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*25 もあ

 ドイツを飛びって、日本に降り立って半年が経った。これでようやく半年か、と思った。毎度の節目ごとに一々振り返ってなぞっていてはきり無いが、半年は立派な、振り返るにも相応しい節目に違いない。
 
 三月十一日、いまだ日本列島の古傷は痛もう。高校を卒業した直後に大きな揺れに見舞われ、それから数年後に松島や女川を訪れた。想像していた以上の広大な更地と仮設住宅の行列は今なお思い起こされる。海を渡ってからはドイツ語の新聞の中に毎年その記事を見付けては、もう何年と経ったか、もう何年、と高校を卒業した年から指折り数えた。二〇二四年の三月十一日は、私の帰国後半年の節目であった。それすなわち帰国した日が同時多発テロの起こったその日である事を意味する。登校前に朝のテレビの中に観た、煙を吹く高層ビルの映像もいまだ鮮明である。
 
 
 
 半年、というのは哲学的概念ではなく数字である。社会的印象ではなく自然である。その半年という月日を過ごす間に私の人生は計画よりも順調に、また想定よりも逆調に今日こんにちまで至った。秋は見た。冬は知った。この半年が妙に濃密であったからてっきり四季の全てを網羅したかと思えば、春も夏も未だ未体験であるに気が付いて、それで嗚呼、これでようやく半分なのかと思った。言われてみれば桜も海もまだ見ていない。
 
 
 この半年が濃密だったと言った。順調で逆調だったと言った。予期せぬ機会に恵まれ、予期せぬ人と出逢い、想定外の出来事には散々出くわしたが、そうした中でやろうと思っていながら出来ていない事というのが一つと思い浮かばない。これは良い事である。文豪の足跡そくせきを辿って熊本へ訪れた事も、旅の目的として訪ねた旧居が休館日であった事を除いておおむね満足の旅であったし、しんから会いたいと思っていた人達にも皆会えた。焼いたパンを販売する事も出来ているし、それに伴い確定申告も経験出来た。伝えたい事は伝えられたし、知りたい事は知れた。これで文句を言っては罰が当たる。
 
 
 時代を経ても色褪せず、或いは色の褪せ方さえ艶やかな、時代錯誤と揶揄されようが己の伝統に忠実な商売ビジネス催事イベントを今なおかろうじて見掛ける。実績も経歴も十分でありながら、それでも人知れず、陰、細々と、ただ愚直に、ただ真摯に、己の道を慎ましくも嬉々として精進する者を僅かながら知っている。そういう人生を歩む者に惚れながら、また彼らに追い付けぬを恐れながらの人生こそ、世間に理解されずとも私には幸せに思われるのだろうと思った。
 
 
 半年を数え、一年をのぞむ。もう半年後の私はどうなっているんだか、ドイツをった時の私が今の私の状態をまるで予測出来なかった様に、どうせ今年の九月十一日時点の私の姿は今の推測と大きく異なっているに違いない。その異なり方の可能性すら列挙するだけ無駄骨である。それでも私はこれまでもそしてこれからも、何処かずっと先の未来から伸びている糸をひたすら辿っている道すがらである。この糸を信念と呼ぶならば、或いはこの糸を運命と呼ぶならば、つまづいた事や遠回りした事こそあれ、一向ぶれずに今日に至る。伝統も流行も無い、有名も無名も無い、ただ密やかな糸に繋がれた極ささやかな命である。それ以上でも以下でもない。故に生まれる自由である。

 駅でパンを販売していたのも記憶に新しいが、あれも自由が故の行動である。特定の団体に所属し、特定の監督の元に行動を制限されていればなかなかすんなりとはいかなかったに違いない。そうして今度は別の販売方法を思い付いて、今週はその準備にあたった。
 
 次の手立ては注文販売である。注文販売ではあるが、実際にパンが客の手に渡るのは週に一度きり、限られた日のみとした。詳細に言えば、日曜日から火曜日までの間に予約注文を受け付け、それを水曜日から土曜日にかけて私が準備をし、土曜日の特定の時間に、私の工房のある所まで取りに来ていただくという仕組みである。折角取りに来ていただくから、コンクリートで囲われた駐車場に簡易の販売ブースを設置し、ラックに注文のパンを並べておこうと思っているところである。
 
 
 つい先日まで、販売ブースを手作りして、それを引っ提げて方々でパンを売ろうということを考えていたが、現実的に考えた時に様々な部分で効率が悪いと気付いた。販売ブースを手作りする労力はさておき、製造に割ける時間と移動に割かねばならない時間と、そうしてパンの売れ残りについての懸念である。フードロス削減が声高に叫ばれるが、作り手としても売れ残ったパンを見るのは胸が痛む。
 
 その点、完全な注文販売にしてしまえばそうした懸念点が払拭される。また曜日で区切れば私の動きにもまとまりが生まれる。以前にも注文販売の案を考えた時があった。その時は単に注文を受け、市内であれば配達までするつもりで考えていたが、今になって思えば大量生産せねばならぬ日に配達までしていたら、たとえ身体が元気であったとしても時間が足りなくなる顛末てんまつが容易に伺えた。今度の案は、その点も改善された。初めから全てが上手く機能するとは到底思っていないが、動かしてみねばどの歯車が緩みかけていて、どの電導線コードに接触の不具合があるんだか判然としない。また幾ら歯車が上手く噛み合っていても、絶えず動かしっぱなしでは超過労働オーバーワークで疲弊も凄まじかろう事は先日の大風邪で学んだから、その反省を活かして休息日も設ける計画である。
 
 
 人生において万物はラストチャンスである。ドイツでのマイスター資格挑戦もそうであった。駅でパンを売るのも当然そうであった。会いたい人に会える機会がありながら会おうとせぬ内にどちらかが命を落としてしまっては悔み切れぬ。生きている人に生きている言葉を伝えられるのも生きている内の特権である。宮大工の見習いをしていた時分に出会った「人間は後悔する様に出来ている」という言葉に大いに感化された人生である。丸腰でドイツへ発ったのも全くそれであるし、日本へ帰って来てからの半年間にやり残しが無いのも全くそれに帰する。パンの注文販売もどうなるんだか分からないが、思い付いてしまった以上、試してみねば気持ちが悪い。何故試すかと聞かれれば思い付いてしまったからと答えるより他にない。
 
 
 
 土曜日の朝、道の駅の職員がおもむろに私を呼び止め「聞きたい事があるんですけど」と言ったから、帰りかけていた私は踵を返し職員の方へ戻った。「お店は出されているんですか?昨日あるお客さんに聞かれたもので」と職員に聞かれ、いつもの様に「店舗はまだ構えていないんです」と答えた。その翌日にも別の職員から同じ事を聞かれた。
 
 余りにその声が重なると、店舗を持っていない私は世間的に認められないのか知らんという錯覚を起こしそうであるが、これはある種の期待の表れだと理解した私は、「頑張ります」とか「それでも焦らず準備はしています」とへらへら答えた。無論、その言葉に嘘はない。しかし話は戻るが、帰国してからまだ半年しか日本を体験していない私である。春を見て、夏を知って、それからでも遅くはなかろう。もとい、僭越せんえつながら脳味噌の一部では五年後までのカレンダーを管理している。欲しい物を全て集めながら、やり残しの無い様注意を払いながら、今、一歩一歩、ラストチャンスの今日を消費していく道すがらである。
 
 
 


 
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。


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