note_h_その8

小鬼と駆ける者 −その8


 ウォー・オルグが継ぎはぎの玉座から立ち上がる。片手には丸太の先を尖らせた太い槍を持っている。腰にも二振りの手斧が見える。そいつが短い雄叫びを上げると、両脇に隠れていた手下どもが現れる。

 ゴブリンどもが手に持った武器を投げつけてくる。手斧、鋤、ナタ、割れたビンに投石。あらゆる物をソレルはかわす。

 「これでも戦術、というところか」彼は低く構え直す。

 が、姿勢を整える前にウォー・オルグの投げ槍が飛んでくる。すんでの所でそれを避け、一旦、広間から後退する。

 思ったよりも動きが早い。

 逃げに転じたストライダをゴブリン共が追う。ウォー・オルグは壁に深く刺さった手槍を引き抜くと、ゆっくりと後を追う。

 ソレルは、はじめに見えた横穴に入り、入り口で待ち伏せ、追いついてきたゴブリンを始末する。それから通路に戻り、曲がり角で一匹、次の横穴で一匹と、確実に数を減らしていく。

 通路に戻るとウォー・オルグが待ち構えている。再び高速の槍が飛んでくる。

 先ほどよりも距離が近い。投げ槍を剣の腹で何とか逸らすが、その威力に身体ごと吹き飛ばされる。その隙を見逃さずにウォー・オルグが飛びかかる。ソレルはそれもかわし、反転して胴を切り裂く。が、浅い。体勢を崩したままでもう一撃入れるがやはり浅い。ウォー・オルグの素手の一撃が頭部をかすめる。

 一歩引き、構え直す。

 「やはり銀の剣で切られても、怯みはしないのか」ガンガァクスの魔兵。痛みすら感じないと聞いていたが、本当の話だったのか。

 ウォー・オルグが手斧を両手に持つ。間合いを詰めて待ち構える。唐突に踏み込み、凄まじい連打。しかし、ストライダのほうが幾分か早い。

 何度か切りつけるがどれも浅い。魔兵はひるみもせずに斧を振りかざす。次第に力で押され、ソレルはたまらずに後退する。

 三度ほど後ろに飛び退き、次の一手を考える時間を確保する。

 ところがウォー・オルグは近くにいたゴブリンを持ち上げ、身体ごと投げてくる。

 「なっ!」

 高速で飛んでくるゴブリンを何とか切り伏せるが、間髪入れずに次が飛んでくる。三匹ほど胴を二つにしたところで、攻撃が止む。

 ウォー・オルグが眩しげに目を細め、棘のような口が歪む。

 「笑っているのか?」

 ソレルもおもわず口角を上げる。

 「よかろう。格の違いというものをみせてやろう」

 ソレルは呼吸を整え、低く構える。

 魔兵はその場から動かずに咆哮を上げる。手斧を掻き鳴らして挑発する。

 ソレルは動じない。全神経を足もとに集中する。ストライダの眼が青白く輝く。

 あそこだ。後一歩。後半歩。相手に気づかれないように間合いを詰める。

 ここだ!

 そう思うが早いかソレルは反射的に踏み込んでいる。

 ウォー・オルグは動けない。気がつくと、左の肩口から胸の下にかけ、銀の刃が食い込んでいる。意思に反して左手が手斧を落とす。右の斧で反撃を試みるがストライダはもうそこにはいない。振り向くと、目の前にストライダの鋭い瞳が飛び込んでくる。今度は右脇腹の半分が裂けている。

 魔兵は断末魔すらあげずに、ただ崩れ落ちる。

 敵が沈黙すると、ソレルはその死骸を観察する。「未知の魔物だ。できればラームに持ち帰りたいところだが。」彼は独りごちつつ、ダガーで頭髪と牙を一本、根本から切り落とし、ポーチにしまう。今回はこれで我慢するとしよう。

 立ち上がると、洞窟の何処かで人間の叫び声が聞こえる。

 嫌な予感が背筋に走る。彼直ちに走り出す。



 ソレルがその場所に着くと、マスケスが倒れ込んでいる。どうやら彼は腰を抜かしているようだ。

 「こんな…こんなことが…」

 視点が定まっていない。錯乱した様子で、それでも眼前に見える泥沼から目を離せずにいる。

 「見てはいけない」

 マスケスを捕まえ、マントで視線を隠す。それでも暴れるので仕方なしに首筋に手刀とあてがい、気絶させる。

 そこにブウムウもやって来る。彼はマスケスが気絶しているだけだと知ると、ほっとするのも束の間に、眼前に広がる泥沼を見て唖然とする。

 「こりゃ…いったいなんだ!?」

 その泥沼はうなり、ぼこりとぼこりと不愉快な音を立ててガスを吐き出している。醸されるうねりの合間に、人骨や、わけの分からない肉片が浮かびあがっては消えていく。時折その律動の流れに乗って、わりと綺麗なままの毛並みを残す鹿や猪などの大型動物も現れる。

 そして、その中に、人間の姿もみえる。どれもブウムウの知った顔。失踪した村人たちの顔だ。歪んでいてそうとは確認し難い顔もいれば、はっきりと知り合いだと分かる顔もいる。

 「見ないほうがいい。なぜここに来た?」ソレルが彼の肩を掴む。

 「…それより、…おい、…なんなんだよ!これは!」

 「なぜここへ来た!」再度問いただす。勝手なことばかりする村の者たちに、いい加減うんざりもするし、怒りすら湧いてくる。だが、来てしまったものは仕方ない。ブウムウが正気なのを確認すると、ソレルは観念したように話し出す。

 「これは、『ゴブリンの胎動』、そう呼ばれている。」気持ちを落ち着かせ、静かに語る。

 「ゴブリンは死体をこの沼に投げ込む。通常は森で見つけた動物の死骸などを投げ込む。すると、どういうわけか沼の中から新しいゴブリンが生まれるのだ。…もしヤツらが森で行き倒れた人間を見つけ、ここに投げ込んだとする。一人くらいではどうということもない、だが二人、三人と投げ込み続けると…」

 「おい、まて!それじゃ…、」

 ソレルは頷く。

 「そうだ、ここに人間の遺体が入ることで、ゴブリンどもから頭の良いやつが現れたり、時には魔法を使うヤツが現れるのだ」

 「こんなもの、こんなものあっちゃならねぇ…」

 ブウムウは頭の整理が付かず、しばらく震えている。無理もない。これは人知を超えている。それほどに恐ろしい事実だ。家族を失ったうえ、尚且つその人がおぞましい生き物に姿を変えてるかもしれない。そんなことを聞いて、平静でいられる道理はない。

 しばらく待ってみる。あまり時間はないがその必要はあるだろう。ソレルはそう判断する。

 この人は強い。

 彼の予想通り、やがてブウムウは決意を固めた顔つきになる。

 「おい、ストライダ。こんなもの早く壊してくれ、できるんだろ?あんたなら」悲痛に訴える。

 「うむ、手伝ってくれ。辺りから燃えるものを集めるのだ。」

 「よしきた」

 二人はその禍々しい泥沼を燃やす準備を始める。

 ブウムウは言われたとおり、辺りに散乱していた木片やボロ布などを集め火を熾す。



 「こんなものでいいだろう」「こんな程度で燃やせるのか?」

 「この火薬を使う。」ソレルは黒い砂状の火薬が入った袋ブウムウに渡す。

 「例の、早火ってのか?」

 「いや、これはただの…」火薬だ、そう言いかけ、背後に気配を感じてその場から飛び退く。

 左の肩が熱い。避けきれなかったようだ。

 振り向くとそこにはウォー・オルグが立っている。片腕と脇腹が裂けているせいで、足取りもおぼつかないようではあるが、それでも痛みを感じないその魔兵は、右手に持った斧で、次の一撃を振りかざしている。

 ソレルは素早く剣を抜き、身構える。

 ところが異変に気付き、少し様子をみる。するとウォー・オルグの身体が不自然に傾き、そのまま真っ二つに裂けはじめる。

 どうやら腹部の半分以上を斬り裂いた先ほどの一撃が原因のようだ。右手に持った手斧を振りかざした姿勢が、かろうじて身体を支えていた左腹部を圧迫し、上半身の自重に耐えきれなくなったのだろう。

 「それにしても、何という生命力」おそらく、背骨もすでに折れていたのだろう。ソレルは上半身だけでも尚もがく魔兵の頭に刃を食い込ませ、念のため手足も切断し、これでもかととどめを差す。

 「おい、大丈夫か?ストライダ、」ブウムウが駆け寄る。

 ソレルは怪我の具合を確認する。致命傷ではないが、傷は深い。背骨を両断された者が放った太刀筋とは到底思えない。

 だが、痛みは今は置いておこう。

 「早く仕事をかたずけるとしよう。ブウムウ。」

 沼に燃えたものを敷き詰め、火をつける。沼全体に火が行き渡るように、まんべんなく可燃物をくべる。

 「おい、ありゃ、まさか…、」

 突然、燃える沼を見つめてブウムウが青ざめる。

 熱のせいか蠕動が早くなっていく。そうして、動物の肉片や骨の間から、女の顔が浮かんでくる。

 「…ああ、…あれは、ニニナだ、…マスケスの…、あいつの、」

 丁度、火の及ばない箇所に現れた、ニニナと呼ばれた女は、泥沼のうねりに押し出されるように上半身を晒す。傷という傷もなく、その不浄なる場には似つかわしくない、つるりとした乳房が不自然なほどに美しく見える。目を見開いている分、本当にその命が絶えているのかさえ疑わしくもなる。

 ブウムウは絶えきれず顔を覆ってしまう。

 「早く火薬を投げ入れるのだ」ソレルはそう急かすが、背後からの叫び声にかき消される。振り向くとマスケスが沼に向かって走ってくる。

 「しまった!」

 燃える沼に入り込もうとするマスケスを受け止める。抵抗するところを力任せに抱きしめ、左肩に激痛に力が緩む。

 「マスケス殿いけない!見てはいけない!」

 ニニナの肉体は、沼の蠕動に合わせてゆっくりと動き、偶然、両腕がかき抱くように持ち上がり、口元が弛緩したようにぽかんと開く。

 「あぁ、…生きている、生きてるのか!?ああ、ニニナ、ニニナ…」マスケスは泣きながら笑う。

 「違う!あれはただの筋肉の反応だ!」

 腕の中で抵抗が強まる。農民の力とは思えない。今にも沼の中に飛び込みそうだ。肩に力が入らない。鎖骨が砕けているのだろう。それでもソレルは力を振り絞って彼を突き飛ばし、女の姿を彼の視界から遠ざける。

 女の顔が崩れていく。瞳から口から、穴という穴から、灰色の粘着質の泥を吐き出す。女の形を成していたものは、外側だけだったようだ。はじめから、その中身に詰まっていたものは、ただの泥だったのだ。

 それから、腹部の方から大きなガス溜りのようなものが浮かび出て、泥の塊から醜い顔が現れる。そいつは膜を引いた大きな口蓋を開き、不気味な産声をあげる。

 まさにたった今、泥から出でた小鬼はすぐに目をあけ、憎悪の表情を浮かべる。「くそ」通常のヤツよりかなり大きい。ホブ・ゴブリンだ。

 ソレルは顔を覆い放心しているブウムウの手から火薬を奪い取り、ゴブリンの胎動、不浄なる泥沼にそれを投げ込む。

 あちこちで小さな爆発が起きる。

 轟音とともに泥沼は燃え上がる。

 「あああああああああああ!」

 マスケスが咆哮をあげる。

 その手にはナイフが握られている。

 しくじった。ソレルは咄嗟にベルトを確認する。ダガーが一振り抜き取られている。他のことに気を取られすぎていた。

 「人殺し!この人殺しっ!」

 マスケスが突進してくる。素人の攻撃を避けられないほどでもないが、ソレルは痛みのせいで体勢を崩してしまう。

 そこへ、ブウムウが間に割って入る。彼とマスケスが重なる。

 ソレルが倒れ込むブウムウを受け止める。

 「…悪かったな、ストライダ」彼は絞り出すように言う。

 「…面倒に、巻き込んじまった」

 「しゃべるな」

 マスケスは立ち尽くし、血に染まったブウムウの腹を見つめる。

 「おれは、おれは…」そうして後退り、その場から逃げ出す。叫び声が洞窟の出口の方へ向かっていく。

 ソレルはそれを無視して、ブウムウを抱き起こす。マントに切れ込みを入れて引き裂く。彼の腹のダガーを一気に引き抜き、それを傷口に当てる。灰色のマントの切れ端は、みるみるうちに赤く染められていく。

 「心配するな。だが、すぐにここを出なければ」

 ソレルはブウムウを助け起こす。二人は半ば支え合いながら、ゆっくりと、炎に包まれた沼を後にする。



 その頃、長の集団も洞窟付近に近づいていた。それは、森で偶然鉢合わせたゴゴルの案内によるものだった。しかしブウルだけは苛立っていた。足を負傷したゴゴルの案内では、歩みがあまりにも遅すぎたからだ。彼は嫌な予感がしていた。はやる気持ちを抑えられずにいた。

 「長、こっち!」

 そうして半ば、ブウルが先頭だって案内するような形になる。それでも行くべき方向はおおむね間違ってはいなかった。彼には何となく目的地がわかるような気がした。そして、その手に持つ咒具がすでにその力を完全に取り戻していることを感じた。

 「長、これを」

 ブウルは咒具を長に手渡す。咒具は先ほどとは違い光を失わずにいた。

 やっぱり。ブウルは直感的に理解する。

 「これはもう、ぼくが持っていなくても大丈夫です」長は何も言わなかった。彼にも、村の誰しもにも、その子どもが次に取るべき行動が何となく理解できたからだ。

 そうして、村人たちは独り走り出したブウルを、黙って見送るのだった。



 ソレルとブウムウは出口を目指し歩く。先程まで駆け抜けていた通路が恐ろしく遠い道筋に感じる。ブウムウは腹にマントの切れ端を押しつけてはいたが、それでも血は下半身を濡らし、靴からも滴っていた。

 「もうすぐだ」ここで足を止められたら、もはや自分ひとりの力では運び出せないだろう。ソレルは必死にブウムウを励ます。

 一歩ずつ歩くことに集中する。気がつくとブウムウの口元がぱくぱくと開いていることに気がつく。

 「心配するな、必ず連れ帰る」

 「…ゥ、…を。」

 「なんだって?」ソレルは口元に耳を寄せる。

 「ブゥを…、息子を頼む」

 「なにを言う。それはお前の仕事だ」

 ついにブウムウが倒れ込んでしまう。ソレルは必死になって名前を呼ぶが、額に脂汗をかき、緩慢な瞬きを続け、明らかに意識が混濁してきている。

 それでもブウムウは、息も絶え絶えに声を出す。

 「…ブゥは違うんだ。…何かが、はじめから、あの子は違うんだ。」

 振り絞るように声を出す。

 「…こんな、自分勝手なやつばかりの、片田舎の村で…、」終わらせたくはないんだ。彼はソレルのマントを掴み、目を見開いてそう言う。

 「あいつは、…農具も金梃子の扱いも、てんで駄目なくせに、・・ムラサキガラシの種苗だの、養蜂のやり方だのは、妙に詳しいんだ。…誰も教えちゃいないのに…、あいつは…、やれ気候のせいだ、やれ土壌のせいだと言い訳して、村の誰もが失敗する事を、…難なく、やり遂げちまうんだ」

 ブウムウは遠くを見つめるような素振りをして、笑う。

 「…それで、おれは聞いたんだ。なんでうまくいったのかを…そしたら…あいつは、…こう言いやがる」

 「もういい、しゃべるな。」

 「考えた、ってな、…へへっ、」

 ソレルは何とか落ち着かせようとするが、ブウムウは構わずに話し続ける。

 「考えた、だぜ、…すげぇやつだよ、」あいつは違うんだ。ブウムウはもう一度そう言うと、途切れるように気絶する。

 ソレルは様子をみる。

 自分自身の様子をみる。

 どれくらいやれるか。どれくらいの力が残っているかを考え、そして考えるのを止める。

 彼は右腕に力を込めてブウムウを抱き起こす。

 まだだ。そしてそのまま肩に抱え上げる。左肩が軋む。あきらめるのはまだ早いぞ、ブウルの父親よ。

 ストライダは力を振り絞る。



−その9へ続く−


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