福耳劇場

お題があれば何でも書くフリーライターです。 世界一浅い考察を綴っていきます。 たったひ…

福耳劇場

お題があれば何でも書くフリーライターです。 世界一浅い考察を綴っていきます。 たったひとりのために。

最近の記事

天使について

絶望した。 絶望すると迎えにくるのが死神だ。それは死を意味する。 絶望しているのだから何の迷いもなく、ついて行くのだろう。 そんな事を、ふと思う。 ふと思うから、私は真に絶望はしていないのだろう。 そもそも死神に誘われて死ぬのは嫌だ。 どうせ誘われるなら、または迎えに来てくれるなら 『フランダースの犬』のように天使がいい。 羽根の生えた神の使いの天使だ。可愛い天使。 それで思い出す。 数々の名作を世に出した漫画家の鳥山明先生が先日逝ってしまった。 先生が描いたキャラクターや世

    • 愛車について

      春は別れの季節。だけど、出会いの季節でもある。 分かっている。 名曲『夢の途中』でも さよならは別れの言葉じゃなくて 再び逢うまでの遠い約束 と、来生たかおさん、または薬師丸ひろ子さんが歌っている。 とても良い歌詞なのですが、 だけど、だけど、再び逢えないものもある。 そう思っているから、ずっと塞ぎ込む。 今月、諸事情が重なり愛車を手放す事となった。 売却に際し査定をしてもらうも、どこの業者も二束三文的な料金を提示してきた。 悲しくなった。 とある業者は、廃車処理ですね金

      • 命日について

        人は産まれたその日から、絶対に避けられない特別な日がある。 この世で最後の日である命日だ。 その日をなぜ命日というのだろうか、と考える。 たぶん(今回は調べてもいない)、 それは神道からきているのではないだろうか。 神話によると(うろ覚え)この世は神がつくった大自然から始まり、人も自然から生まれた命であるから、その命を受け入れなければならないのだろう。 それが命日なのだと思う。 何だか書いていて、まとまったのかどうか分からなくなったけど、 産まれて名付けられる時、命名とも書く

        • 閏年について

          今年は閏年。うるうとし、と読む。 閏年とは、2月が例年より一日多く、29日まである年のこと。 それ以外の年は平年と呼ぶ。 閏年は、地球の周りを太陽が一周する周期と暦のズレを調整するために設けられている。 と、調べると一番に出てきたが、何かおかしい。 一周しているのは太陽ではなく地球である。 そう、だから地球側がズレを調整するのは当たり前なのだろう。 もとい、閏年について。 原則4年に1度に設定される。とも書いてあった。 原則ってことは例外もあるわけだ。 更に調べてみた。 大き

        天使について

          旅を扱うメディアについて(地球の歩き方)

          大事な事なので最初に記すが、これから書く事はあくまでも個人の感想である。 このnoteで何回も書いているように、私は旅行が好きだ。 特に海外旅行が好きだ。 旅好きが、旅に出ない時に何をしているかというと、次の旅の計画であるが、 行先が具体的に決まっていない場合は旅番組を参考にしたりする。 これは、行けない時の心を満たす効用もある。 昨年までのコロナ禍は様々なものを狂わしてしまった。 当然ロケ隊も行けないので、旅番組は激減、あっても国内だ。 国内であっても様々な規制があって面

          旅を扱うメディアについて(地球の歩き方)

          ロケ地めぐりについて

          立春も過ぎたので暦の上では春である。 初春と書くので正月から春である。 寒かろうが何だろうが、今は陽気なイメージがある春なのである。 春になると小動物よろしく外に出たくなるのが生き物の本能だ。 先ほどの陽気なイメージの日は外出したくなる。 これ健康の証。 さて、私は何処に行きたいかというと、行きたいところは沢山あって、上げるとキリがない。 これ健康の証。 テーマを持って出かけるのもいいですね。 前振りが長くなりましたが、ここでタイトル回収。 私はロケ地めぐりが大好きである。

          ロケ地めぐりについて

          春節について

          明日は旧正月。 中華圏では春節ともいう。 いずれにせよ旧暦では本日は大晦日である。 私はかつて旧正月を海外で過ごした事がある。 北京、香港、台北で。 初めて過ごしたのは香港かな。 その時はワクワクして渡航したのを覚えている。 楽しげなイメージがあったからだ。 カウントダウン、年が変わったと同時に爆竹、 そして爆竹、爆竹、これでもかの爆竹。 居た場所の問題だろうが、確かにあったが、そんなに激しく無かった。 じゃあ北京だ!と、その二年後に行った。 居た場所の問題だろうが、確かにあ

          春節について

          友の存在について

          私は友人が少ない。 先週、その希少な友人のひとりが会いに来た。 他府県在中の友人だ。 学校関係、仕事関係の友人では無い。 この友人との出会いや馴れ初めを説明すると長くなるので割愛するが、 もう26年目に突入する友人である。 別に用件は無いとの連絡後、わざわざ交通費を掛けてやってきた。 ただ顔を見て呑みたかったと言い、昼過ぎに来て最終で帰って行った。 そういうの、何だか嬉しいよね。 わずかな時間であっても、語り合って呑んで食べて笑った。 用件は無いと言ったけど、理由があるはずだ

          友の存在について

          海外旅行について

          そろそろ海外旅行に行きたくなっている。 いろんな物事に目を向けると、それどころじゃないのは分かっている。 だけど、海外旅行に行きたい。というのは本音である。 海外旅行の良さ、というのは行った者でしか分からない事なので、 わざわざ力説はしない。 でも力説してください!と依頼があれば力説してもいいよ。 とは思う(なにそれ) さて、海外旅行は行きたいが気軽にホイホイとは、まだ行けない。 お金も掛かるし、航空券や宿の手配、行く国によってはビザなども要る。 旅行好きなら、それらの労力も

          海外旅行について

          数の魔力について

          数、について考える。 先日、台湾にて総統選挙が行われた。 私の友人は直前まで誰に投票するかを迷っていた。 正直、羨ましいと思った。 国(あえて)のリーダーを決める選挙に、ひとりの国民(あえて)が悩んでいるのだ。 ふと、自国を鑑みる。 我が国のリーダーは我々では選べない。 多数の与党から選ばれる。その与党はどうか。 派閥による政治資金規正法違反の連日のニュース。 情けない。 北陸に震災があったにも関わらず、だ。 結局、金なの? お金の為に立候補したの? 当然、全員では無いだろう

          数の魔力について

          思い出と更新について 2

          新型コロナウイルスが撲滅していないにも関わらず規制が緩み、 マスク着用も個人の任意。 インフルも流行っているし、風邪の予防としてマスクはした方が良いよ。 と思っても、口には出せない。 でも、活気が戻るのは良い事だ。 行動の規制緩和は喜ぶべきである。とは思う。 スポーツ観戦時の声出し応援も、そう。 私は記憶が残る幼少期から高校卒業するまでの十数年、滋賀県で育った。 だから、故郷は何処?と訊ねられたら、生まれは関東だけど滋賀県と答える。 滋賀県といえば、平和堂である。 鳩のマーク

          思い出と更新について 2

          思い出と更新について 1

          新型コロナウイルスが撲滅していないにも関わらず規制が緩み、 マスク着用も個人の任意。 インフルも流行っているし、風邪の予防としてマスクはした方が良いよ。 と、思っても口には出せない。 でも、街の活気が戻るのは良い事だ。 行動の規制緩和は喜ぶべきである。とは思う。 バラエティ番組でも海外ロケが増えて楽しいし。 楽しいのだが、番組を観ていると複雑な思いになる。 それは思い出と誤差があるからだ。 単刀直入に言うと円安が影響している。 つい、私が旅していた頃と比較してしまうのである。

          思い出と更新について 1

          2024年1月4日で思う事、について

          2024年、note初めです。 今年も宜しくお願いします。 新年を迎えて四日目、暖かな部屋の中でキーボードを打っている。 そう書くと平和感が増してくるが、そうでもない。 そして申し訳ない。 だって、そうでしょう。 元旦から能登の大地震があった。 私は震度4の揺れを体感した。 震度4であっても恐かったのだから、現地では想像するに余りある。 震災は他人事ではない。 だから出来る事をする。 義援金、物資を送るのがベスト。 できない人は応援でもいい、励ましでもいい。 困っている人を

          2024年1月4日で思う事、について

          (死について)明日、逝くと分かっていれば 4

          2023年も残り僅かだ。 今年は「死について」考える年であった。 おかげで「死」について免疫がついたように思えるが、やはり死は恐い。 私自身、糖尿の気が少しあるだけで、腰が少し痛むだけで、左の肩が上がらないだけで、たまに目が霞むだけで、今すぐ死ぬとは到底思えない生活を営んでいる。 つまり、まだまだ死に関して鈍感な日々を過ごしてしまっている。 が、人は必ず死ぬ。 突発的な予想外の事故や災害だって起きるし、そもそも人には寿命があって、いや人に限らず生きとし生けるものすべて、いずれ

          (死について)明日、逝くと分かっていれば 4

          (死について)明日、逝くと分かっていれば 3

          前々回は著名人のこと、前回は友人のことについて書いた。 今回は身内、家族のことで思いを巡らせてみたいと思う。 父は13年前、母は昨年に逝ってしまった。 二人とも病院で息を引き取る数日前から昏睡状態だった。 だから安いドラマのような別れの会話なんて出来なかった。 だからだろうか、今でも何だか漠然とした納得のいかない気持ちでいる。 前回の友人に関して述べたように感謝の気持ちを伝えたかった。 つくづく安いドラマが羨ましかった。 父の時にこんなことがあった。 個室に移動したから病

          (死について)明日、逝くと分かっていれば 3

          (死について)明日、逝くと分かっていれば 2

          何だかんだと11月の末日。 前回のnoteをアップしてから一カ月が経つ。 その間、別に誇らしい事をしていたわけではないが、死んでいなかったのは確かだ。 しかし、また多くの著名人の訃報を聞いた。 KANさん、伊集院静さんの死は個人的に堪えた。 改めてご冥福をお祈りします。 著名人の死に関しては前回述べた通りだ。 明日、逝くと分かっていても何も出来ない。 今回は友人の死について。 今まで五人の友人を見送った。 とても悲しい現実だった。 当然だが、若く、将来を約束された優秀なやつ

          (死について)明日、逝くと分かっていれば 2