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SNSを通じて出会えた全ての方々へ! 感謝と伝えたいメッセージ(第二部)

 ごきげんよう、皆の者!
 わらわは蝦空千鶴こと、ちーちゃん先生である!
 またお会い出来て嬉しい限りじゃ。

 今回は前回の続きの第二部である!
 前回の第一部は↓から読めるので、

 まだ拝読されておらぬ方は是非読んでくださいませじゃ🌈✨

 さて、今回のnoteは前回とは打って変わって、
noteユーザーの紹介がメイン、ほぼ9割となる。
 なぜnoteユーザーを紹介するのかと申すと、
実は前回のnote記事でも述べたように、
蝦空が2021年にTwitterを始めてから、定期的に来てくれたことや、
リツイートしてくれたり、宣伝してくれたりしたからじゃ。
 よってそのお礼である!
 今回のnoteの長さとしては……、
前回と同じくらい長くなってしまうが、
それでも最後まで付き合ってくれたら、
わらわとしても嬉しい限りじゃ(⁎˃ᴗ˂⁎)
 とはいえ、中には忙しくて全てを読めぬ方もおるので、
無理に全部読もうとは思わず、
気にせず一部の紹介を少しだけでも読んでくれたら嬉しい🌈✨

 なお、前回に続いて、ただの一般的な紹介ではなく、
初見でも読んで少しでも得するような体裁になっておるはずじゃ🌸✨
 かなり幅広く掘り下げて書いておるので、
これを読んであなたも是非、脳汁を流して欲しい。
 では早速スタートである!




☆noteユーザー紹介!



 

・金木犀殿の紹介!

 まず最初にご紹介するnoteユーザーは金木犀殿である。
 金木犀殿は、蝦空がTwitterを始めてから定期的に読みに来てくれて、
時々リプライ――つまりコメントを投稿してくれたりもした。

 おそらくわらわのフォロワーであれば、
知ってる方は多いやもしれぬが、
彼はなんと……知る人ぞ知る植木職人である。
 植木職人というのは、
いわゆる造園関係の業種になるのじゃが、
時には庭師と呼ばれたりもする。
 こっちの分野に関しては、
実のところ蝦空はまったくの専門外なので、
もはや知ってる知識の範囲内でしか語れぬが、
そこはすまぬ。
 さて、植木・造園業は、
いわゆる一次産業の農業や漁業と同じように、
会社経営つまり法人と、
家族でやられてる個人経営・個人事業主の2種類じゃ。
 かつては会社に所属していたけど、
独立して個人経営されてる方も少なくない。
 一つ申せるのは、
10年以上前に会社法の改正の関係で、
今や有限会社というのはほぼなくなった。
 あるところはあるが、
日本からは徐々に完全に消えつつある。
(まぁ当然じゃが)
 だから家族で一応は形上でも、
『株式会社』として経営されてる方もおる。
個人事業主と違って会社として経営するというのは、
それなりのメリットはもちろんある。
 代表的なのは、
土台となる資本金も、
今や300万~1000万強で済んでしまうということ。
 それから節税や、その他コスト削減出来るといったところじゃ。
 個人事業と違って、とんとん拍子とは言わぬが、
銀行からの融資というか、
資金調達に関しての負担が軽くなる等々じゃな。
 もちろん、会社経営ならではの超面倒くさいことも当然あるが。
 会社経営をされるなら、
ある程度経理に精通してる方が一人いなきゃいけないとか、
任せた人がよっぽど信用出来る人かどうかとか云々かんぬん。
 それを申してたらキリがないのじゃが、
 それはさておき――。
 で、その植木職人の金木犀殿は……noteでは不定期に、
投稿をされておる。
 内容は植木に関する小難しい話などではなく、
単純に些細な日常などを綴られておる。
 ただ、蝦空がかなり印象的だった金木犀殿のnoteは、
毎年(?)の夏頃になると、
金木犀殿は自家製の梅酒を作った、
といった記事を投稿される。
 よくある内容のようで、
実はこれが意外と蝦空にとって印象的だったのじゃ。
 ちなみに、蝦空は梅酒というよりは、
梅サワ―(ノンアル)派やもしれぬ。
 梅酒と梅酢は作る過程が若干似てると蝦空は思う。
 氷砂糖までは同じじゃが、
その後に投入するものが、
米酢なのか焼酎あるいは、
ホワイトリカーなのかの違いじゃな。
 自宅で梅酒を作るとなると、
よっぽどのお酒好きでなければなかなか量が減らない。
というのも梅酒は確かに美味しいが、
調子にのってジュースみたくグビグビ飲むと、
後からずっしりと地味に変な酔いが回ってくる。
 むろん人によりけりじゃが、
例えば梅酒の5リットルを、
一度作っちゃえば約半年近くは持つとも言われておる。
 一番早く飲み終えるとしても、
二ヶ月ちょっとか――それより圧倒的に早いとなると、
それは相当の飲んべい(超お酒好き)ということじゃ。
 そんでもって地味に量が減らないもんじゃから、
『来年からはもう梅酒なんぞ作らんでCHOYAのアレで我慢しよう』
と思うのじゃが、
それでも結局ついつい作ってしまうのが、
梅酒の凄まじさでもある!
 はっはっはっはっはっ🤣🤣🤣✨
 というわけで、
金木犀殿は日常のあれこれや日々自分が思っていることや、
感じていることなどを不定期に投稿されておる。
 金木犀殿から学べることは、
人間の価値観というものが、
どれだけ違うものか――気づかせてくれるということ。
 人間なら価値観が違うなんてものは当たり前なことじゃが、
(蝦空千鶴はそれ以前に人間ですらないが)
人間界では価値観の違いというものをわかっていても、
意外と忘れがちである。
 自分にしかないものもあれば、
自分には欠如している部分も当然ある。
 人それぞれハンディと呼ばれるものもある。
 人間はわかりあえるようで、
わかりあえないものじゃ。
 だからこそ人間であり、
 それもまた人間界の真理。
 ただ、さきほど述べた梅酒の作り過程ではないが、
結局はどの人間も、
目標としていることは違うけど同じってことじゃ。
 ということで、
金木犀殿のnoteは色々と考えさせてくれるので、
是非読んでみて欲しい!




 

・毎回スキ制限お馴染みの“みつま殿”の紹介!


 さて、次に紹介するnoteユーザーは、みつま殿である。
 みつま殿も、定期的に蝦空のツイッターに来てくれた一人じゃ。

 みつま殿についてじゃが、
その名前の通り、
毎回スキ制限の四天王の一人じゃ。
 さて、このスキ制限とは何かと思う方もおるやもしれぬ。
 これは単純にスキに制限がかかるだけではなく、
コメントがなかなか反映されない
自分のnoteだけが更新出来ない等々じゃ。
 noteは定期的に規約を変えており、
昨今ではスキを連続で30ちょいすると、
規制を喰らったりするらしい。
 (これは余談じゃが、
Twitterで短時間にスキの連発をしまくると一時凍結され、
Instagramは質が悪いことにBANしてくることもある)
 まぁ大概は、noteの場合、12時間ちょい経過すれば、治るのじゃが、
なぜか常にnote内で制限をくらってる方もおる。
 その一人が、みつま殿である。
 もちろん、みつま殿以外にも、
スキ制限をくらってるnoteユーザーがおり、
詳しくどこの誰とは申さぬが、
たとえば……えーっとぉ……えーっとぉ……、
……たしか……、
真夏の不倫(?)というタイトルじゃったような気がするが、
(名前を間違えてたら誠にすまぬが;)
その連載だか長編小説を書かれてて、
なおかつnote引退宣言5連覇を達成した某前田ザウルスのおばちゃんや、
スキしまくりと相互フォローが、
どうたらこうたらといったテーマのnote記事を投稿されてる、
某ゆかりという名前の姉ちゃんや、
あと……えーっと……、
……たしか……某ふゆにほたるは見れないおっちゃんだったかな?
 (ちゃんと“某”と付いておるから、
一体どこの誰のことかは絶対にわかるまい)
 という感じで、
他にもnote内のどこかかしこかで常にスキ制限をされてる方がおる。
 はっはっはっはっはっ!🤣🤣✨
 まぁまぁまぁ!
 まぁそれはさておき。
 スキ制限される原因として、よく挙げられる代表的なものとしては、
★相手のnoteをロクによく読まず、大量にスキし過ぎた結果や、
(↑ 某ゆかりの姉ちゃんが、これに該当)
★コメント欄の過剰な書き込みや、
(↑ 某ザウルスおばぁが、これに該当)
★デリカシーのないコメントを超連発
(↑ 某ほたるオヤジがこれに該当)
 などなどである。
ふっはっはっはっはっ!🤣🤣🤣✨
 まぁまぁまぁ😂
 とはいえ。
 noteは今でもかなり不具合だらけじゃから、
たまたまその人だけが、
制限を喰らってるということも十分考えられる。
 みつま殿に関してもそうじゃ。
彼はスキ連発をしてるわけでもなく、
コメント連投をしてるわけでもなく、
どれにも該当せず、なぜスキ制限されるのか、
やはり理由がまったく不明なのじゃ。
 まぁそこがnoteの未完成な部分の一つともいえる。
 さて、みつま殿のnote内容そのものについても語っていきたい。
 みつま殿は、主に"心"――それも人間のエゴをテーマにした詩を、
多数投稿されており、コアな読者がかなり多かったりする。
 ちなみに、みつま殿の別名はエゴイストみつま、である。
以前、本人が話しておったが、
どうやら、みつま殿は――。
 太宰治からかなり影響を受けているとのことらしい。
 だからなのか、
みつま殿の詩を読んだ後は、
一つ一つ考えてしまう感慨深さがある。
 もちろん、それだけではなく、
みつま殿は普段学ばれてる哲学の要素をふんだんに取り入れてること、
人間が普段意識しない、己の内面についてを詩として繊細に表現しておる。
 さて、哲学をベースに詩を書かれてる方は意外と多いが、
実は形式的な自由詩や、
形に束縛されない散文詩などのほうが読み手側の心に浸透したりする。
 と申すのも――。
 哲学という言葉を聴くと、
まぁ大抵の人々は小難しいと思ったり感じるやもしれぬが、
詩として表現された時――。
 哲学に対する印象はガラリと変わるのじゃ。
 もちろん一言で哲学とは言っても、
西洋哲学やら東洋哲学やらギリシャ哲学やら、
その他哲学と細分化されており、
自分の肌に合う合わないは当然あったりする。
 その哲学を応用し、これまで発展してきたのが自己啓発だったりもする。
 哲学はあくまで“きっかけ”と“ヒント”の一つではあるけども、
決してそれは答えではない。
 もっとも、多くの問があるのに対して、何も答えがないこの世界で、
それでも尚、自分にとっての答えを見つけようとするのが人間じゃ。
 たとえ、それが仕事の悩みだろうと、家族関係だろうと、
恋愛関係だろうと、生き方だろうと。
 とまぁ、そんなわけで、詩を書かれて投稿するスキ制限みつま殿は、
普段は結構陽気系なキャラなのじゃが、
詩になると打って変わってシリアスになるので、
こういったギャップが、良い意味で凄まじい。
 今は以前よりも、
かなり写真の添付数が多くなっており、
もちろん詩の内容と、
花の写真が絶妙にマッチしておるので、
気になった方は是非一度、読んでみて欲しい!

 なお、彼の最近の記事はこちら↓である。



 

・じんさくら殿の紹介!


 次にご紹介する方は、じんさくら殿である。

 さて、じんさくら殿は、
数ヶ月前の去年までは体調不良で入院されていたが、
最近ようやく退院された。
 そして今も休まれながら、
地道に活動されておるようで安心した。
 なお、じんさくら殿のnoteでの記事内容・ジャンルは、
総体的に申せば、
『意識を主体とした“哲学”に、
限りなく近い独立系(Independent)』であると蝦空は思う。
 単に俯瞰的に語る哲学という枠には収まりきれるものではなく、
そこにニューエイジとしての要素が強く含まれておるからじゃ。
 実は時折、
じんさくら殿がよく申される『わかる人にはわかる』という言葉がある。
 これは、その言葉の通り、
読んでわかる人にはわかるのじゃ。
 つまり、どういうことかと申すと──。
頭で考えて読むのではなく、
意識として感覚として読むということじゃ。
 じんさくら殿ならではの独特の言い回しとかで、
ぱっと見では、
難しいこと書かれてるかと勘違いされるやもしれぬが、
実は簡単なことしか書いてはおらぬ。
 まぁこれは多くの人間の特徴なのやもしれぬが、
大抵の人間は、
表面だけをなぞって結論づける――という方が多いが、
中身を掘り起こして見ないと、
実際わからないことは沢山あったりする。
 まず『そもそも人間って一体なんなんだろう?』
って、これを読んでる方は、
必ず一度どこかで考えたことがあるはずじゃ。
 そして、おそらくその結論は、
『よくわからない』ではなかろうか。
 それもそのはずで、
『人間』というこの2文字を読んで察するとおり、
人間には、ありとあらゆる側面を持っておる。
 Aがあって、Bがあって、Cがあって、
Dがあって、Eがあって、Fがあって……というふうに。
 それら多数の側面が混ざりに混ざりあって人間なのである。
 じゃから、わらわは一昨年、
ツイッターでも述べたような気がするが、
『完璧な人間なんていない――のではなく、
そもそも完璧じゃないからこそ人間なのである』
 わらわたちがいる地球という惑星を、
多くの方々は丸い形と勘違いしているようじゃが、
実際は全然丸くはない。それと同じことじゃ。
 したがって人間は――。
自分基準として考えるのならば、
誰しも良い側面や悪い側面は当然あって、
生まれてから一度も、
誰かを傷つけたことがない――なんて方はどこにもおらぬ。
 ただ、この自分は良い奴か悪い奴か――という自分自身の、
『良し悪し』というのは、自分ではわからなく、
相手の誰かの〈基準〉で勝手に判断されたりもするのじゃ。
 この社会にある正義や悪(ついでに時間)などは、
そもそも人間が構築した概念に過ぎぬ。
 そこら辺の野生動物には、
正義も悪も良し悪しもなければ時もない。
 敵と判断したら迎撃する。
 そこが人間との違いじゃ。
 では〈人間〉と〈人〉との違いは何か。
 これは特に学術的には、
これといった深く目新しい意味はない。
 まぁあえて申すなら──。
 〈人間〉は某アジア大陸からやってきた言葉であるのに対して、
 〈人〉は日本独自に作られた。
 歩いているから〈人〉――それだけである。
 ※( 個であるか――社会という集団であるか――という意味合いも、
実はあるのじゃけれども、それはさておき)
 ただし――。
 仏教哲学の分野から申すのであれば、
〈人間〉は“主観”として、
それも動物的価値観が強く含まれる。
 一言でより簡単に申せば、
欲に対して――自己の感情に対して、
あるいは自我そのものに対して常に忠実であるということ。
 その一方で〈人〉は、
動物的価値観が削ぎ落とされ、
あらゆる場所、あらゆる時、あらゆる空間、
あらゆる角度から視野を広げて観るのじゃ。
 つまり“意識”そのものが主体となる。
 むろん意識にも多数の種類があって、
潜在意識や超意識etcとあってピンキリじゃ。
 じゃからこそ、
『正しい』とも『間違い』とも判断したりはしない。
 わらわが説明した言葉の意味、文章の意味は、
わかる人にはわかる――じんさくら殿の名言じゃ。
 たとえばじゃが──。
 今この文章を読んでいるあなたは、
お墓参り・法要・法事で、
数珠を持って必ず両手を合わせて、
それから然るべき読経を行うじゃろ?
 その両手を合わせる──というのにも意味がある。
 ※ ( 禅宗(臨済宗や曹洞宗)を例として申すが )
 仏教ではそもそも人が死ぬという言葉を嫌うため、
他界もしくは往生を使う。
 (日本古来の神道においては、
帰幽(きゆう)という言葉を使ったりしたが、
昨今ではあまり聞かれない)
 両手を合わせること、
あの世――つまり極楽浄土には、
上下左右という概念はないからなのじゃ。
 当然のことながら、あの世に後ろもなければ正面もない。
 ※ (余談じゃが『かごめかごめ』という童歌は、
水子供養を言霊の歌とし、
“あの世”と“現世”を逆さ言葉を用いて出来たとも言い伝えられておる。
よって後ろに正面はない)
 あなたが今いる場所は、
仏教でいうところの──。
三千大千世界の人間界(南瞻部洲)であり一人の人間じゃ。
〈人間〉じゃからこそ、
誰しも生まれながらにして今日まで完璧ではない。
 完璧ではないからこそ、
人工知能のAI・AGIが人間を超える――なんてことも現段階ではない。
 なぜここでAIが出てくるのかって? 
 AIはやがて人間を越えるという意見が、
少なからずあるからじゃ。
 とはいえ、AIやAGIが、遠い未来において、
人間の計り知れぬ進化を遂げるのも間違いないのじゃ。
 少しここで余談になるが、
まず有名どころで申すと、
現在、写真投稿などでお馴染みの、
SNSの一つであるInstagram(インスタグラム)の親元である、
旧Facebook社(現メタ)が開発したメタバースというのが存在し、
今この文章を読んでいるあなたも知っているか、
もしくは聞いたことはあるはずじゃ。
 あれに関していえば、
未来における先端科学技術と、
AI技術における進歩のきっかけの一つに過ぎない。
 ただ、きっかけだけで申せば、
それは特別メタに限ったことではなく、
旧GAFA──つまり、
現GAMMAもAIの進歩に力を入れてるし、
自動車産業じゃってAIに力を入れている。
 AI は現段階において、まだまだ発展途上中じゃ。
 じゃがしかし──。
 これからの未来、
どうしても必要不可欠となるエネルギーが待ち受けてる。
 地球規模で考えて、
今後のAIやAGIに必須となってくるのが、
人間の能や産業用コンピューターでも予想予測が完全に不能な、
超小型化した量子コンピューターなのじゃ。
 じゃが、現在における量子コンピューターは、
たしかに存在するが、
あまりに大型かつ必要以上にパワーを消費するため、
どこか現実味がない。
 そこでどうしても必要となってくるのが、
“核融合エネルギー”である。
 今これを読まれてる方に勘違いしないで申しておきたいのは、
デメリットの多い“核分裂”ではなく、
核融合であるということじゃ。
 言葉ひとつで意味が全然違ってくる。
 一瞬“核”と聞くと、
多くの人々は怖い例のピカを頭に浮かべて、
反射的に敵視するやもしれぬし、
実際アメリカや旧ソ連(今ではロシア)が、
何十発もの核実験で世界を震撼させたことも事実じゃ。
 まして日本は広島と長崎に落とされておる。
 咄嗟に、条件反射で『そんなの嫌だ』って思うやもしれぬ。
 ただ、冷静に考えればわかるはずじゃが、
この地球上どころか、宇宙規模で考えると、
核/原子力そのものが全くない世界はなかったりする。
 あの太陽でさえ中心核における核融合反応で、
何十億年も長く活発に活動しておるのじゃ。
(……まぁその太陽も、
いずれ50億年後には内部にある水素が完全に尽きて、
肥大化を開始し、
やがて最終的に太陽は超赤色巨星から白色矮星へと変化を遂げ、
ぎゅっと縮小して黒色矮星となり、
粉雪のように消滅するが)←(これは余談じゃ。)
 今の地球文明では、
なんとか石油や天然ガスといった化石・化学燃料、
あるいは天然資源やその他自然エネルギーで、
なんとか活動してはおるが、
やがてそれにも限界を迎えてしまう。
 現在地球の科学技術/地球文明は、カルダシェフ・スケールで換算し、
区分すれば、およそ宇宙文明から観て、レベル7段階中の、
たった0.7……正確には0.72である。
 つまり地球は宇宙からみて、まだまだ生まれたての赤ん坊なのじゃ。
 今の地球文明のLevel 0.7 を 0.1 上げるためには、
地球の総エネルギー量を今よりも更に10倍上げねばならぬ。
 たった0.1上げるだけでも、地味に大変な努力と忍耐力が必要となる。
 さて、核という言葉を用いておるが、
嫌悪感が払拭出来ねば、ひとまずここではアトムでもいい。
(とはいえ実際英語ではNuclear fusionじゃが))
 ただし──。
 アトムの有効活用は現在進行形で、
やはりまだまだ議論が紛糾しておるため、
AI・AGI技術が本格的に進化し、ロボット開発、
さらには先端医療・再生医療技術や、
宇宙開発などが脅威の進化を遂げていくのには、
多く見積もって約200年~300年後とも言われておる。
 つまりまだまだ遠い先の話というわけじゃ。
 今話したこれらは余談で、話がちょいと逸れたけども、
このように現代のAIは、人間たちにつくられ、
全然完璧ではないからこそ出来ることと、
出来ないことの差が激しいということじゃ。
 そんな完成されてもいなければ完璧でもないAIを作っている、
完璧ではない人間という生き物は、
自分は何かをわかったようで、
実は何もわかってなかったなんてこともある。
 というか、人間という生き物が、
たった100年近くの至極短い人生で、
学べることなんて微々たるものに過ぎぬ。
 じゃからこそ、人間は、
(蝦空は、そもそも人間でも人でもなく鶴じゃが)、
あの世にいくまでが常に勉強であるということ。
 じんさくら殿は、普段人間たちが意識しないであろう部分、
あるいは見過ごしてしまうであろう部分に、
強く焦点を当てておる。
 この文章を読まれた方は、
是非一度じんさくら殿のnoteを読んでみて欲しい! 
 あ、あとこれは、ちょいと蝦空のお節介話になるが、
じんさくら殿だけではなく、
この文章を読まれてる全ての方々にも言えることなのじゃが、
Twitterはスマートフォンだけでなく、
PCを効率的に利用すると良いやもしれぬ。
(ラップトップ・ノートPCなら、
14インチ~17インチがお勧めじゃ)
(ただし、外で持ち運びを考えるなら14インチがお勧めじゃ)
 まずPCとスマホで見比べたら一目瞭然じゃが、
Twitter画面のレイアウトが全然違うのじゃ。


PCから見た『じんさくら殿』のTwitter光景1


PCから見た『じんさくら殿』のTwitter光景2

 更にPCだとスマホと違って、
目にかかるストレス・負担が軽減される。
 昨今では、昔と違ってブルーライトが、
デフォルトでかなりカットされておるので、
普段からTwitterを使われる方は、
PCでの利用も検討してみると良い!

 ということで、最後話が逸れたが、
じんさくら殿の記事はこちら↓である。
気になった方はぜひ読んでみてください。



 

・フジミドリ殿の紹介!


 次に紹介する方は、フジミドリ殿である。
 もはや蝦空の読者では知ってる方は多いやもしれぬ。

 さて、フジミドリ殿についてなのじゃが、
とても紹介しきれないほど語る内容が多いので、
ポイントを抑えながら、
知らない方のために説明をしていきたい。
 まず、『フジミドリ』――という名前を聞くと、
おやって思う方もおるやもしれぬ。
 そう、あの野性の蝶(シジミチョウ科)のフジミドリシジミじゃな。
 では、そのフジミドリシジミに由来して、
出来たのか思ったら実は全然違うのじゃ。
 これは偶然なのか蝦空にもわからぬ。
 名前の由来については、
フジミドリ君本人のプロフィール、
3分で読書感想文を読んでいただければわかると思うが、
にも書かれておるが、
今は亡き奥様のミドリ殿いてこそである。
 詳しいことはもちろん彼のnoteを読んでほしいのじゃが、
『フジミドリ』という名前は、
どこかこうアンデルセンの童話に出てくる蝶のように、
儚くて素敵な名前であると蝦空は思う。
 さて、フジミドリ殿の記事内容を紹介していきたい。
 基本的には主に意識の在り方中心ではあるが、
一般の方が意識というワードを聞いても、
どこか漠然としていて範囲もピンキリである。
 では、そこに『在り方』という三文字がつけば、
いかがじゃろうか?
ある程度察する方は多いのではないじゃろうか。
 彼は時に「西遊記」というnoteユーザーとしても、
平行して記事を書かれておるが、
そこで時々出てくるのが、
『仙骨』である。
 今これを読まれてる“あなた”は、
そもそも『仙骨』とは何かを知ってるかね?
おそらく『仙骨』という言葉そのものを、
まったく知らない方は多いのではないかと思われる。
 それもそのはずで、
『仙骨』は日常的にはあまり使われない。
※(もちろん書店などに行って、
健康法などの参考書を漁れば、
『仙骨』という言葉が出てくる時もある。)
 じゃあ、『仙骨』はどういう場面、
もしくは、どういう業界で使われたりするのか――。
 一つは東洋医学で使われたりする。
(整体師もそうじゃな)
 そしてもう一つは、
アジアにおける武術で使われる。
 アジアにおける武術――と申しても、
これまた広範囲なので、日本に限定するが、
例えば、空手ってみんなご存知じゃろう。
 今や極真空手・スポーツ空手・
フルコンタクト空手といった名前で、
世界中で広まり、
オリンピックだったり、
 その他の国際大会の競技にまで発展したわけじゃ。
 これらは元を辿れば伝統派空手から派生したものじゃ。
 伝統派空手というと、いわゆる本土四大流派として、
『剛柔流』『糸東流』『和道流』、
『松濤館流』が挙げられるわけじゃが、
これらは試合形式のスパーリングではなく、
型(セイエンチン・ウンスー・サイファ・サンセール・
ナイファンチ・スーパーリンペイ・ピンアン等々)を重視する。
 で、その本土における伝統派空手の、
更なる原点が沖縄の琉球空手である。
 『首里小林流』『剛柔流』、
『上地流』といったものがある。
更にそれをもっと紐解くと、
福建省の白鶴拳とかに繋がったりするわけじゃが、
それはさておき――。
 これら琉球における伝統派空手には、
武器術もあるが、
自己の肉体そのものが武器凶器なのじゃ。
 と申すのも、これは琉球空手だけでなく、
日本全土における伝統的な古武術、
あるいは合気道の元祖である古流柔術にも、
通じて言えるのじゃが、
西洋の格闘技と違い、
筋肉・筋力が主体ではなく、
“骨”が主体となるのじゃ。
 体が痩せてて、
体格も小さいのに超人的かつ異次元な威力を出せるのは、
“骨”を上手く使ってるからじゃ。
 わかりやすく琉球空手を例えに言えば、
 『突き』――つまりパンチ一発で、
相手を一撃で仕留めることも出来てしまう。
その秘訣の一つとも言えるのが、
足の立ち位置と肩甲骨、
そして『仙骨』である。
 仙骨はただの骨ではなく、
爆発的なエネルギーを瞬時に発生させ、
余すことなく一気に外へ放出させる源でもある。
 とはいえ、人間――いや、日本人の8,9割は、
おそらく仙骨の存在すら知らないのも現状じゃ。
 人間というのは、
実を申せば日頃から無意識に骨を上手に使えてなかったりする。
 使えてなければ、
当然片方は暇になって退化し、
片方には一方的な負荷がかかる。
 骨と体は密接じゃから、
アンバランスは知らぬ間に、
体の各部位であらゆる病気を引き起こす。
 人間たちは『骨』というものを、
単純と思い込んでいるようじゃが、
実はもっと複雑で繊細なのじゃ。
 一番理想的なのは、
無意識に全体の骨を、
上手く有効活用させることじゃが、
やり方もわからなければ、
どうしていいかわからない。
 武術・武道を始めるのも良いが、
本当に上達するには何年何十年とかかるものじゃ。
 ではどうするか――。
 そこで大事なヒントを与えてくれるのがフジミドリ殿じゃ。
 フジミドリ君は、
仙骨からのエネルギーと意識というものに、
照準を合わせておる。
 もちろん、仙骨の話だけではない。
多くの人間は自分はもっと変わりたい――と思っておるはずじゃ。
 じゃが、彼はきっとこう言うじゃろう。
『あなたは変わらなくていい。そのままでいい』と。
 え? なぜ変わらなくて良いかって? 
 はっはっはっ! それは彼に質問するが良い。
 フジミドリ殿のnoteを熟読するが良い!
 まずは読んでみよう!
 おそらく意識というものと、
仙骨をこれほど詳しく表現するnoteユーザーは彼くらいではなかろうか。
 色々と面白いこともわかってくるはずじゃ。
 彼の最近のnoteはこちらじゃ。
(まだ知らぬ方は最初からでも大丈夫じゃ♪)




 

・川ノ森千都子殿の紹介!


 さて、次にご紹介する方は、川ノ森千都子殿である。
 千都子殿も定期的に、わらわのTwitterに来られ、
更に時々リツイートもしてくださった方じゃ。

 千都子殿のnoteは、ジャンルでいえば、
料理・エッセイ・フードエッセイ・
トラベル・アート・その他日常ブログである。
 ただ、千都子殿のnoteを詳しく紹介する前に、
どうしても少し触れておかねばならぬことがある。
 それは“スランプ”についてじゃ。
    (トランプではない)
 実を申せば、
このスランプの正体というものは、
心の持ちようであって、
むろん個人差によりけりじゃが、
その気になればすぐにスランプを解消、
乗り越えることが出来てしまう。
 とはいえ、スランプとどう向き合うか、
一体何が正解なのか――というものは基本的にはない。
 じゃから大概の人はあまりスランプに対してのアドバイスは、
なかなかしてくれない。
 それはなぜか?――それは答えがないものを、
安易に語ることは出来ぬからじゃ。
 じゃが、わらわは人間ではないので、
一つのヒントとなることは言える。
 これはあらゆる分野において共通するやもしれぬが、
自分は“やらなければいけないんだ”という考え方を、
一旦捨てることじゃ。 
 自分は『今日もこれをしなければいけなんだ』とか、
『ああ今日も書かなければいけないんだ』と思ったら、
やがて途中で書けなくなってしまう。
 そして、それはnoteでも同じこと。
 読者(note問わず)は、
作者がどんな気持ちでどんな思いで書いたか、
意外とすぐに察してしまう。
 言葉もまた表情としてあらわれる。
 それはまさに人間の隠れた感情が、
顔に出てくるのと同じように。
 ここで注意しなければならぬのは、
『今まで書けたのに、どうして自分は書けないんだろう』と、
追い詰めてしまうことじゃ。
これがスランプ特有の罠である。
 ネガティブの感情は負の悪循環を生みだし、
ジグソーパズルのような迷路に放り込まれてしまう。
 迷路に迷い込んだら、
光の出口を見つけることじゃ。
 実を申せば、
人間は誰しも自分のことや、
周囲のことを書く材料が豊富に揃ってる。
 ただ、日々の生活や忙しさの中で、
自分の感情や感覚を上手くコントロールしたり、
まとめたり整理したりすることが、
ちょいと苦手で──それがスランプという言葉に繋がってたりする。
更に言えば、物事をあらゆる方面で難しく考えたり、
難しく捉えたりすると、
これもまた考えや整理が追いつかず、
自分は『ああ今は何も書けないんだ』となってしまう。
 もっともスランプという言葉を、
更にもっと複雑に難解に言い表すことも出来るが、
結局のところ、物事は複雑さよりも、
簡単に思い込んだ方がメリットは充分に大きい。
 蝦空は誰に対してもスランプなんて気にするな、
と軽々しく申すつもりはないが、これだけは言える。
 noteでも作品でも、書きたくなったら書けばいいし、
書けない時は無理に書かないこと。
 と申すのも──。
 日本人は世界の中でも珍しいほど好奇心の旺盛な民族じゃ。
 しかし一方で、地域問わず、すぐに熱しやすく、
すぐに冷めやすい傾向もあるのもまた事実じゃ。
 この“熱しやすく冷めやすい”というところがポイントで、
冷めてる時は文字通り冷めてるので、
自分から見た世界の視野は狭まる。
 裏を返せば──。
 周囲の謎や感動に目を向けていれば、
常に熱は上がったままじゃ。
 この言葉の意味は頭で考えるより、
感覚で理解したほうがよい。
 で、気づいた時には、
多くのことを書いていて、
過去という後ろを振り向く暇もないような日が絶対やってくる。
 あれも書きたい。これも書きたい。
 あれもやりたい。これもやりたい。
 常にやらずにはいられなくなる日が来る──。
 結局はそんなもんじゃ。
 さて、話を元に戻すが、
千都子殿は、noteデビュー当初は、
日替わり弁当の作り方や、
季節に合ったスイーツの作り方といった記事を、
沢山というか毎日投稿されていた。
 千都子殿がフードエッセイにかなり力を入れていたのが、
蝦空にとっては印象的じゃった。
 2~3ヶ月前の記事では、
トラベルやアートにジャンルを移行して、
記事を書くとのことじゃったが、
ジャンルに関しては特に気にすることなく、
今後も千都子殿の書きたい記事(フードエッセイや、
料理レシピを含め)をわらわは読んでみたいと思う。
 と申すのも――。
 実は千都子殿のデビュー当初の文章(特にグルメ・
フードエッセイ)は、その昔『買えない味』という作品で、
Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞した平松洋子の表現を、
彷彿とさせる特徴的な書き方が印象的なのである。
 つまり、千都子殿の文章は、
ただのフードエッセイとかではなく、
人間が持つ五感を駆使した文章なのじゃ。
 これが出来る人間はnoteどころか、
どこを探しても意外と少ない。
 これはお世辞抜きの本当の本当で、
写真にしてもそうじゃが、
料理・グルメとかって、あまりにも日常的であるため、
誰でも美味しそうに書ける――と思うやもしれぬが、
実は人間の五感なんてものは千差万別なのじゃ。
 じゃから、『わたしは○○を食べて感動した』
という思いを文章にしたとき、
はたして、いかに多くの大衆と共有出来て、
共感を得られるか――がポイントなのじゃ。
 この人間が持つ五感――それも普遍的な五感の真髄を、
明快かつ端的に表現出来る一人が、
川ノ森千都子殿だと蝦空は思う。
 ということで、千都子殿の最近の記事は↓である。
気になった方は是非読んでみるが良い!




・志彌 -ゆきみ- 殿の紹介!


最後にご紹介するのは、志彌 -ゆきみ- 殿である。

 最後を飾るのはゆきみ殿である。
ゆきみ殿について語っていきたい。
 実を申せば彼女は、
わらわの数少ない古参フォロワー・つまり――。
 古株の一人じゃ。
 わらわは2019年の5月にnoteを開始したのじゃが、
当初から付き合いのあるフォロワーは、
一部を除いて、ほとんどおらぬ。
 というのも――。
 一番初期の方々は月日が経つごとに、
一人また一人と退会をされて消えていった。
 寂しくないと言ったら当然嘘になるが、
これもまた人間界での出会いと別れというものである。
 そして別れがあったかと思ったら、
また出会いがある――その繰り返しなのじゃ。
 で、そんな中でも、
ゆきみ殿は陰ながらも、
蝦空を応援してくれていた一人でもあるのじゃ。
 わらわへの『おかえりなさい』の記事を発見した時は、
もの凄く嬉しかったのじゃが、
肝心なnote尊師の、
お知らせ機能が全く作動しなかったことで、
発見が遅くなってしまった。
 改めて、ここでもお礼を申し上げたい!
 あの時はありがとうございま鶴じゃ!
 さて、ここで、ゆきみ殿のnoteを紹介したい。
 ゆきみ殿のnoteジャンルは、
一般的なエッセイ・日常ブログとかではなく――。
文芸をテーマとしたことをはじめ、
占い(オラクルカード/タロットカード) から、
人間の深層心理と幅広く、
いわゆるニューエイジそれも、
ヒーリング・スピリチュアル指向の、
Independent つまり、
独立系ジャンルではなかろうかと蝦空は思う。
 ゆきみ殿ご自身も申されておるが、
エッセイのような、あるいはそうでないような内容が多いのじゃ。
 ちなみにニューエイジについて、
実を申せば、蝦空も要素が含まれておるため、
意外と関わりは強い方じゃ。
 ゆきみ殿のnoteは、
かなり広範囲な分野にまたがって視野を広げて書いておるため、
noterの中でもかなり特殊な方じゃ。
 そしてなんと!
 彼女は毎日投稿どころか、
一日に2投稿、凄いときは3投稿もされておる。
 そんな中で今回は、
ゆきみ殿のnoteすべて紹介──というわけには、
さすがに尺がなんぼあっても足りぬので、
ゆきみ殿の最近のnote記事と照らし合わせて、
“ヒーリング”をテーマに、
ご紹介および語っていきたい。
 この文章を読んでいるあなたは、
ヒーリングって聞くと真っ先に何が浮かぶじゃろうか?
 おそらくじゃが、まず最初に浮かぶのが癒し・セラピーだとか、
あるいはマインドフルネス・
マインドセットだとかが浮かぶのではなかろうか?
 それに付随して、どこかこう……ほんわかとした、
総体的なスピリチュアルとかが浮かぶのではなかろうか?
 はっはっはっ! それは概ね合っておる。
 まず日本国内における現代スピリチュアルは、
日本独自のものなのかどうか疑問に思ってる方もおるはずじゃ。
 そしてその答えは、
『そうでもあり、そうでもない』じゃ。
 え? それってどういうことっ?…っておもうじゃろ?
 つまりどういうことかと申すと──。
 今、日本で(noteも含めて)ブームとなっている現代スピリチュアルは、
日本独自のものじゃ。
 しかし──それは古くからあった日本の文化ではなかった。
 現代スピリチュアルの原点──発祥地とされる場所は、
20世紀中頃のアメリカ西海岸なのじゃ。
 それこそが本格的なニューエイジの始まりである。
 ニューエイジは、かなり複雑でややこしいため、
一言ではとても言いきれぬが、
あえて申すなら、自己意識変革運動であり、
かつてはアメリカ国内におけるカウンターカルチャーの一つじゃった。
 ……とはいえ、今ここでニューエイジ誕生に至った経緯を、
詳しく話すとなると、それはもうなまら長くなってしまい、
更に今度はニューエイジと伝統的神秘主義との繋がりやら、
ヒッピーカルチャーと、
ビートジェネレーション文学の繋がり具体性やら、
ニューエイジ原点の一つであるダダと、
コンセプトアートの関連性……、
……からのマルセル・デュシャンといった具合に、
……深々と掘り下げたり関連づけて、
超事細かく話をしていかなくてはならぬため、
そうなると紹介どころか長い説明文章となってしまうので、
さすがに、ここでは一旦割愛させていただくが、
そこはご了承・ご愛嬌。
 とまあ、そんなわけで、
ニューエイジが世界に知れ渡り、
やがてそこからイギリス独自のスピリチュアル文化が融合し、
日本に入ってきて、日本で新たな進化を遂げたのが、
今をときめく日本の現代スピリチュアルじゃ。
 ふっはっはっはっはっはっはっ!!!😂🤣🤣✨
(なまら説明端折ったが、すまぬ🤣✨)
 さて、ゆきみ殿や、
その他のヒーラー/スピリチュアリストらと、
大いに関係した話となっていくが、
多くのニューエイジに携わる者たち……、
ヒーラー/セラピスト/スピリチュアリスト/占星術師(あるいは、
ニューエイジャ―そのもの)には、
ある種の共通点があるのじゃ。
 それは、彼ら彼女らには固有の文法を継承しない、
更には持たない、ということじゃ。
 ほんのちょっとだけ話を戻すが、
ニューエイジというのは、
革新アートの先駆け……イタリア未来派やダダのように、
正式な誕生宣言というものがあったわけではないのじゃ。
 むろん起点はある。
(形上はシャーリー・マクレーンではあるけども)
そこから以降は派生を次々と繰り返していったのじゃ。
 文法を継承しない/持たない、の言い方を変えるなら、
基盤となる骨格/骨組みがないのじゃ。
 (あえて文法のことを、“基盤となる骨格”と表現した)
 ただし、魂――つまりコアの部分はちゃんとあるのじゃ。
(コアというのはヒーラーとして(あるいはその他)のコアのことじゃ)
 器があって、コアの部分もちゃんとあるけど、
骨組みはない。
(もちろんこれは悪い意味とかではない)
 じゃあ、わらわ――蝦空千鶴を含めて、
多くのアーティストらはどうなのかと申すと、
実はなんやかんやで、
どんな変わりもののアーティストであれ、器とコアはもちろんのこと、
基盤となる骨格がある。
 じゃからこそ、それに基づいて1つの作品を仕上げたりする。
 場合によっては、新たな創作集団を結成したりもする。
 その一方で――。
 ニューエイジ系は誰かと組んで何かを〜といった概念がないのじゃ。
 ちょっと回りくどい言い方になってしまったが、
ニューエイジおよび現代スピリチュアルは、
伝統的固有の文法を持たないからこそ、
半世紀近くが経ってもなお、
派生という名の進化をし続けていくのじゃ。
 言うなれば、“自己意識運動の一つ”だからこそ、
ヒーリング/スピリチュアルは、
今もなお止まらぬムーブメントなのじゃ。
 わかりやすい例をあげればセラピスト(なおヒーラーとも呼ばれる)は、
人間らしく生きる――ということより、
どちらかといえば、
自分らしく生きる――ということにフォーカスをあてあわせておる。
 かなり前の話じゃが、
とあるnoteユーザーでHSP持ちで、
かつエンパス研究をしているセラピストが、
わらわにこう申してきたことを覚えておる。
 ――『少なくとも、この私は普段人間として生きてはいますが、
仕事の時は人間としての主観や価値観から逸脱するのです。
それは宇宙的存在の一つとして人々を眺めるのです』――
 最初聞いた時は、すぐにはわからなかったが、
言葉を冷静に分析していくと、
おそらく彼女の言葉は、
宇宙を基軸とした脱同一視のことを、
言い表したかったのやもしれぬ。
 これはあくまで一例じゃが、
このようにニューエイジに携わる方の多くは、
ある種、“人”になることを目標および目的としておる。
(辿り着けるかは別として)
 さて自分らしく――という言葉を蝦空は申したが、
ぱっと聞いただけでは、
どこか軽快な言葉のように思うやもしれぬ。
 じゃが、考えてみるがよい。
 本当の自分らしさとは何かを追求すると、
……そもそも自分って何だろうという疑問が湧き、
結局それって人間らしさじゃないの?……っと、
結論づけたくもなるはずじゃ。
 じゃが、意外にも自分らしさと人間らしさは、
似ているようで、まったくの別物じゃ。
 ここから徐々にまとめに入っていくが、
多くのニューエイジャ―(もしくは、それを生業としてい方々)は、
通常の一般的な方々のように、
相手の意見を真っ向から否定しないのが共通点である。
(かと言ってすぐに肯定もしない)
 この文章を読んでいるあなたは、
一度は誰かに何か相談事とかをしたことがあるはずじゃ。
 すると相手は大概まぁ自信ありげに、
『Aをするといいよぉ〜』とか、
『Bをするといいよぉ〜』みたく、
主観的にアドバイスしてあげたりする。
 これは人間界における普遍的なものじゃが、
当然相談を受けた相手は自分が正しいと思い信じ、(常に)
無意識下で『自分はこれで上手く成功出来たのだから、
あなたも出来る/こうあるべきだ』と思っていたりする。
 アドバイスどおりにやってみたら、
なぜか上手くいかなくて、
結局、相談相手からも否定されたり怒られてしまう。
 でも、正解や間違い――というのは、この世にはないから、
何をすれば良かったかは誰にもわからぬ。
誰かに否定されるのが嫌だからギクシャクしたりもする。
 ストレスは溜まる一方で負の連鎖。
 更に申せば――。
 人間は……というより世界の中でも日本人が一番わかりやすいが、
相手から否定をされればされるほど、
実はかなり燃え上がる習性がある民族なのじゃ。
 言い方を変えれば、
否定されれば否定されるほど、強く反抗してしまう民族なのじゃ。
(特に今の世であれば尚更のぅ)
 真っ向から否定したくなる気持ちもわからないでもないが、
それは時として強いマイナスに作用してしまい、
やがて時として相手を破滅のドン底へと、
突き落としてしまうこともあるのじゃ。
 相手の役に立ちたい、誰かの相談に乗ってあげたい、という時は、
まずは相手の話を冷静に聞いてあげること。
 おそらく、その際に相手の話の内容から、
ところどころ矛盾のようなものを感じ、
“突っ込みたい”という衝動に駆られるやもしれぬが、
それは人間特有のエゴであり欲……煩悩じゃ。
 仏教における言葉の一つ、カルマというのは、
あくまで人間社会(人間道とも言う)における真理である。
 あらゆる角度から相手の内面を観察し、
あらゆる角度から相手の話している内容を精査してみること。
 状況に応じて話を聞いてあげるだけでも、相手は安心する。
それが無言の理解である。
 今この文章を読んでいるあなたは、
人間という動物ではあるが、
それと同時にあなたという“人”でもあるのじゃ。
 実は誰しも、ありとあらゆる可能性を持っておる。
ただそれに気づいておらぬだけじゃ。
 じゃからこそ、今あなたにおすすめしたいのは、
時に人間らしく、時に人らしく、
そして幅広い視野で多くのことを執筆し、
毎日投稿されている“ゆきみ殿”のnoteを是非読んでみて欲しい。
 ゆきみ殿の読者ターゲットは無限じゃ。
HSP/エンパス系持ちの方はもちろんのこと、
スピリチュアルに携わる者、芸術に携わるもの、
詩や文芸文学に携わる者――多くの方に読んで欲しい。 
 ということで、長くなったが、
ゆきみ殿の最近のnoteはこちらじゃ。よろしく!




 ☆ 今回のnoteまとめ


 ということで、noteフォロワー紹介ならびに、
第二部はこれにて終了である。
 わらわの紹介noteは、いかがじゃったろうか?
 あなたは、ちゃんと無事に脳汁を流してくれたじゃろうかの?
 ふっはっはっはっはっはっ
 まぁわらわにしても珍しく、
とても長い紹介noteじゃったと我ながら思う。
 あまりにも長くなってしまったために、
『第一部』と『第二部』――つまり前半と後半に分けたのじゃ。
 それでもやはり長いことに変わりはないが、
これも蝦空の一つの個性じゃと思ってくれたら幸いじゃ
 はっはっはっ
 ともあれ、
ここまで時間を割いて読んでくださった全ての方々には、
心から深く感謝を申し上げたい。
 前回の第一部でも述べたやもしれぬが、
今後のわらわはラノベ&アートの投稿はもちろんのこと、
更に羽の幅を広げて、多くの方を楽しませていきたい。
 これも蝦空千鶴のチャレンジ精神である。
 次回のnote更新も是非楽しみに待ってるが良い!




 

★《今回のnote制作環境》


 ・使用したPC: DAIV 5N (mousecomputer)
 ・使用したOS: Ubuntu Studio 22.04 LTS (Jammy Jellyfish)
           Artix OpenRC ( Arch Base Rolling-release)

  ※(仮想ではなく、マルチブート環境で交互に使用)




 ということで今回の蝦空noteは、ここまでである。
 ご清聴誠にありがとうございました!
 ではまた! アデュ!


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皆様からの暖かな支援で、創作環境を今より充実させ、 より良い作品を皆様のもとに提供することを誓いま鶴 ( *・ ω・)*_ _))