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めまぐるしい想いを少しずつ、少しずつ。

心配性というか、不安を強く感じてしまう傾向にあるのか、何をするにも尻込みしてしまうときがある。

こんなことを言ったら、人はどう思うだろうか…
どこかの誰かを傷つけてはいないか…

そんなことばかり考えてしまって、下書きに溜まってしまう。そんなこと、気にしすぎ、と声が聞こえてきそうになるけれど、やっぱり気にしてしまう自分がいる。

感情も生ものであると思うから、タイミングよく外へ放り出さなければ、鮮度が落ちる。時期外れの話題は、味気なくなり、自分でもその気持ちはしぼんでいって、タンスの肥やしになっていくようだ。


このところの書けない、投稿できない理由は、
”感情が目まぐるしいから”だと思う。

1日で変わる考え方、世界的な状況、目に入る景色。
いろんな事柄から影響を受け、PCを開くのさえ億劫になり、ひたすら音楽を聴くことで気を紛らわせ、安定を保っているのかもしれない。。


そんな”時”なのだと、
必要な時間なのだと。
SNSと離れ、ひとりの静かな時間も。
私には、とても大切な時間だ。

その一方で、書きたい気持ちもある。具体的に何を?とは出てこないのだけれども。存在証明のような、息をするかのように、感情をアウトプットをしたいと思うこともある。

そういうのも習慣、というものなのだろうか?
できるかできないか、ではなく、やるかやらないか。。

選択肢は、2つしかないと思いがちだけど、そんなことはなくて。
理由はいくらでも探せる。それをやらない理由、優先順位を下げる理由、何かにかこつけて先送りの理由はそこらじゅうに溢れている。

でも、最後の決定打を打つのは、自分の気持ちだ。

白か黒か?
グレーか、赤か、ピンクか、ゴールドか。
もはや、透明?

物事には、いくつもの側面があって、様々なものの見方があって、感じる心があって。世界の裏側では、全く違う広がりを見せる。広がる世界は、どこまでも果てしないけれど、新しくて心地よかったりもする。

そんな中で、1つでいい、自分にしっくりくるものを見つけたいと思う。

昨日は、こうしよう!とやる気になっていた想いも、今日はしぼんでしまった。。
そんなときがあったっていい。

悩みに悩んで、深海の底まで行ってきたけど、ちょっと抜けたら爽快だ!
そんなときがあっていい。あってほしい。

落ちるとこまで落ちたら、楽になる気がする。
後は、前を向いて、空を見上げればいい。そこが底辺だとすると、それ以上落ちることはないから、意外と悪くはない場所なのかも知れない。

這い上がるなら、少しずつがいいと思う。

深海からの急浮上は、危険を伴うから。
壊れてしまっては大変だから。

少しずつ、少しずつ、
ゆっくりと時間をかけて、呼吸を慣らして。
肺活量を調整して。

水面に明かりが見えるなら、そこは出口だ。
進む方向はわかっている。

なんだか、そんな過渡期にいる気がする。
きっと、自分を取り戻す旅の途中。





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