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未購入の羽と飛行術の幻想と模倣の衣と車輪の下と羊皮紙

ぼくはいつも職の業に追われている……のだろうか?ヘッダ画像をお借りしています。朝から晩までデスクに向か……っているつもりはない、今からはなすのもキーボードを叩くというよりは楽しく外を飛び回る日々の話だ。

何かを諦めたかのように生活を見ていたのかもしれないが、この前久しぶりに違うことをしようと気づいたらクロスバイクで遠出していた。猫屋とかに行った。猫を買う人で溢れている。

その日は極寒の日だった。寒さをしのぐため、ずっと前に買った量産メーカーの分厚い上着を着て出かけた。この上着はUNDER ARMOURが一生懸命作ったものをパクったような商品で、大量売りつけする販路で二束三文で売られているものだ。ぼくは金がなく、UNDER ARMOURを買うことができなかった。この思い出はいつも心のどこかでぼくを苛んでいた。申し訳ないと思いながらも、その上着を着てクロスバイクを漕ぎ出した。

しかしその上着のおかげで寒さを全く感じずに済んだ。なんて皮肉なことだろう?クロスバイクは以前から言っているように足トレになる。足を疲労させることで普段デスクワークで動かないぼくでもうまく眠れるようになる。その日は見事に足の運動になっただけじゃなく体が温まった。

さらにそれだけでなく前から億劫でかつ忙しすぎて手をつけられなかった大きなイベントを2つもこなせてしまった。もっと皮肉なことだ。ぼくが諦めかけていた何かがこの小さな行動で少し前進……などしているといえるのだろうか。こんなのは単なる「資本主義への組み込まれ」でしかない。

この体験でぼくは深く考え込むことになる。こうして伝統的なメーカーが悪意ある量産品メーカーに潰されてしまうのだろうか?悪が正義を淘汰するのかと。そしてぼくこそがその勢いに加担してしまったのではないか?金がないばかりに、だ。

だからといってそのような行動を取ることが許されるのだろうか。申し訳ない、恥ずかしい、悔しい。

その日───気温が2桁にならなかった日らしいが──ぼくは寒さを感じずに済み、足トレにもなり、大きなイベントもこなせた。マジで皮肉なことに、ぼくはその量産メーカーの上着のおかげでガンガン生きていた。

ぼくはどうすればいいんだろう?この疑問に答えてほしいとは思わない。自分の行動や選択に責任を持つことは大切なのか?どこまでも資本主義に組み込まれているだけの世界で責任の所在を問うことのばかばかしさを世界に広められる翼をぼくが持っていたのであれば何かが変わったのだろうか?

今日はブラックカイザーという映画とアウトフィットという映画を見てしまった。なんつう映画だと思った。果たして命の大切さを学んだなどといえるのか。どんなに小さなことでも自分の選択が周りに与える影響を考えたことになるなんておこがましくないだろうか?

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