「よかれと思って」がまかり通るこの世界
2024年3月8日(金)朝の6:00になりました。
親切という名のおせっかい、そっとしておくという思いやり。
どうも、高倉大希です。
BBQをしていてもっとも辛いのは、役割がないことです。
一方的に肉が与えられ、申し訳なさだけが募ります。
仲のよいメンバーであればまだしも、親睦会のような場だと最悪です。
明確な役割がないままに、どうにか場に貢献しなければなりません。
「焼きますよ」と声をかけても、「座ってて」と言われます。
トングを握るその人は、よかれと思ってそう言ってくれているのです。
教室で本を読んでいてもっとも辛いのは、寂しそうだと思われてしまうことです。
一方的に価値観を押し付けられて、気まずさだけが募ります。
放っておいてくれればまだしも、変に気を遣われると最悪です。
本のページに栞を挟んで、声をかけてきたその人の対応をせねばなりません。
「本が読みたい」と伝えても、「せっかく話しかけてあげたのに」と言われます。
近づいてきたその人は、よかれと思って話しかけてくれているのです。
BBQでトングを明け渡してくれる人は、とても優しいなと思います。
教室で本を読んでいても放っておいてくれる人は、とても優しいなと思います。
その人はきっと、よかれと思ってトングを明け渡してくれています。
その人はきっと、よかれと思って放っておいてくれています。
言わゆる「優しい」を、再現しているのではありません。
相手にとっての本当の居心地のよさを考えて、振る舞ってくれているのです。
よかれと思っているのなら、何をやってもよいというわけではありません。
よかれと思っているのなら、すべてがよいことだとも限りません。
これまた厄介なのが、やられた側は「ありがとう」と言うしかありません。
「ありがとう」と言いたいのではなく、「ありがとう」と言うしかないのです。
こうして、この世界には「よかれと思って」が蔓延します。
親切という名のおせっかい、そっとしておくという思いやり。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。