼれ話

スカラ座こぼれ話

オペラの殿堂といわれ、その名を世界に知られるミラノのスカラ座。

オーストリア・ハプスブルグ家のマリア・テレジ ア⼥帝の所望によって

建築家ジュゼッペ・ピエルマリ ー⼆がネオ・クラシック様式の

瀟洒な建物(それ以前のドゥカーレ劇場は⽕災によって1776年に崩壊)に

完成させ、1778年こけら落としとしてアントニオ・サリエリの

『Europa riconosciuta/⾒出されたエウローパ

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【ミラノ】屋根のない美術館

【ミラノ】屋根のない美術館

長年住んでいても、なかなか⾏く機会のないその土地の記念墓地。

⾜を踏み⼊れてみたら、驚くほど立派でした。

建築家カルロ・マチャキーニが1863年から1866年にかけて建設した、

イタリア統 ⼀後のミラノにおける重要な建築物の⼀つ。

ナポレオンはそれ以前にミラノ共同墓地を建設しようとしていましたが、

彼の「墓地」に対する考えはいたってシンプルで、彫刻等の装飾などは

⼀切省いたものだったら

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【イタリアで最も美しい村】スペッロを訪ねて

【イタリアで最も美しい村】スペッロを訪ねて

スペッロはウンブリア州ペルージャ県にある、イタリアで最も美しい村と

名付けられたコムーネの⼀つ。

ドライブの途中、スバシオ⼭の麓に突如現れる村の姿に、思わず歓声があが

ります。

旧市街へと向かうと、⽴派な古い⾨が・・・

紀元前1世紀頃のローマ時代のコンソラーレ⾨が出迎えてくれます。

横に⽴つ塔は中世期のもの。そして、3体の彫刻は16世紀に取り付けられた

ものだろうとのこと。スペッロの

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イタリア王妃マルゲリータとピッツァ

イタリア王妃マルゲリータとピッツァ

イタリアが1861年に統一されて、初のイタリア王妃になった

マルゲリータ・マリア・テレーザ・ジョヴァンナ・ディ・サヴォイア。

イタリア国王第1号はヴィットリオ・エマヌエーレ2世なのですが、

彼の妻マリーア・アデライデは1855年に産褥死したため

イタリア王妃にはなっていなくて、息子のウンベルト1世が

従妹のサヴォイア家マルゲリータと1868年に結婚、

1878年に王位につき、マルゲリー

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【カラヴァッジョ】瞑想の聖フランチェスコ

【カラヴァッジョ】瞑想の聖フランチェスコ

縦128cm、横97cmの大きさに、頭蓋骨が仄白く浮かび上がる、

強烈な明暗キアロ・スクーロ。

目を凝らしてみると、苦悩をにじませたような額と

慈しむような目で、その白い頭蓋骨を見るフランチェスコが印象的です。

ところどころ破れた祖末な衣装に、大きな襞がより、

そこへまた光が当たるように描かれています。

この作品はもともとローマ郊外のカルピネート・ロマーノという

小さな村にあるサン・

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【四方山話】マルクス・アウレリウス

【四方山話】マルクス・アウレリウス

エミール・マール著『ヨーロッパのキリスト教美術』を

読んでいたら、とても興味深い逸話がありました。

中世、イタリアへの巡礼で最初に訪れるべき所は

もちろんローマのサン・ピエトロでしたが、

その他にサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノも

キリスト教徒にとっては一番大事な場所の一つでした。

キリスト教世界最古の聖堂、

つまり“全ての教会の母にして頭”だからです。

ピラネージの描く古代ロ

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ベアトリーチェ・チェンチ

ベアトリーチェ・チェンチ

ローマのバルベリーニ宮にあるグイド・レーニの

「ベアトリーチェ・チェンチ」肖像画。

美術館のサイトには1600年頃の作品であると書かれてあります。

ベアトリーチェ・チェンチは1599年5月11日

性的虐待の限りを尽くした(と言われている)父親を

殺害したという重い罪で斬首刑にされ、

彼女を助けた継母とベアトリーチェの兄も斬首刑、

そして家来たちまでも撲殺刑になり、

ローマのサンタン

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スタンダール慕情

スタンダール慕情

パリでは歴史散策をするのが好きです。

前回行った時にはl'église de l'Assomption de Paris/

ノートルダム・ドゥ・ラソンプシオン教会に立ち寄りました。

ここは1842年3月24日、スタンダールの葬儀が

おこなわれた教会で、華やかな雰囲気のサントノレ通りに面し、

ひっそりと隠れたように佇む小さな教会との対比が印象的。

通りの喧噪がウソのような静かな内部。

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