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勇気を出すときに必要な考え方

「少年よ、大志を抱け」

この言葉は札幌農学校のクラーク博士が残した言葉です(もしかしたら前世の私の方が早く言ってたかもしれません)。

「そうさ100%勇気 もうがんばるしかないさ」

この言葉は忍たま乱太郎のオープニング歌詞です(次は私が『勇気120%』を出そうと思います)。

さて、勇気を出して何かに挑戦するときは誰でも怖さを感じます。

例えば転職や起業、何かに応募したり、人生に関わる一大決心をしたりするときなど、勇気が必要になる場面は多々あります。

そんな時に勇気を出ない、現状を変えるのが怖くて一歩踏み出せないことなんて人間だれしもザラにあります。

しかし、一歩踏み出したからこそ得られる経験や変化は期待を超えた結果をもたらしてくれることが非常に多い。

そんな勇気を出して一歩踏み出す時に、必要な考え方を恐れ知らずの私が伝授いたします。

あなたがすることは誰にも見えない

もし私が道路の真ん中で座禅を組んでいたらどう思いますか。

「あら~頭がおかしくなっちゃって」と思うはずです。

でもそれだけ。

そのあと会った友人に「道端で座禅組んでた人がいてさ~」なんて話はするかもしれませんが、きっとそこから話が広がることは無いでしょう。

そのあとは永遠に闇に葬り去られます。

なんか無駄な行為とはいえ悲しいですよね。

やってるこっちは恥ずかしい思いをして、一大決心して道端で座禅を組んでいたかもしれないのにですよ。

やってる当事者も「自分はいったい何をやってるんだ」なんて思いながら、やってるわけですよ。

なんか失礼というか、もっと会話のネタにしてほしいっていうか、それで世界が平和になればいいっていうか・・なんて思うわけですよ。

このように、もし私が恥ずかしい思いをして、勇気を出した行動でさえ他人から見ればちっぽけなものにしか映りません。

つまり、良い意味で自分の行動なんて他人からしたらどうでもいいんですよ。反対もしかり。

ちょっと宇宙規模で考えてみましょう。

人の一生(100年)なんて地球から見たら、46億年のうちのたった100年しかありません。

「はい、あなたに46億円差し上げます」
「あ、すいません100円だけ返してもらっていいですか」

なんて言われたらすぐ返すっていうか、もはや100円を返す動作すら無駄と言うか、むしろ1億円ぐらい返しますけど?って思うじゃないですか。

人の一生も同じで100年すらどうでもいいのに、そのうちの勇気を出して行動した1時間なんてもう埃(ほこり)みたいなもんなんですよ。

なのにやってる本人はもじもじ「変に思われたらどうしよう」とか「恥ずかしいからできない」とか思うわけです。

やってもやらなくてもだれの目にも映らない。ならやってみる価値はあるってもんです。

やっても埃、やらなくても埃です。

本当にやりたいことなら自己中であれ

「利他的であれ」なんて言葉は、頭の上に輪っかを乗せた人が言いそうな言葉です。

日常生活で利他的であることは今後の生活にとってメリットは多いかもしれません。

でも自分が本当にやりたいことまで利他的であったり、他人の評価を気にして行動できないのはどうかと思います。

例えば、私が「お金も貯まってアイデアもあって起業したいけど彼女に反対されてできない」って言ったらどう思いますか。

「いや彼女なんて無視して起業しろよ!」
「お前はバカか、絶対やった方がいい」

っていう人が多いと思います(そうだよね?合ってるよね?)。

彼女に反対されたから夢を諦めるとか、家族に反対されたからとか、世間体を気にしてできないっていうのはちょっとバカというか、明朝体で丁寧に「馬鹿」って書かれるくらいバカだと思います。

明朝体で馬鹿は失礼を超えている

本当にやりたいコトがあるなら、そのときは最高に自己中であるべきです。

もはや自己中すぎて常にナチュラルハイになっててもいいぐらいです。

そのくらい自己中にモノを考えるって結構大事だと思います。


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