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【ザ・辞世】 第1回「露とをち…… 豊臣秀吉」

露とをち 露と消へにし わが身かな
     浪速のことは 夢のまた夢
                  豊臣秀吉

中公新書「辞世のことば」中西進著

 晩年、醍醐寺(京都市山科区)の花見で唄ったとされる。

 音読する。

 うん。
 どこか可憐で、なにか寂しさ、儚さを誘う一句である。
 冒頭から韻を踏む。
 ぐいっと惹きつける。
 そして、下の句で、世の、あるいは人の儚さを余韻と共に詠い上げる。

 五大老ぉ、かんにんやで、ホンマに秀頼のこと頼むわ、ワシもう長いことあらへんさかいに……。
 そんな老太閤の哀願とも取れる唄だ、と思っていた。

 そう、あの間違いに気がつくまでは……。

 ところで、辞世とは、辞書によると以下のとおり。

死にぎわに詠(よ)んでこの世にのこす和歌・俳句。もと、この世に別れを告げること。死ぬこと。

「国語辞典」 岩波書店

 信長、秀吉、家康……、
 戦国の三傑、この三人の中で私は、秀吉により惹かれてしまうのである。
 なぜか。
 信長は守護代、家康は豪族という「家」に出自を持つ。
 ところが秀吉は、裸一貫、貧しい百姓(足軽)から身を起こし、最後には天下をその手中に治めるのだ。
 まさに、ジャパニーズドリームの体現者、なんとも愉快。
 夢のある話は、単純に面白いのだ。

 音読する。
 露とをち 露と消へにし わが身かな

「露」といえば、朝。
 朝は、夜陰を退け、再生が始まる、そんな営み。目覚めた生命が、若さを、輝きを存分に誇示する。
 一方、「露」は、夜中、足掻きながら草木にしがみつき、やがて陽を浴びて、地に落ち、消える。
 朝日がさして、これと入れ替わるように、露が地に還る。
 もうすぐ、世が入れ代わる……。
 自らを「露」になぞらえ、「消へにし」で政権交代を儚んだ。
 甚だ平板ではあるが、意味としてはこんなところであろうか。

 ここまで、諦めや達観が滲み出る、しおらしい太閤である。
 だが、やはり、このおっさん、只者ではなかった。
 下の句から、天下人秀吉の、怒涛の「反撃」が始まるのである。

 *  *  *

 ——織田がついた餅……、ワシがこねたんや……

 さておき……。

 源頼朝は、鎌倉幕府を開いた人。
 足利尊氏は、室町幕府を開いた人。
 織田信長は、桶狭間で今川義元を討ち取り、本能寺で暗殺された人。
 徳川家康は、江戸幕府を開いた人。
 ならば秀吉は……。
 そう、太閤豊臣秀吉は、「天下を統一」した人なのである。
 天下統一をその人物評に使っていいのは、秀吉、ただ一人なのだ。

 *  *  *

 再びの、露とをち……

 下の句、音読する。
 浪速のこと『は』 夢のまた夢

 私は、長らく「浪速のこと『も』」と間違って記憶していた。
「は」と「も」……。
 鱧(はも)。
 そういえば、最近、鱧、食ってねえなあ……。

 ——そんでなあ……、大坂城……、ワシが……

 ……鱧の前に一考。
「浪速のこと」とは、大坂城を擁する地で、秀吉が天下に睨みを利かせたという意味であろう。
 つまり、天下統一のことと考えてよい。

 では、改めて、鱧について。

「浪速のこと『も』」であると、結句の「夢のまた夢」まで、澱みなく、するりと読めてしまうのである。

『浪速のことも 夢のまた夢』

「天下統一『も』、なんだか夢のようだったけど、やっちゃったていうか……」
「だよね。どうするこの後? 鱧、しばいとく?」
 天下を片付けた白ギャルのハルカに、黒ギャルのモナカが相槌を打つ。
 そして、
「行く、行く!」
 と、はしゃぎながら京阪に飛び乗り、一路、京都三条先斗町へ……。
 専門店の暖簾をくぐった二人は、鴨川の床で鱧に舌鼓をうちながら、伏見の酒を飲るのであった。
 しばかれる、鱧……。
 夜も更ける、先斗町……。

 コラ! コラ! コラ!

 おい、鱧ギャルども! 京阪の終電、めっちゃ早いんやで!
 あと、お前ら未成年やろ!
(注、京阪とは、京阪電車を指す。京都の出町柳と大阪の淀屋橋という、それってどこ? を結ぶ、大変、微妙……、絶妙な鉄道)

「浪速のこと『は』」は、あくまでも『は』なのだ。

 すなわち、天下統一と『は』、そう、いかなる意義があったのか、を問うているのだ。
『も』では、そうはいかないのである。
 だから、鱧問題は、『は』が最適解なのだ。
 ……まあ、もともと私が間違っていたのだが。
 そして、いよいよ先斗町で……、ではなく、結句「夢のまた夢」で、われらが太閤殿下の真意に迫る!

 *  *  *

 ——あとなぁ……、ホトトギス……、難儀やったで……

 ところで……。

 徳川家康も苦労人で魅力的である。
 だが、彼が天下を統一したかと言われれば、いささか腹の座りが悪い。
 二度に亘る大阪の陣があったものの、彼は比較的平穏に秀吉から禅譲された、そんな印象なのだ。そう、家康は、太平の世を開いたのだ。
 やはり、家康には「天下太平」がよく似合う。

 *  *  *

 三度の、露とをち……

 また、下の句を音読する。
 浪速のことは 夢のまた夢

 文字どおり取るならば、夢で見る夢のことであろう。
 ならば、やはりとても儚い。
 だが、夢で見る夢が、現、すなわち現実であるならどうであろう。
 つまり、「コインの裏の裏は表」の理屈である。
 夢の夢は、現実……。

「まもなく世が代わるんや! そりゃしゃあない! そやけどワシの成したことは、間違いなく現実やろ? 誰が天下を統一した? ワシや!」

 ——この儀、ゆめゆめ忘るること勿れ……

 この辞世は、今まさに世を去らんとする天下の覇者が、可憐な旋律の中に、強烈な自己顕示を忍ばせて詠い上げているのである。

「どうや、数多の武将の中で天下統一を成した者はおるか! ワシだけや!」
 天下人にしか許されない、唯一無二の一句である。

 ——織田のついた餅、こねたんは、ワシや!
 あとな、ホトトギスの機嫌を取るのホンマ難儀やったで!
 大坂城やら建てたんも、ワシや、ワシや、ワシやがな!
 おっ!
 自分……、
 ようわかっとるなあ。
 どや。
 ワシ、すごいやろ……!?

 机に突っ伏していた私は、このとき目が覚めた。
 よだれを拭って、手洗いに立つ。
「……秀吉公のご家来衆、いろいろお察しします……」
 バタンッ!

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