見出し画像

まさか家事を楽しいと感じられるようになるなんて

最近、皿を洗うのがたのしい。洗濯するのがたのしい。お風呂掃除がたのしい。

元々家事は好きじゃなかった。一日1時間は家事をする、ってノルマを決めてみたり、ご飯を食べたらすぐやるとか、夜寝る前にやるとか、タイミングを決めて習慣にしようとあれこれ画策したものの、今までどれもうまくいかなかった。

でも最近、家事が楽しいのだ。

皿を洗っているときに、色々と考えごとをするのが気持ちいい、ということに気づいたのだ。

仕事をしていてふと煮詰まったときに、皿を洗う。書きかけの文章の次の展開を考えながら皿を洗う。めんどくさい仕事になかなか取りかかれないときに、洗濯物をたたむ。

これがとてもいい気分転換になるのだ。


なんと、いつのまにか、家事が仕事からの逃避先になっていた。だから洗い物がたくさんあったり、部屋が散らかっていたりすると、むしろちょっと嬉しさすら感じる。

この心境の変化はすごい。すごすぎる。とんでもない革命が起きた。

だって、今まですごくいやだった作業が、今はむしろ率先してやりたい作業に変化したのだ。

この変化を自在にあやつることができたなら、僕はどんな仕事だって楽しめるようになるのではないか……?

そういう邪な動機から、なぜこの心境の変化が得られたのかをここ数日ずっと分析している。

終わらせようとせず、ちょこちょこやる

まず、家事を一気に終わらせようとしないスタイルが定着していたことは要素としてひとつ大きい。

「終わらせよう」という気負いがあると、作業は途端にめんどくさくなる。食器山積みの台所を、全部いっぺんにキレイにしようとして眺めると「30分かかる重いタスク」になるが、2分ずつちょこちょこと洗っていけば、15回仕事をサボれば終わる。

スタンディングで仕事をしはじめたことも関係がありそうだ。立ってパソコン作業をしていると、仕事が煮詰まったときに、パソコンから自然と離れる。どうやら人間というのは、本来、煮詰まるとうろうろしたくなる生き物らしい。それが座り心地のいい椅子に座っていると、実際にうろうろする代わりに、ディスプレイの中をうろうろしてしまう。

これまでネットサーフィンに脱線していた時間が、立っていることで、うろうろとパソコンを離れ、なんとなく家事をこなす時間にすりかわっていたのだ。

片付けかけの光景がもたらすアフォーダンス

「丸一日放置した食器山積みの台所」と、「同じく食器山積みではあるが、一部の食器は洗剤で洗いかけになっている台所」は、ほぼおなじ光景のようであるが、その光景がもつアフォーダンスは大きく異なる。

アフォーダンスというのは、「モノや環境が、人間に示唆する行動」といったような意味合いだ。

丸一日放置した台所からは、「さあいい加減、片づけろ」というプレッシャーを感じる。これがアフォーダンスだ。

しかし「片づけろ」という命令を感じながらも、具体的に何から取りかかればいいかは、ちょっと考えないとわからない。この「ちょっと考える」という思考が必要なとき、つまり咄嗟に動作が思い浮かばないとき、人間はめんどくささを感じる。

一方で、少しでも洗い物に着手してある台所は、実際に作業の途中を身体が記憶しているのものあって、その洗いかけの光景をみたときに「残りの皿を洗剤で洗う」という動作がすぐにイメージできる。具体的な動作が思い浮かぶと、人間は自然と動きたくなる。

終わらせようとしないことで着手ハードルが下がり、さらには「洗いかけの台所」がアフォーダンスとなり行動を促す。

しかもデスクワークに煮詰まって別のことで気を紛らわしたいという状況に、皿洗いのような単純作業はうってつけなのだ。

頭を使う作業と、ぼーっと手を動かす作業。種類の異なる作業を交互に行うことが絶妙な気分転換になる。


終わらせようとしない
やりかけで放置する
種類の違う作業を交互に

家事を楽しむには、どうやらこの3つがポイントらしい。これを他の仕事にも応用できないだろうか。

研究は続く。

CM

種類の違う作業を交互にやることで、同じ脳を使い続けてオーバーヒートするのを防ぐことができる。

TaskChute Cloudでは、同じ種類に属する作業ごとに色を分けて記録することで、同じ作業ばかりに没頭しないように意識付けることができます。

画像1




この記事が参加している募集

おうち時間を工夫で楽しく

読みたい本がたくさんあります。