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名前はまだない


2024年1月10日(水)朝の6:00になりました。

当時は何という考もなかったから、別段恐しいとも思わなかった。

どうも、高倉大希です。




〇〇インストラクター、〇〇アドバイザー、〇〇セラピスト。

SNSの海を漂っていると、謎の肩書きをたくさん見かけます。


我輩は人間である。

名前はまだない。


そんな、まだない名前を求めて。

たくさんの肩書きが、生成されているわけです。


SNSが普及して、誰もが自由に発信できる環境になってから、いつしか人は「何か書いて発信すれば誰かが読んでくれるに違いない」「感動してくれるに違いない」と錯覚するようになってしまった。そして「何か書いて発信する」ときに、一番手っ取り早いのが「自分のこと」を書くことなんや。だけど現実は、「お前の話なんて誰も読みたいくない」わけです。

田中泰延、直塚大成(2023)『「書く力」の教室」SBクリエイティブ株式会社


「登場人物に名前をつける作業がいちばん苦手です」

とある漫画家さんが、こんなことを言っていました。


無難な名前をつけたとしても、「無難」という色がついてしまいます。

特殊な名前をつけたとしても、「特殊」という色がついてしまいます。


どんな名前をつけても、かまわないわけです。

だからこそ、迷宮に入り込んでしまうのです。


世間で評価されるコピーライターのなかには「うまいこと」を言おうとしている人も多い。でもぼくは、ことばの技術におぼれることだけはしないでおこうと決めていました。

糸井重里、古賀史健(2018)「古賀史健がまとめた糸井重里のこと」ほぼ日


わたしたちは、名前が欲しくてたまりません。

言い換えるなら、何者かになりたいわけです。


きっとこの傾向は、SNSの普及と共に加速しました。

何かしらの肩書きをもった人たちが、誰からでも見えるようになったのです。


自分もいいねをもらうには、他者との違いを明確に示さなければなりません。

自分だけの肩書きを、生成する必要があったのです。


彼が僕にしつこく干渉していた理由は、同じ直樹という名前だったからだと、事後処理をする大人達の会話で知った。先生が僕のことを、「直樹」と呼ぶのを聞いて、自分の名前を奪われると不安になったのかも知れない。その後、彼に怯えることはなくなった。僕を嫌う理由が分かったからだ。

又吉直樹(2023)「月と散文」KADOKAWA


名前と肩書きは別ものでしょう。

そのとおりだと思います。


わたしたちの多くは、生まれたときに名前を授かっているはずです。

それだけでは満足できないからこそ、新たな名前を欲しがります。


個人的にもっとも感動した名付けは、秋元治先生の「両津勘吉」です。

どうも、高倉大希でした。






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