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礼儀正しすぎても困る


2023年7月29日(土)朝の6:00になりました。

子曰く、君に事うるに礼を尽せば、人は以て諂いとなすなり。

どうも、高倉大希です。




わざわざこちらの記事にアクセスしていただき、誠にありがとうございます。

みなさまの貴重なお時間をいただけることを、大変ありがたく思います。


すこしでもそのご期待に応えられる内容となるよう、尽力する所存でございます。

拙筆にお付き合いいただけることに、心より感謝申し上げます。

短い時間となりますが、何卒よろしくお願い致します。


『礼』の本質は、形式にあるのではありません。その人がそこにいる、そのことだけで、リスペクトできる、と考えるのです。わかりますか? それは、そこにいるその相手への、深い気配りであり、思いやりでもあるのです。

高橋源一郎(2019)「一億三千万人のための『論語』教室」河出書房新社


礼儀正しいことは、結構なことです。

ところが、礼儀正しすぎるのも、それはそれで困ったものです。


ときどき、礼儀正しく振る舞っていればそれでよいと思っている人と出会います。

礼儀正しく振る舞うことが、目的と化してしまっているパターンです。


礼儀正しく振る舞うことは、人と対峙する上での前提です。

年齢も性別も、まったく関係ありません。


その上で、どんな言葉を発するのか。

ここに、その人が表れます。


ぼくのチームで、ギャルソンに伝えることは「マニュアル言葉でそらぞらしいことをお客に言ってくれるなよ。自分がどれだけさもしいかを露呈するようなものだから」ということぐらいです。家庭的な雰囲気で、ありのままに自分の心を込めていれば、きっとサービスは伝わる。言葉の見かけ上のきれいさに逃げないでほしいのです。

斉須正雄(2006)「調理場という戦場」幻冬社


時に、あえて失礼な発言をした方が、よい場面もあったりします。

時に、相手をいじった方が、その人を救うことになったりします。


そんな場面でも、「いわゆる礼儀正しい振る舞い」を続けていれば、むしろ相手を困らせます。

礼儀をもってして、相手を困らせているようでは元も子もありません。


型から入ることを、否定するつもりはありません。

その背景を考えなければ、仕方がないということです。


有吉さんに「いじる側もいじられる側も同じお笑いというゴールを見ているんだから、パワーバランスは50:50だよ」と言われて、俺たちいじられる側をそんなにリスペクトしてくれているんだ!ってめちゃくちゃ感動したんですよ。

NOBROCK TV」狩野英孝さんの発言より


礼の用は、和を貴しと為す。

みなさまのご期待に添える記事ができたようで、なによりです。






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