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愛車について

春は別れの季節。だけど、出会いの季節でもある。
分かっている。
名曲『夢の途中』でも
さよならは別れの言葉じゃなくて 再び逢うまでの遠い約束
と、来生たかおさん、または薬師丸ひろ子さんが歌っている。
とても良い歌詞なのですが、
だけど、だけど、再び逢えないものもある。
そう思っているから、ずっと塞ぎ込む。
 
今月、諸事情が重なり愛車を手放す事となった。
売却に際し査定をしてもらうも、どこの業者も二束三文的な料金を提示してきた。
悲しくなった。
とある業者は、廃車処理ですね金額(こどもの小遣い程度)が付くだけ有難いと思ってください。
とまで言ってきた。
悲しくなった。
大事に乗ってきた愛車なのである。
年式、走行距離などで車の価値は決まる。と。
こっちの思い入れなんて、お構いなしの言いっぷりだ。

価値ってなんだろう。
物の価値とは。
私には十分価値があるから、それでいい。
それに売却を決めたのも私なのだから。
そう何度も何度も自身に言い聞かせても、心なんて晴れるわけがない。
 
更に私の心を支配したのは謝罪の言葉だ。
ゴメンね、ゴメンね。財力があれば、自分に財力がなくて、非力でゴメンなさい。
そんな言葉ばかり脳を埋める。
何故なら、それは父の車だからだ。
父が新車で購入したものだ。
購入後すぐ、癌が見つかり一年もしない内に父は旅立ってしまった。
購入時の嬉しそうな父の顔も覚えている。
新車で母とドライブに行って、こんな事あった、あんな事あった、という話と父母の笑顔も覚えている。
私が相続した時には300㎞も走っていなかった。
それから14年。助手席で微笑んでいた母も居ない。
その父の、最後の愛車を、私は手放す。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

琵琶湖と父と僕の愛車

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