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僕らは自身の事を考えなさ過ぎている

はじめに

大学生くらいの時からか、常に一定量のモヤモヤが自分自身の中にあり、それについて調べ考え行動してきたつもりです。その答えというか、自分の中で外に出せる状態になったため、ここにそれを記録しておきます。何を話すかといいますと、非常ん難しく捉えどころのないタイトルかもしれませんが、名づけるのなら『この世界のあらゆる勢力に対する解釈』と『今僕たちが今できることは、世界を変えることではない』を、ここに書き連ねていければと思っています。かなり長い内容になりますが、少しでも多くの人に、僕の思いが伝われば幸いです。


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政治家の皆様

きっと、僕ら国民には言えようもない。辛いことや悩みや葛藤が、あることでしょう。しかしながら事実、政治家の汚職は後を絶たず、それを政治家同士で追及し合い、その追及論争をメディアで流し、国民はそれを見て失望と落胆を感じています。ただ、あなたたちが悪役を買って出ているわけでもなければ、日本を破滅させたいと思っているわけでもないことはわかっています。ただ国民は、もう政治家という生き物に期待し羨望の眼差しを向けることを辞めてしまいました。これは何と言いますか、あなたたちが作り上げた結果の賜物でもあります。世間から好き勝手言われ、無知なコメンテーターなどから揶揄され、腹も立つでしょうし、なんでこんなやつらのために頑張らないといけないんだと思うこともあるでしょう。でも、こんな若造が言えたことではないかもしれませんが、それが政治家の定めなのかもしれないと、思っています。



ただ、あまりにも日本国民に対して不幸な政治が多すぎるのではないかと思ったとき、もしかすると政治家の皆さんですら、敵わない、逆らわない大きな力が背後にそびえているのではないかと思ってしまいます。国民を苦しめるつもりはないけど、政治家とて人間。やはり自分の命、生活、家族がきっと大切でしょう。それを捨ててまで国民に奉仕することができるかと考えたら、僕ならできません。だから気持ちはわかる。IMFの言いなりになり、アメリカの3人の権力者が政治を指示していることくらいは想像に難くありません。だからどうか、無理をなさらず、逃げてもいいと思っています。逃げても立ち向かっても、意外と何も変わりませんから。


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反政府主義の皆様

今の政治家を批判し、国を批判し、韓国や中国を批判し、アメリカを批判する皆さま。気持ちはよくわかります。僕自身も沖縄に住んでいるため、様々な国籍の方と接することが多いです。愛国心ゆえの批判であることは、重々わかります。そして、街宣車で演説を行ったり、実際に署名活動やデモなどのアクションに昇華しているのは素晴らしいことだと思っています。ただ、なんと言いますか、昔からそのやり方はずっと続いていて、実際に何か変わったんでしょうか。政府はそのデモを、街頭演説を、署名を見て、何かを感じ変えてくれたでしょうか。否、変わっていない。何も変わってはいない。つまりは、核へと届くアクションではない。では、国の核に衝撃を与えるアクションとはなんでしょうか。人を動かすものは2つしかないと言われています。『報酬』と『恐怖』です。政治家に対して国民が『報酬』を与えるのって、イメージができません。ではなにか、批判覚悟で、危険思想覚悟で言えば、『恐怖』を与えるしかないんです。



海外では、グレネードを体中に巻き付けた反政府主義者が政府施設で自爆するといった事件がたまに起こると聞きます。なんという捨て身、なんという愛国心。それをされると、政治家は、はじめて『恐怖』を感じるのではないかと、僕は思いました。決して自爆テロを起こせと言っているのではありません。ただ、正すことを目的とした、影響力の弱いアクションを何度起こしても、政府はそれに慣れないがしろにし、結果的に何も変わらないんではないかと思っているんです。大手を振って、反政府主義を掲げ活動するのであれば、『恐怖』を与えるほどの衝撃が、必要かと思います。


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SNSで政治評論をする一般人の皆様

政治の影響は、国民の実生活へと波を広げ、苦しむのは結果的に国民です。だから、皆様が怒り反発し評論したい気持ちはわかる。僕自身も政治のニュースをみる度に、言いたいことが溢れてきます。ツイッターなどにそれをしたためることもしばしば。でも、これは僕も含めてですが、僕らはただ『言ってるだけ』に過ぎないんです。政治に関心を持つことも、実際自分の頭で考え文字にし発信することは非常に素晴らしいことです。でも、結局『言ってるだけ』にすぎません。どれだけ世間に共感を得ることを発信しようとも、秀逸な考察を披露しようとも、結局は『言ってるだけ』。実際には何も行動せず、安全だと思っている場所から野次を飛ばしているだけなんです。



選挙に行って投票する以外、何かアクションを起こしたでしょうか。それこそ自分が政治家になろうとしたり、反政府勢力として活動したり、そういった言うだけではないアクションを取ったでしょうか。もちろん、実際実行に移した人もいるでしょう。素晴らしい。そういう人こそ、アクションの一環としてSNSで評論を行うにふさわしい人物です。裏を返せば、何もアクションを起こさない人の評論など誰も見ていないんです。政治家はおろか、誰も見ていないんです。怒りをあらわにし、世間にモノ申すのであれば、それができるだけの行動と実績を身にまとうことが、重要なのではないでしょうか。


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陰謀論者の皆様

陰謀論を提唱する皆さまの意見は、非常に面白いです。見ていて引き付けられますし、本当に存在するのかすらも思ってしまいます。事実、そういった陰謀が存在するところもあるでしょう。なので僕自身は、まったく馬鹿にしていませんし、否定もしません。ただ、陰謀論者の皆さんは、この国をどうにかしたいと思っているのか、それともただ陰謀論を提唱して大衆とは違う価値観や意見を持っていることを知らしめたいのか、どっちかわからないんです。もし、特に国をどうにかしたいと思っていないのであれば、陰謀論は別に提唱しなくてもいいのにと、正直思っています。何かを唱えるのであれば、それに準ずる『目的』がないといけません。その目的が、陰謀論者の方には見えないのです。



確かに陰謀論は人の注目を集めるし、面白い。話題性盛るのでお金儲けにはもってこいかもしれません。ただ、今この時代にそのバラエティはすこし、ナンセンスかもしれません。それを信じる人も疑う人もいますが、信じ行動に移してしまう人もいるでしょう。その陰謀論を提唱した人は、果たしてその行動にもしっかりついていく覚悟があって、その陰謀論を唱えているんでしょうか。ただの面白半分なのではれば、辞めた方が良いかもしれません。


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そして、これを読んでいる皆々様

これを読んでいる方の中には、少しずつ気づいている人もいるかもしれませんね。ここまであらゆる勢力に伝えたいことは書きました。そこから出てくる結論は、明らかです。もし本当に世界を変えたいなら、相手に恐怖を与える方法を実践するしかないんです。でもそれは、解釈を変えればつまり、『戦闘を行う』という事なんです。これって、『戦争』と何も変わりませんよね。ただ日本は戦争を放棄し、暴力を否定する国民性がありますから、この方法は取れません。つまり、この国の政治を変える方法はないんです。なぜなら、この国は日本であり、日本ではないから。アメリカや外国資本の言いなりになって、政治介入や企業介入まで許している。これは事実上の独裁ではないでしょうか。皆様が信じている自由は本質的には自由ではなく、自身を見失わないために無理矢理感じている仮想なのです。



決して、付け焼刃で諦めているのではありません。関心を持ち、考え、行動した結果、自分の中で導き出した結果なんです。政治を固いが戦うのは嫌だ。不満はあるが行動はしたくない。この状況が何も変わらないし、変える方法が過激思想なため、何も変えられないと思っているんです。だからこそ、『今僕たちが今できることは、世界を変えることではない』をお伝えしたいんです。世界を変えるための行動をとれないなら、変えるべきは世界ではなく、『自分への考え方』なんです。国や世界を本当に変えたいなら、前述した危険行為を犯す必要があります。0か100なんです。中途半端なことを繰り返しても、行動したという個人の優越感しか残らず、結果は何も変わらない。その100の行動をとる勇気も度胸もないのなら、『自分自身の幸福』を全力で考えていただきたいんです。



もう、中途半端なことをするのは辞めませんか。SNSで政治について批判評論をしてみたり、テレビでコメントしてみたり、小さい規模のデモをしてみたり。せっかくやるなら、100%で行動したほうが僕は良いと思っています。僕には、情けないけど、それをする度胸も根性もありません。それがわかったから、沖縄に移住し、自身が幸福だと思う状況を作りながら生きています。だから僕は、国がどうなろうが、政治家がどうなろうが、どうでもいいんです。それは放棄したわけではなく、考えつくし悩み尽くした結果、本当に有意義で価値があるのが、今の自分の生き方であると解答したんです。下記に、僕が考えた『新幸福論』を載せておきます。もし共感をいただけた方は、是非ご一読ください。



最後に、こんな若者がペラペラと偉そうなことを、失礼いたしました。
どうか、少しでも多くの人が幸せでありますように。



沖縄おいで~