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はははの話/命の一杯


 わたし(えりぱんなつこ)が、胃痛から仕事を辞めて、田舎に住む祖母と母と暮らしていたときの話を書いています。





 人の体の60〜70パーセントは水分だって言われている。実際に、春夏秋冬365日飲まないとやっていられない。(お酒のことではない)
年齢によって体の水分量は変化していくようで、お年寄りの場合は50パーセントくらいだそうだ。


 暑い日も寒い日も、祖母の喉が渇いていないときだって、祖母には飲み物をあげなくてはいけない。
放おっておいたら、脱水症状になってしまう。
(あげるなんていうと、ペットじゃないんだからと責められそうだけど、飲ませていることを思うと「あげる」っていう言い方がしっくりきてしまうから許してほしい)


のどが渇いた、と言われたときは急いで台所へ走る。我が家で、酢の物やひじきの煮物を入れる小鉢(飲ませるときに一番使いやすい)か、祖母がずっと使っていたカラフルな縞模様の湯呑を用意する。飲み物を入れ、とろみ剤の粉を加える。お年寄りなどはただの液体では咽やすいこと、飲み物や食べ物にはとろみ剤を入れるといいということは、祖母と暮らすようになってから知ったことだ。わたしはとろみ剤の存在も知らなかった。


その立場にならないと分からない常識って、結構ある。


 毎回、いい塩梅でとろみをつけさせるのが難しい。とろみ剤を入れすぎて、飲み物というよりもレトルト食品のようになってしまったり、完璧に固まる前のゼラチンのようになってしまったりもする。
ゼリー寄り、だけど飲み物くらいに作れたときは、今日は「飲む物」を飲ませてあげられるぜ!と小さな達成感があった。


祖母は湯呑から一気に飲むと咳き込んでしまうので、スプーン一杯の量をすくっては飲んでもらう。


さぁさぁ一献とお猪口に並々注がれ、おっとっとと飲むお酒は簡単にこぼれるが、とろみをつけた飲み物はスプーンにのせてもこぼれにくい。これって表面張力もある?と考えながら、細心の注意をはらって祖母の口へ運ぶ。

喉が渇いているときや、はやくくれ!というときは、唇をう〜っと突き出す。ひょっとこみたいにも、チンパンジーみたいにも見える。思わず吹き出しそうになった。飲みたいという気持ちが前面に表れているこの姿が、とても好きだった。


 わたしは小鉢からスプーン一杯すくっては飲ませ、一杯すくっては飲ませを繰り返す。用意した飲み物の嵩を目に焼き付けてから、口に運ぶ。微々たる量でも、何度か繰り返すと小鉢(や湯呑)の中身は確実に減っていく。
少しずつ水位が下がっていくのが確認できると、よしよし、飲めているねと安心できた。


 スプーン一杯だけなのに、祖母はおいしいと言ってくれる。目を閉じて口だけ開けている姿は無防備で、わたしのことを信頼しきっているみたいだった。ごくっと飲む姿がかわいいからなのか、こんなに年を……とせつなくなるからなのか。鼻の奥がツーンとするような、なんとも言えない気持ちになってくる。



祖母と目が合う。
わたしが微笑むと、祖母もふわっと笑い返してくれる。

わたしは考えすぎだ。きっと、今あるのはそれだけ。


 わたしは毎日スプーン一杯すくっては飲ませ、一杯すくっては飲ませを繰り返した。これが、祖母の命を明日へ繋ぐことになるんだ、と小さな使命感を持ちながら。

スプーン一杯、されども命の一杯だったのだ。


飲ませるのに使いやすい小鉢


母が撮ってくれたから、ぼんやぁとした写真だ。




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