竜の仔の物語 −序章− 魔法使いと竜の卵
−序−
原初に詞が産まれ 魔法と成り 三体の竜と成る
テマアルトが陸を持ち上げ パズウクがそれを割った
地上に愚かなる文明が築かれると
東の空からセオが飛んで来て 全てを焼き尽くした −−−(中略)
セオは三度 世界を焼き尽し 四度目に大陸が持ち上がると
荒ぶる神々がやって来て −−−(破損が激しく判読不能)
−−−(中略)−−−
其の大地を エルフの民は
ベラゴアルドと呼んだ
『ベラゴアルド創世記 序文より』
竜の仔の物語 –序章– 魔法使いと竜の卵
−その1− 竜の卵
レムグレイド歴三百三十九年、青梟(そうきょう)の季節。ハースハートン大陸には魔法の雨が降り続いていた。
雨は時折、夜にはみぞれになり雪に変わりもしたが、二日もの間、静かに降り続いた。三日目の朝、ようやく異変に気がついたのは少数の魔法使いだけだった。
アムストリスモの魔道士たちのなかでも、そのことに始めに気がついたのは、精霊に精通する若き女魔道士ユニマイナだった。
しかし彼女は、何の影響も及ぼさないほどに少量の霊気を含んだその雨に、何の意味があるのかを判断しかねていた。
魔法使いでさえ気にしなければ気ならないその雨を、彼女ははじめ、誰にも報告せずにいたのだが、珍しく中庭にこの学園の長であるウリアレルを見かけると、彼女は雨についての見解を訊きだそうと近づいていった。
ウリアレル学園長は、白いフードを捲り上げ、天を仰いでいた。
「やはりこの雨、気になりますか?」ユニマイナがそう訊くと、学園長は空を見上げたままに返事をする。
「いつから降っている?」
「三日ほど前です。」
学園長は振り向くと、「少し気になるな。」と呟き、思案に耽る。それから彼は、苔むしたトネリコの杖を掲げると、彼女を見つめて、「一緒に来るか?」と訊いてくる。
そうして初老の魔道士は、密かに歓喜する彼女の返答も待たずに鷹の姿に変わると、北の方角へと飛び立っていく。それを見たユニマイナも、慌てて燕の姿を借り、学園長の後を追う。
二人の魔道士ははじめ、レムグレイド王国の上空を飛び、それからさらに東に進み、竜の尾列島まで飛んだ。その間も魔法の雨は降り続き、灰色の緞帳はどこまでもを重く、果てしなく下りていた。
あまり長い間飛び続けると、考え方まで鳥になってまうので、二人は時折大地に降り立ち、半刻ほどの休憩を挟んだ。
「やはりベラゴアルド全土に降り注いでいるのでしょうか?」
二人は小さな洞穴をみつけると、雨宿りのためにそこに入り込んだ。
「そうかもしれん。」ウリアレルは岩場にシダを敷き詰めて、そこに彼女を座らせた。変身魔法があまり得意ではない彼女が、かなり疲れてきていることに気づいたからだ。
「魔法の雨が世界中に降り注いだという前例はあるのでしょうか?」彼女がそう訊くと、「あるといえば、あるな。」と、ウリアレルは即答する。
「どのような?」ユニマイナは食い入るように問いかける。彼女は学園の魔道士でありながらその事例を知らぬ自分を恥もしたが、何よりも好奇心のほうが先だっていた。
「ベラゴアルド大戦。」学園長はそれだけを呟いた。それだけで充分だった。ユニマイナは、はっとなり、すぐにその詠を思い出した。
「ベラゴアルドに雨降り注ぎ、七日目に止み、空が割れ、竜が飛んで来る・・。」
彼女は呟く。勉強熱心な彼女は、若さを補うために古い古文書を紐解いてばかりいた。それで、村の子どもでも知りうるほどに広く知れたその詠に、まるで盲目的になっていたのだ。
「しかし、あれにはただ、“雨”と。」
「うむ。だがあの一節の“雨”に意味を持たせるとしたら、やはり、魔法の雨ということになるだろうな。」
彼女はその言葉に深く頷くのだった。
魔法とは啓示を識ることである。様式を識ることである。そして、すべての詞の意味を識ることである。
彼女は、新しい生徒が学園に入って来る度に、自分がまずはじめに教えるその言葉を思い出すのだった。
そして、その言葉を教えた魔道士こそ、いままさに目の前に座る男、敬愛する大魔道士ウリアレル・メチアリウルだということを、改めて、肝に銘じるのだった。
翌日にもウリアレルは雨の中、朝早くから飛び立って行った。ユニマイナは足手纏いとならないために、同行を申し出ることを控えた。
結局、魔法の雨は五日間降り続いた。その翌日にはからりと晴れ、澄み渡る蒼い空が続いていた。
ユニマイナは、少々の予感めいたものもよぎりはしたが、確証に至らない出来事を騒ぎ立てることはしなかった。第一に、七日間降り注いだとされる詠とは少し違ったし、第二に、学園長がそのことについて何か見解を述べることもしなかったからだ。
その後、各地で地滑りなどの被害の噂は聞こえてはきたが、魔法の影響を連想させるような情報は、何一つ聞こえてこず、その後、学園長が失踪する出来事を含めても、それを魔法の雨と結びつけることは出来ず、彼女さえもいつしか、そんな雨のことなど忘れ去っていった。
◇
それから二日後のレムグレイド王国。王国付きの大魔法使いアリアトは、白の塔の最上階の自室で眠りについていた。
ただならぬ気配に飛び起きた老人は、窓辺に佇む一人の少女を認めた。少女は目の覚めるような朱い髪をしていて、薄手の白いフロックを着ていた。少女はこちらを見るでもなく、ただ窓辺に佇み、微笑をたたえていた。
アリアトにはそれが人間ではないことがすぐにわかった。それでも少女が実態を伴って、確かにそこに存在しているということもわかった。
「はて?」カシの杖を手に取ると、老魔法使いはゆっくりと起き上がった。「わしに何か用かの?」
返事は帰ってこなかった。少女に敵意は感じなかったし、怯えている様子も見られなかった。
魔法使いは単純な好奇心で少女に近づいていった。
老人の姿が見えてないのか、それとも気にしていないのか、少女のその横顔はやや口角を上げたまま、俯き加減でその姿勢を崩さずにいた。
「どこから来なすったのかな?お嬢さん。」アリアトは少女が裸足でいることに気がついた。蒼梟(そうきょう)のこの時期にしては、あまりにも薄着であった。
老人がガウンを手に取り、戻ってくると、少女は窓の外を見上げていた。よく晴れた夜空だった。今まで降り続いていた雨が嘘のようだった。
それから老人は月明かりに照らされたその少女を見た。少女の透き通った肌に光る文様を見た。少女の身体からあふれ出る、強い魔法の力をはっきりと見た。
— どこから来たと問うか。
突然に少女が口を開いた。その声は女の声を借りてはいるが、明らかにこの世と違う場所から響いてくることが、魔法使いにはわかった。
アリアトは咄嗟に飛び退き、杖を掲げた。しかし、魔法の言葉はその口からは飛び出しては来ず、反対に、その姿勢のままに、指先さえも動かせなくなってしまった。
— では、お前たちはどこから来たのかを知っているのか?
少女はひたひたとアリアトに近づいた。
— それでは見せてやろうか。
少女の瞳が渦を巻いている。その渦が、魔法使いの右眼、魔法を帯びた虹色の瞳を覗く。
その瞬間、アリアトは幽体となり、空高く舞い上がっていった。
それから気がつくと、アリアトは真っ暗な宇宙にいた。暗い宇宙の片隅でアリアトは動けずにいた。蒼い星に朝陽が差し込み、西の空に吸い込まれていった。次の日もその次の日も。何年も、何十年、何百年。そうしてアリアトは何万年も浮遊し続けた。考えることしか出来ない真っ暗な何もない空間で、考えることこそが無意味なように感じた。茫漠たる時間に怯え、アリアトは考えるのを止めた。それから何度も気が狂った。しかしその度に決まって現れる、輝く光を食べると、彼は正気を取り戻した。
そして、大地が割れ、生命の繁栄を見た。四角い灰色の建物が大地にびっしりと建ち並び、宇宙に飛び立つ船を、毒を吐く煙突を見た。卑屈に笑う俯いた人々を見た。高速で空を飛び回る鉄の鳥を見た。何万の人々が鉄の箱に挽き潰される風景を見て、大地をえぐる炎の柱をみた。
そうして、白い竜が飛んできて、世界を焼き尽くしていくのを見た。
アリアトが目覚めると、彼は自室のベッドにいた。辺りは静まりかえり、何事もなかったかのように、朝の陽光が差し込んでいた。
アリアトは起き上がると床に足を付け、その感触を何度も確かめる。杖を確かめ、魔法を確かめ、鏡を見て自分の顔を確かめる。
「あの幻視はいったい・・。」いや、あれは幻視ではない。あの娘は間違いなく実態を伴っていた。
窓辺を見ると、見慣れない物が転がっていることに気がつく。アリアトは杖をつき、よろよろと窓辺に近づいた。本当に数万年ぶりに地に足を付けて歩いているようであった。
近づいてみると、それは大きな、朱色がかった丸い石であった。表面にはあの少女の肌と同じような文様がほのかに光っていた。
「これは、卵か・・?」アリアトはそう呟くと、辺りを見渡し、それを布に隠した。直感的に、そうするべきだと確信したからだ。
それから彼は、調度良い大きさの箱を探すと、卵をその箱に入れ、鍵をかけた。念のため封印の魔法を二重にかけたのだが、どういう訳か、魔法は箱の内側で弾かれてしまうようだった。
それからアリアトは、タリズマという魔法使いの間で広く使われる咒具(まじないぐ)を取り出すと、魔法を込めて念じる。
そうして彼はアムストリスモの学園長に呼びかけた。魔法を使うのは良策ではないと感じたが、老人にはそうする他選択肢はないように思えた。
すると、扉の外で従者が彼を呼ぶ声がする。
アリアトは心を落ち着かせ、呼びかけることだけに精神を集中した。老いた魔道士を心配する従者の声が聞こえ、しきりに扉を叩いてきた。
アリアトは構わずに呼びかけを続ける。彼の意識が北の大陸へと飛んでいく。そうして、弟子のウリアレルが呼びかけに応じたことがはっきりとわかる。
「アリアト様。アリアト様。どうかいたしましたか?」従者が慌てた声で何度も扉を叩く。
「うむ、いま参る。」老魔法使いは、従者からの呼び声に応じる。「そう焦るでない。」
そうして彼は、泰然とした態度で、何事もなかったかのように部屋を後にする。
−その2へ続く
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