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魔法使いと竜の卵 −その4−追う者、追われる者


竜の仔の物語 –序章– 魔法使いと竜の卵

−その4− 追う者、追われる者


 守りの魔導師ミダイは、いつものように学園の正門の前に座っていた。雨上がりのよく晴れた陽射しが老いた小さな身体を温めた。老人は五十余年もの間ずっとそうしてきた。そこにただ座り、学園を守り続けていた。

 ふと、ミダイが街へ続く坂道を見ると、誰かがこちらへ歩いてくる姿が見えた。眼を凝らしてみると、それがこの学園の長であることが分かった。

 「おや、あなた様が正門から来る姿を見るのは、ずいぶん久方ぶりじゃな。」徒歩で正門まで歩いて来たウリアレル学園長は、何も言わずにミダイの前に佇んだ。

 「はて?」ミダイ老人は首を傾げる。無表情で立つ学園長の様子がおかしいことに、すぐに気がつく。ミダイはじっと長を見つめると、眼をまるくして、指をぱちりと鳴らす。

 すると、ウリアレル学園長の白いローブが崩れ落ち、中から苔むしたトネリコの杖が転げ落ち、横たわる。

 「これは、どうしたことじゃ!?」ミダイは慌てて杖とローブを回収すると、正門を開き、近くにいる学園の生徒を捕まえる。それから、すぐに幽幻の魔道士ダンダリにそれを届けるようにと生徒に命じる。

 そうして、急いで老人が正門に戻ると、今度は物々しい装備の男達がこちらへ向かってくるのが見える。



 男達は坂を登り切ると、方々に散り、学園の壁をべたべたと触れたり、叩いたりする。それから一人の男が壁のくぼみの影に一人の小さな老人を見つけると、訝しげに近づいていく。

 「おい、爺さん、ここがアムストリスモ魔法学校だろ?」

 男はぶっきらぼうにそう言う。老人はまるで反応を示さない。

 「おい!爺ぃ!」男は同じ事を繰り返して叫ぶが、老人はぴくりとも動かない。

 その瞬間、男がぎょっとなり飛び退く。今まで話し掛けていた老人が苔むしたただの石像だったことに気がついたからだ。

 大声を聞いて、仲間の連中が集まってくる。

 「どうかしたのか?」

 「い、いや、なんでもねえ。」男が汗を拭う。

 「おい、なんだ?この爺さんは。」

 男たちが見ると、やはりそこには苔むした石像ではなく、小さな老人がそこに座り込んでいる。

 「なあ、爺さま、ここの入り口がどこにあるか知らねえか?」別の男が老人に訊ねる。初めの男は気味が悪くなって、仲間の後ろに隠れてしまう。

 「ああ?」老人が惚けた様子で耳に手をあてがう。男達は顔を見合わせ、もう一度同じことを怒鳴る。

 老人がごにょごにょと小さな声で何やら呟く。今度は男達が苛立ちながら、老人の側に耳を近づける。

 「入り口が見えぬのなら入れんよ!」

 すると老人が男達の耳許で怒鳴り声をあげる。

 男達は驚いて飛び退く。「このじじい!」怒りにまかせて殴りかかろうともする。

 しかし、どういうわけかそこには老人はもういない。

 「じじぃ!どこだ!どこに消えやがった!」頭に血がのぼった何人かの男が剣を抜く。きょろきょろと老人を探す。

 「おい、・・あれを見ろ」はじめの男が青い顔をして壁を見つめている。

 皆が男の目線を追うと、なんとそこには、先ほどの老人の顔が壁中に引き延ばされて、通りの角まで続いている。

 「入り口が見れぬのなら・・、」壁中が横に裂け、老人の伸びきった口もとがぬらりと開く。

 「ここには入れんよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ。」

 「ひぃ。」男のひとりが腰を抜かす。「おい、まずいぞ。」別の男が後じさる。「一端撤退して、隊長に知らせよう!」男達がちりぢりに逃げていく。


 そうして、坂道を逃げていく男たちをミダイは眺める。柔和な顔で煙草に火を付ける。「ちと、やりすぎたかの。」老人は煙を吐き出す。

 「それにしても、ウリアレル様はどうしたことじゃろうか。」老人はあまり関心もなさそうにそう呟くと、もういちどゆっくりと煙を吐き出す。




 バンバザルたちは、魔法使いの痕跡を追って、北東の草むらから森に入っていた。彼らは散りじりになり、草の倒れ具合や、僅かな足跡、それから時に匂いを辿り、獣道で獣と違う痕跡を探す。

 レムグレイドのレンジャーたちは、主に単独で行動するストライダと違い、集団行動を得意とする。統率の取れた連携によって、敵の密偵や、森や山に逃げ込んだ敵を探し出し、野犬の群れのように追い詰めるのだ。

 「相手は魔法使いだ。見えるものだけを信じるな。」バンバザルは部下達に指示を送る。一人ずつかなりの距離を空けて、広範囲をなめすように進む。確実な痕跡を見つけた者が鳶に似た音の出る笛付きの矢を放ち、その音のする方向を中心に、さらに捜索を続ける。

 彼らはそうして相手を追い詰めていく。時に指笛で野鳥に真似た音を出し、レンジャーにしか分からない秘密の会話をする。

 (この先 タミナまで 街はない)(どこかで 野宿 するはずだ)独特の指笛で、彼らは遠くの仲間達と連絡を取り合うのだ。



 不自然な鳶の鳴き声がする。聞き慣れない鳥の声もする。それが、猟兵が連絡を取り合っていることに、ウリアレルはすぐに気がつくのだったが、何を話しているのかは流石に分からなかった。

 彼は森に入ると、泥濘に身をさらし、身体中を泥まみれにした。匂いを誤魔化すためでもあったが、何よりもその身に纏う、白く目立つシルク製の衣服を、汚す必要があったからだ。

 鳥となって飛び立てば相手を巻くことは容易なのだが、ウリアレルはそれができなかった。どういうわけか竜の卵が魔法を弾いてしまうので、衣服や杖などのように、一緒に変化することができないのだった。

 とはいえ、その気になれば魔法の力で猟兵たちを追っ払うことも、難しいことでもなかった。しかし、彼がそれをしないのは、魔法使い故の事情でもあった。

 つまり、魔法とは一般的な人々からしてみれば、万能ともいえる力だと捉えられがちなのだが、魔法使いからしてみたら、そこが根本的に大きな間違いであるのだった。

 なぜなら、魔法とは世界の深淵を覗く言葉であり、行動である。常に危険と隣り合わせの力である。正しい法則で正しく振るわなければ、その深淵はいつでも自らに反転してくる力であるからだ。

 優秀な魔法使いであればあるほどに、その力を振るうことに慎重になるものだ。強い魔法にこそ、すぐ近くに深淵があることを、重々過ぎるほどに、彼らは知っている。

 特に、魔法を利己的に振るう時には、十分な注意が必要であった。今回の事情は、どんな言い訳を持ち出したとて、結局は人間同士の争いに違いはない。相手を出し抜くため、傷つけるために発せられる魔法は、どんな理由があれど、魔境への入り口に立つことに変わりはなかった。

 「難儀なものだな。」ウリアレルは木々に弱い目眩ましの魔法をかけて歩いた。本当はそれすらも行いたくはなかった。

 かけるのは弱い魔法ばかりだったので、杖がなくても問題はなかったが、別の理由としても、杖がないことを難儀に感じるのだった。

 ようするに、初老の魔法使いは、森を歩くために、杖本来の用途として使用したくもあったのだ。

 「やはり、わたしも歳だな。」彼はそう呟き、自嘲気味に笑う。

 陽はそろそろと傾きはじめていた。森に夜が訪れようとしている。

 すると突然に、レンジャーの合図が矢継ぎ早に鳴りだす。鳥たちが騒がしくなり、鴉が大量に飛び立つ。木々が風もないのに騒めき、森がただならぬ空気に包まれる。

「なんだ、何が起こった?」胸騒ぎがする。嫌な予感がよぎる。

ウリアレルは元来た道を走り出す。



 「なんてことを・・。」杜の司が青ざめた顔で後じさる。

 「ん?」ジジマが弓を収める。木々のそこかしこに矢で射貫かれて絶命している死骸がある。騒ぎを聞きつけたバンバザルがやってくる。他の部下達も集結してくる。

 「なんだぁ? こいつら小鬼じゃねえのか。」ジジマが楡の木に矢で釘付けにされた死骸を眺める。小鬼と同じくらいの背丈だが、赤褐色の肌も容姿も少し違ってみえる。

 「お前・・、」杜の司がわなわなと震えている。

 「・・これはハーフリンクだぞ。知らないのか?」

 「あん?」ジジマが振り向く。バンバザルは黙りこんで動かない。口にくわえた藁だけを忙しなく動かしている。

 「こいつらは、魔物なんかじゃない。歴としたベラゴアルドのひとつの種族なんだぞ。」杜の司は一体のハーフリンクの死骸のもとで崩れ落ち、顔を覆う。

 「だからどうした?」ジジマは司の襟首を掴んで立ち上がらせる。「森で人間以外を見かけたら、そりゃあ、獣か魔物でしかねぇ。ほら、行くぞ。立て。」

 「森でハーフリンクを殺すということが、どういうことなのか知らないのか!?」司が引きずられながらも食い下がる。

 「ギリドゥが来る。」

 そこでバンバザルが口を開く。彼は不機嫌な顔で、ハーフリンクの死骸から矢を抜き取る。

 「ギリドゥ?」ジジマが聞き返す。「そいつぁ、なんですか?」

 「隊長!」そこで少し遠くにいた部下がバンバザルを呼ぶ。兵士達がその声のもとに集まる。

 「生き残りがいます。」猟兵たちは、木の根方で倒れる死骸を見下ろす。その死骸には、さらに小さなハーフリンクがすがりついている。

 「へっ、醜いガキだな。」ジジマが呟く「どうしますか?こいつも殺りますか?。」部下の一人が弓を構える。ハーフリンクの子どもがその大きな目で睨む。

 「いや、待て、」バンバザルが部下を制する。「放っておけ、それより先を急ぐぞ、一端、森を抜けるのが先だ。」

 「しかし、魔法使いはどうします?」ジジマが訊く。

 バンバザルが答えようとしたその時、背後にただならぬ気配を感じる。彼は振り向きざまに素早く弓を構える。その動作を見た部下達も咄嗟に矢をつがえる。

 折り重なった木々の暗がりから誰かがやってくる。

 「なんという・・。」

 猟兵が狙う方向よりもさらに手前から、泥だらけの魔法使いがゆらりとその姿を現す。

 「これはこれは。」バンバザルは狙いを定め直す。

 「魔法使い殿、まさかそちらからやってくるとは。」

 しかし、魔法使いは猟兵のことなど構わずに、悄然としたまま佇み、辺りを見渡す。

 「・・なんて愚かなことを。」

 あちこちに倒れているハーフリンクの死骸を見つめ、そう呟く。


−その5へ続く



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