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社内コミュニケーションでは言葉の鋭利を削れ

どっちかっていえばリモートワークなんかを円滑に進める心がけじゃねえかと言われちゃうかも知れないんだけど、時代がニューノーマルに突入したことで人々のコミュニケーションの形態が変わってきたのは自明です。ヘッダ画像をお借りしています。

言葉は自然物みたいに鋭利になれる

言葉はものすごく鋭利にできている。たぶんそれは自然物である水とか魚とか岩みたいな、善でも悪でもない純粋な存在だからだろう。

水だって凍らせると人をやれちゃうし、魚のひれとか鱗で簡単に怪我するし、岩なんて言わずもがなだろう。それぐらい言葉だって簡単に傷つけられる。ただ自然物は物も人もぶっ壊せるけど、言葉は人しか扱わないから人しかぶっ壊せません。

逆に言えば、「人だけぶっ壊せるのが特徴」って、言葉って悪意を持って扱えばなんて効率的な殺傷道具なんだろう。

傷つけるためには傷つけ箇所、つまり接触面=端(はじ)を鋭利に磨いてやる必要がある。石を研ぐ、氷の先端をアイスピックみたいにする、魚のひれは魚の一番外殻、つまり端っこについていますね。

逆に言えば、端さえ鋭利にしなければ傷つけずにいられる。もちろん完全に傷つけないなんてことは無理だ(めっちゃ丸い石でぶん殴れば大怪我するけど、石を削って削って刃物みたいにした状態で突き刺す、みたいなのよりはダメージが和らぐ可能性が高い)けど、「傷つけのレベル」を最小限に留められるかも知れない。

社内向け文面と社外向けを一緒くたにしてないか

じゃあ言葉の先端も鋭利にしなければ言葉で(できるだけ)人を傷つけないでいられよう。

遠隔環境上におけるビジネスシーンでの会話はチャットアプリとかインスタントメッセージなんたら的なプラットフォームを介してやり取りすることになる。SlackとかDiscordとかなんでもいい。でもSlackだのチャトワだのは「課金しないと過去の書き込みを表示させない」という本来ユーザの所有物である知的財産を人質にとるダークパターンマーケティング行為で金稼ぎ始めてるから、積極的に使わないようにしても良いかも知れない。

話を戻しましょう。なまじビジネスメールに慣れていると、社内外での文体すべてを一緒くたにしてしまうことがある。ここに、鋭利なやり取りが実現されてしまう原因がある。

メールとは追客とかで「どうしても相手の懐から金を絞り出すため」に書く。畢竟、真面目であり相手を尊敬している、ふざけのない礼式を極端に重んじた文になりがちです。

今ぼくはわざと砕けた口調を使ったりしてしゃべるようにしてるけど(←この「けど」とかまさにそうだ)、そういうのを抜けばきちんと句読点を使った面白みのない文体になっている。いまここに書いているぼくの文がです。ビジネスメールの文体がこれ系だ。

これをやめる。社内チャットで句読点をびしばし遣うと、「冗談が通じねー相手化」してしまうから。

特に管理的な立場を付帯している人間が使った日には目も当てられない。そのSlackにおけるそいつのいるチャンネルは一生硬い雰囲気で物がいえないお陀仏モードですね。愁傷である

砕けたコミュニケーションなら遠隔地にいてもアイデアの源泉になる

社内におけるフレキシブルな会話、砕けたブレインストーミングは確かに今後のビジネスを有利に進めるであろう便益のある内容を生むだろう。

近年では、それらは対面で行われて然るべしみたいな勢力が息を吹き返し始めており残念だ。悲しいかな、ビジネスチャットのような新しいツールに慣れない連中、世代が真っ先に言い始める気がするが、気のせいだといいなと思っている。

対面を強要する前に、はたしてあんたらは気兼ねなく何でも話せる雰囲気を造っているか?を問われなければならない。ZOOMとかビデオ通話と文字入力アプリを組み合わせ、ファシリテーターを設け、話者をきちんと指定すれば、擬似的な対面状況なんていくらでも作れる。そのうち書きたいけど「喋りたい奴をいかに黙らせるか」がキーだ。

そういった努力をしないまま、くそ暗い雰囲気でなんも言えねえよ的なビジネスチャットチャンネル、唯一の社内コミュニケーションの場を形成しておいて、二言目に出てくるのがてめえら出社しろ、貴様らの働きぶりを管理させろ、なんだから自己都合も甚だしく笑わせる。

もちろん今ぼくは意図的に彼らに向けて鋭利に研いだ牙を放っている。

追客メールの人格は追客メールの人格、社内に向けた柔和な人格は改めて個々人が出力すべきだ。句読点とか守ってる場合じゃない。絵文字だって顔文字だって使うべきなのだ。

#仕事の心がけ

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