藤田孝志

イスラエルに【おなかがすいた子どもに、一匹の魚を与えれば、その日だけの食べ物にしかなら…

藤田孝志

イスラエルに【おなかがすいた子どもに、一匹の魚を与えれば、その日だけの食べ物にしかならない。魚のとり方を教えれば、一生の食べ物をあげたことになる】という口碑がある。私はそのような「記事」を書いていきたい。本来あるべきでないものをなくすために…何ができるかを問い続けていきたい。

マガジン

  • 心の壁を越えるために

    岡山県にある長島愛生園をフィールドに,ハンセン病問題について,その歴史的過程(排除・排斥・隔離の歴史)と実態(なぜ差別されたのか)の解明などを通して,我々が将来に向けて何を学ぶべきかを考えていきたい。

  • 史実の深層を求めて

    さまざまな歴史事象の背景を多様な視点から考察することで,歴史観や歴史認識を再考してみたい。

  • 時の流れの中で

    人権・教育・社会・文化など,折に触れて感じたことや思ったこと,考えたこと,伝えたいことなどを「断章と雑感」として書いてみたい。

  • 人と海に学ぶ

    岡山県東部に位置する日生をフィールドに、里海づくりを目指している中学校の海洋学習の実践を紹介する。「里海づくり」(海洋学習)を通して将来の地域再生を担う子どもたちを育てる「日生の応援団」プロジェクトです。

  • 存在を問い続けて

    「岡山の部落史」をテーマに、「渋染一揆」や「明六一揆」(解放令反対一揆)を中心に、江戸時代から近代までの論考や史資料を紹介していきたい。

記事一覧

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汝の道を行け

Segui il tuo corso、e lascia dir ie genti! 【 汝の道を行け、そして人々の語るにまかせよ 】 ダンテの『神曲』「煉獄篇」にある章句であり、マルクスが『資本論』(初…

藤田孝志
2年前
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光田健輔論(45) 不治か完治か(5)

1941(昭和16)年、アメリカで「プロミン」が開発された。当初は結核の治療薬として作られたプロミンだったが、結核には効果がなく、ハンセン病には大きな効果が発揮…

藤田孝志
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光田健輔論(44) 不治か完治か(4)

大谷藤郎氏は、京都大学医学部で小笠原登氏に師事し、旧厚生省官僚としてハンセン病問題に関わり、「らい予防法」廃止に尽力し、「らい予防法違憲国賠訴訟」の証人として患…

藤田孝志
5日前
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光田健輔論(43) 不治か完治か(3)

ここ数年、入所者への「解剖承諾書」が問題となっている。入所の条件であったという証言も、意に反して強制的に有無も言わせず署名させられたという証言も数多くある。私自…

藤田孝志
8日前

光田健輔論(42) 不治か完治か(2)

私の疑問もまた、なぜ世界の潮流に反して日本独自の「絶対隔離政策」に固執したのかであり、その張本人である光田健輔は、なぜ世界の動向に背を向け続けたのかである。 藤…

藤田孝志
12日前
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光田健輔論(41) 不治か完治か(1)

人はなぜ「病気」を恐れるのか。釈迦も人生の苦痛を「四苦」(生老病死)と教えているように古今東西の宗教や哲学では「病」を問題としてきた。 「病気」を恐れる理由は、…

藤田孝志
2週間前
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光田健輔論(40) 牢獄か楽園か(4)

「戦争は最大の人権侵害である」とはよく聞く言葉であり、真実である。戦争の悲惨さは数多語られ、その残虐さゆえに非人道的な所業と誰もが思うが、敗者は戦争犯罪人として…

藤田孝志
3週間前
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井戸替え

来月には年に一度の町内会総出の溝浚いがある。朝早くから各家の周囲を囲む溝掃除を行った後,いよいよ川に流れ出す排水溝の大掃除と小川の泥浚いである。毎年のことだが,…

藤田孝志
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マイクロアグレッション

昨日(2024/4/09)の読売新聞「編集手帳」に、静岡県の川勝知事にふれて、次のように書かれていた。抜粋して転載する。 多くの人びとには聞き慣れない言葉だが、人権思想…

藤田孝志
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光田健輔論(39) 牢獄か楽園か(3)

光田健輔は『愛生園日記』に、「戦争末期の激しい空襲と戦いながら、食べられもしないイモヅルの配給をうけていた一般社会に比べたら、わずかながら耕作地をもち、海水で塩…

藤田孝志
1か月前
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光田健輔論(38) 牢獄か楽園か(2)

戦争の拡大と長期化がハンセン病療養所に隔離された患者の生活をどれほど悲惨な状況に追い込んでいったか、戦時体制下での国民生活を記録した数々の証言から推察することは…

藤田孝志
1か月前
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光田健輔論(37) 牢獄か楽園か(1)

日本近代思想大系22『差別の諸相』付録[月報15]の中に、成田龍一「『小島の春』のまなざし」がある。今回、ある論文の引用文献に挙げられていて気づき、一読した。『…

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「近代」の解体と差別構造

田中等氏は、著書『ハンセン病の社会史』の「はじめに」において、次のように述べている。 まず田中氏の藤野氏への批判が的確かどうか、私には疑問である。田中氏は藤野氏…

藤田孝志
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下作

随分と昔、もう20数年ほどになるが,友人から私の文章表現が「下作」になってきたとの厳しい指摘を受けたことがある。確かに,当時、ブログやBBSに書く文章表現が粗野…

藤田孝志
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西の丸騒動

HDDを整理していたら、昔の駄文が出てきた。20年ほど前、私に対して執拗に日々、一面識もないにもかかわらず、的外れな誹謗中傷の文章を自分のブログに書いていた山口…

藤田孝志
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古書

久方ぶりに古書店を巡って、数冊の本を買った。 『伝説 よもやま話 岡山奇聞』(岡長平) この本は、発行が昭和36年1月である。正確な史実かどうかは別として江戸時代…

藤田孝志
1か月前
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汝の道を行け

Segui il tuo corso、e lascia dir ie genti! 【 汝の道を行け、そして人々の語るにまかせよ 】 ダンテの『神曲』「煉獄篇」にある章句であり、マルクスが『資本論』(初版序文)に掲げたことでも有名な格言として多くの人びとに勇気を与えている言葉である。 ----------------------------------- 年頭、<Blog>から<note>に、記事(文章)を移行した。 作業しながら昔書いた文章を読み返していると、論旨が明確で

光田健輔論(45) 不治か完治か(5)

1941(昭和16)年、アメリカで「プロミン」が開発された。当初は結核の治療薬として作られたプロミンだったが、結核には効果がなく、ハンセン病には大きな効果が発揮され特効薬として認められた。1947(昭和21)年1月に長島愛生園において輸入プロミンを用いての治験が開始され、次いで栗生楽泉園でも始められた。4月には東大教授石館守三によってプロミンの合成が成功し、10月には吉富製薬が製造研究に乗り出して翌年には製品化した。日本でもプロミンによる画期的な効果が発表され、ハンセン病が「

光田健輔論(44) 不治か完治か(4)

大谷藤郎氏は、京都大学医学部で小笠原登氏に師事し、旧厚生省官僚としてハンセン病問題に関わり、「らい予防法」廃止に尽力し、「らい予防法違憲国賠訴訟」の証人として患者勝訴に貢献した人物である。大谷氏については別項にて述べたいと思っている。 大谷氏の時代区分はほぼ適切である。私は、第四期を戦後の「プロミン」導入期からと考え、大谷氏の「第四期」を第五期、「らい予防法廃止」から「国賠訴訟」までを第六期、以降から現在までを第七期と、細かい区分で考えている。なぜなら、戦後の区分はそれぞれ

光田健輔論(43) 不治か完治か(3)

ここ数年、入所者への「解剖承諾書」が問題となっている。入所の条件であったという証言も、意に反して強制的に有無も言わせず署名させられたという証言も数多くある。私自身も幾人もの入所者から直接に話を聞いた。最近の新聞記事を2つ転載する。 「報告書」は「国立療養所邑久光明園における病理解剖の検証報告書」として、厚生労働省および邑久光明園のHPに掲載されているので読むことができる。 数十年前になるが、長島愛生園で見た光景は今も忘れることができない。故中井栄一園長に案内された一室の棚

光田健輔論(42) 不治か完治か(2)

私の疑問もまた、なぜ世界の潮流に反して日本独自の「絶対隔離政策」に固執したのかであり、その張本人である光田健輔は、なぜ世界の動向に背を向け続けたのかである。 藤野豊氏の『ハンセン病と戦後民主主義』より抜粋・引用しながら整理しておく。 光田は、なぜ「絶対隔離」に固執するのか。藤野氏は、光田の「癩予防撲滅の話」(『社会事業』10巻四号:1926年7月)を根拠として、次のように推察する。 私も『光田健輔と日本のらい予防事業』に再録されている光田の本論文を一読したが、藤野氏の推

光田健輔論(41) 不治か完治か(1)

人はなぜ「病気」を恐れるのか。釈迦も人生の苦痛を「四苦」(生老病死)と教えているように古今東西の宗教や哲学では「病」を問題としてきた。 「病気」を恐れる理由は、「死」と結びついている、あるいは身体の損傷(変形、機能不全など)と結びついているからである。また、「病気」に「治療法(薬)」があるかどうか、完治か不治かである。そして、「病気」が「感染」するかどうか、その強度が深く関係している。これが「病気」に対する判断基準である。 最近の「病気」では、エイズやコロナをみればわかる

光田健輔論(40) 牢獄か楽園か(4)

「戦争は最大の人権侵害である」とはよく聞く言葉であり、真実である。戦争の悲惨さは数多語られ、その残虐さゆえに非人道的な所業と誰もが思うが、敗者は戦争犯罪人としてその責任を問われて罰せられても勝者は免罪される。このことは歴史が証明している。しかし、戦争の副産物ともいえる悲劇は、その責任を問われることもなく歴史の闇に隠されてしまう。従軍慰安婦、住民への掠奪・強姦、人体実験、強制労働など、そしてハンセン病患者への隔離政策である。 なぜ光田健輔および占領地・植民地の療養所長は「戦争

井戸替え

来月には年に一度の町内会総出の溝浚いがある。朝早くから各家の周囲を囲む溝掃除を行った後,いよいよ川に流れ出す排水溝の大掃除と小川の泥浚いである。毎年のことだが,近所も高齢者の比率が高くなり、なかなかに大変である。重い石蓋を持ち上げて外し,溜まった泥を鋤簾やスコップで抄いだし,水道の水で流していく。排水溝と小川は,ここまで1年で溜まるものかと毎年のことながら思う。 町内会の人たちと作業をしながら思い出すのが,江戸の「井戸替え」である。 江戸湾に面する低湿地が多く,井戸を掘って

マイクロアグレッション

昨日(2024/4/09)の読売新聞「編集手帳」に、静岡県の川勝知事にふれて、次のように書かれていた。抜粋して転載する。 多くの人びとには聞き慣れない言葉だが、人権思想が広く社会に浸透し、さまざまな人権に配慮することが当然の時代になり、人権意識や人権感覚の必要性がさらに求められるようになった現代だからこそ、逆に不平や不満、悪意が心の深層に沈殿してしまい、それが無意識に表面化してしまうのだろう。 匿名性を利用してSNSやブログなどに誹謗中傷・罵詈雑言を書き込む人間の中には、

光田健輔論(39) 牢獄か楽園か(3)

光田健輔は『愛生園日記』に、「戦争末期の激しい空襲と戦いながら、食べられもしないイモヅルの配給をうけていた一般社会に比べたら、わずかながら耕作地をもち、海水で塩も作ることができる島の生活は、まだましであったかもしれない。」と書いている。この一文を読んだ人たちは何を思うだろうか。戦争の悲惨さや戦時下の暮しの苛酷さを読んだり聞いたりしている人びとは、多分そのままに「まだましであった」と理解するだろう。しかし実態はまったく違っていることを人びとは知らない。栄養失調と患者作業によって

光田健輔論(38) 牢獄か楽園か(2)

戦争の拡大と長期化がハンセン病療養所に隔離された患者の生活をどれほど悲惨な状況に追い込んでいったか、戦時体制下での国民生活を記録した数々の証言から推察することは容易だろう。 多摩全生園患者自治会編『倶会一処』に「飢えと戦争」と題して、戦時下の療養所の生活が記録されている。抜粋して転載しておく。 長く引用したが、これが戦時下での療養所の実態の一端である。戦争中は内地でも食糧事情は厳しく、特に食糧事情は困窮していた。だが、隔離された園内での制限された自給自足、定員超過による食

光田健輔論(37) 牢獄か楽園か(1)

日本近代思想大系22『差別の諸相』付録[月報15]の中に、成田龍一「『小島の春』のまなざし」がある。今回、ある論文の引用文献に挙げられていて気づき、一読した。『小島の春』を通して小川正子の患者観が考察されていて、興味深かった。 成田氏は「固定化」の証左として、「小川が病者を自動車で運ぼうとするときのエピソード」を「印象的」として例示する。 ベストセラーとして多くの国民に読まれた『小島の春』が果たした役割、その効果について光田健輔は「数百数千回の講習会を催すよりも有効であろ

「近代」の解体と差別構造

田中等氏は、著書『ハンセン病の社会史』の「はじめに」において、次のように述べている。 まず田中氏の藤野氏への批判が的確かどうか、私には疑問である。田中氏は藤野氏のこの一文を「議論の基調」と断定し、藤野氏の「問題構制の珍妙さ」を批判するが、田中氏が指摘する「問題構制」とは何か、どういう意味か判然としない。(あえて「構制」という用語を使う必要性くらいは明記してもよいのではないかと思うのだが…) 田中氏は藤野氏の一文を引用する際に「…(略)」としているが、最初の「…」は「こうし

下作

随分と昔、もう20数年ほどになるが,友人から私の文章表現が「下作」になってきたとの厳しい指摘を受けたことがある。確かに,当時、ブログやBBSに書く文章表現が粗野になってきたように私自身も感じていた。元々,文章は上手な方ではないが,表現内容に用いる語句や修辞が独り善がりになり,決めつけたような文章になってしまい,伝えたいことが正確に伝わらず,誤解や曲解を生むことも多くなっていた。 出版目的の論文や職務上の公用文では上司や同僚からの指摘もあるが,私的な文章に関しては指摘を受ける

西の丸騒動

HDDを整理していたら、昔の駄文が出てきた。20年ほど前、私に対して執拗に日々、一面識もないにもかかわらず、的外れな誹謗中傷の文章を自分のブログに書いていた山口県の牧師がいたが、この拙文を私がブログに書いたら、何を勘違いしたのか「殺害しようとしている」と書かれたことがある。そう思うのであれば、愚かしいイヤミや皮肉に満ちた攻撃的なことを書かなければいいのだが、松平外記をいじめた人間らと同レベルということだろう。誰からも相手にされない鬱憤を、今も同じことを繰り返しているのだろう。

古書

久方ぶりに古書店を巡って、数冊の本を買った。 『伝説 よもやま話 岡山奇聞』(岡長平) この本は、発行が昭和36年1月である。正確な史実かどうかは別として江戸時代の説話としては興味深い。 『江戸空間』(石川英輔) 江戸時代と現代を対比させながら、庶民の生活から江戸時代を多角的に考察していて、おもしろい。 『大江戸生活体験事情』(石川英輔・田中優子) これは著者二人が実際に江戸時代の生活を体験し、実体験から考察していて、これも江戸時代の庶民生活を知るという点から興味深い。