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*17 アイム(・ノット)・ア・ストレンジャー

 例えば私が今住む町から東京へ出向こうと考えた場合、車で行けば三時間は優に掛かる。新幹線に乗っても二時間は掛かる。また何れの場合においても金は掛かる。そうするとふらっと足を伸ばすには少し遠過ぎる様に感ぜられる。友人の引越しや贔屓の画家の個展でも無い限り、時間と金額がその道程を引き伸ばす。
 
 ドイツにいた頃に何度か日本へ一時帰国をした。航空券はどんなに安い時期でも八万円はしたし、八万円の航空券であれば所要時間は最低でも十七時間と掛かった。不思議な事に、今住む町から東京へ行くよりもドイツから東京へ来ていた頃の方が体感として近かった様な気がしている。
 
 ドイツにいた八年の間、東京に住む友人としょっちゅうビデオ通話をしていた。世が感染症に呑まれ画面越しに乾杯をするのが一般化したよりも前からそれをやっていた。日本に帰って来た今でも時折それはするのであるが、この距離についてもいささかドイツ、東京間の方が近かった様な気がするんだから不思議である。帰国すれば会いたい人に会う為に全国何処へでも行けるつもりでいたが、結局隣の岐阜県へさえ未だ足を運べずにいる。理由わけは分からぬ。ドイツより沖縄の方が近い筈だのに、沖縄の方がドイツより遠い。
 
 
 数日前に以前勤めていたパン屋のインスタグラムのストーリーが不図ふと目に飛び込んだ。そこでは見習い生のマリオがシェフについて大型パンの窯入れを手伝っていた。当時私がまだ在籍し面倒を見ていた頃の彼は十五歳という年齢相応の危なっかしさと頼りなさがあって、シェフについてオーブン仕事をする姿など見た覚えが無かったから、何だか子供の成長を見る様で思わず彼にインスタグラムのリンクを添えて連絡を入れた。
 
「君、とうとうオーブンを学び始めたのか?」
「この時は少し手伝っただけさ。それより近頃は深夜に出勤して生地の仕込みをしたりしている」
「すごいじゃないか、応援している」
「ありがとう。それと先日からクラッ※1フェンも揚げ始めていて、体中が油臭くてたまらない」
「それで、揚げたてのクラップフェンを毎日一つ、ちゃんとつまみ食いしているのか?」
「勿論、味見をしなきゃ」
 
 そういう遣取やりとりを交わしながら、私と彼の間にある九〇〇〇キロという実際的な距離を考えたら、急に彼が遠い国の或る外国人の様に思われて、その幻覚は首を振って何とか掻き消したが、しかしこれも東京ドイツ間問題同様、不思議な感覚を私の背に投げつけた。見習い生のマリオという少年をよく知りながら、果たして私は誰と連絡をしているんだったかなと彼の顔と、それから実際に共に働いていた頃の、冗談を言い合っていた頃の姿を思い浮かべなければ見失いそうになってひやりとした。
 
 
 過去にドイツから日本へ帰国した者の言葉で、日本に帰った途端に夢から覚めて現実を突きつけられている様だ、というのを聞いた事があった私は、その絡繰からくりこそ理解出来たものの、是非自分の際にそうなる事だけは避けようと固く決心していた。その人は確かにドイツで知り合った人達の事をぐんぐん忘れていく様であった。疎遠になる、というのはどうせこういう事である。然しそれでは余りに寂しくはないだろうか、と思った私は、今まさに私とマリオとの間に疎遠の扉を見た。私があそこでマリオを伝記上の或る西洋人の如く認識していたら、たちまち疎遠の扉を開けてしまっていたのだろうと思う。

 然し海外から帰国した心情を「夢から覚めて現実を突きつけられている」と表すのは言い得て妙である。海外に渡る者の多くは夢を追って飛び発つんだとすれば、着地した先は夢の世界で、そこで過ごす日々が夢見心地でもなんら不思議ではない。そうしてまたその夢の世界から飛び発って戻るんだから、対義の世界が目の前に広がっていて然る。私はこのを自分の身にはまだ感じられてこそいないが、何となくいまだに日本で暮らす感覚を掴みあぐねている様には確かに感じている。
 
 
 先週市役所に足を運んで駅構内におけるパンの販売について尋ねてみたが、その返事が今週になってもまだ来なかった。単に可否の二択問題であったから直ぐにでも返事が来るものと安易に考えていた私は、今日来るかもしれない、今日来るかもしれないと心構えをしながら日を暮らしていく日々にみるみる英気を奪われたどころか、その不安から派生してさらに壮大な不安まで勝手に仕立てて悶々としていた。
 
 待ちきれなかった私は火曜日、先週既に声を掛けていただいていた駅構内にあるカフェでのパンの取り扱いについて駅の案内所へ相談に出向いた。念の為に準備しておいた見本のプレッツェルをカウンターに並べて、外国人客相手に良いと思うんです、と、まあそれでも余り大言壮語に成らぬように謳うと、大変前向きな返事を貰って、それではまた上層の人間と相談したのち連絡差し上げます、と言う女性スタッフに宜しくお願いしますと御辞儀をして駅を出た。この連絡も随分待った。
 
 
 二つの返事を待つ私の心はますます不安を肥大化させた。文字に起こすとどういう脈略でそうなったんだか不思議であるが、社会的自己嫌悪に陥ってとっとと人里離れた何処かへ逃げてしまいたい様な気持ちになった。些細な心配事という僅かな火種から壮大な苦悩という大火事を起こすは私の特技である。これは全く馬鹿のする事であるが、それを自分に言い聞かせようとすると、それは火消しの水ではなく、馬鹿という単語が薪となって火柱をさらに大きく立ち昇らせるんだから本当の馬鹿である。
 
 
 土曜日になって東京に住む友人から連絡があって相変わらず二人でビデオ通話をした。彼が引越を控えているという話はあらかじめ聞いていて、そこへ私が手伝いに行くと言ったからそういった話を進めたのが最初の議題であった。その話が一段落つくと、聞いてくれよと、近頃の状況と心情を洗いざらい話した。
 
 東京の高校で実習助手として働く友人は「御役所の事は知らないが、学校では一つの話が出たらそれを二度も三度も会議を通してそれでようやく決まるから、まあ君のパン販売の可否についても大凡おおよそそういう事なんじゃないか」とそれらしい推測をして、それで私は成程なるほどと大方納得した。この辺りも一つ、日本で暮らす感覚を掴みあぐねている部分かも知れないと思った。
 
 そうして私が自ら肥大化させた社会的自己嫌悪についても口にすると「何を今さら悩む必要があるもんか。君が社会的におかしいのは今に始まった事じゃないだろう」と淡々と言うから、全くこの男ほど信頼のおける奴もいないと感服した。結局その晩、酒を片手に四時間と喋って心の内に燃え盛っていた火柱もすっかり鎮火されたわけであるが、終始へらへらとしていた所を見ると大袈裟に火事だ火事だと騒ぎ立てていた火柱が所詮幻想であった事に漸く気が付いた。
 
 
 雪の代わりに雨の降った日曜日の午後、不意に電話が鳴った。駅の案内所からの着信であった。電話に出ると先日の女性で、是非パンをカフェで取り扱いたいから近々所長を含めた三人でお話しましょうという連絡であった。私は有難う御座います、宜しくお願いしますと応えると共に、輪郭の判然はっきりとした安堵が喉元から腹の底へ落ちた。結局その話し合いは再来週に執り行われる事になった。一週間の時間はあくが、まさか私もそこで癇癪を起こす程自己中心的ではない積である。むし終点ゴールの見えている待機であれば、また執拗に不要不急の不安をこする事も無いからそれだけでも安心出来た。
 
 また、二十日と待った先には地元の雪まつりがある。そこへの出店に向けてはライ麦パンのサンドイッチを目下もっか検討試作中である。社会から大きく外れた分際で生意気に客観きゃっかん俯瞰ふかんなどせず、手元のパン生地に真摯に向き合っていれば不安の火種も起こらない筈である。



※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。 


(※1)クラップフKrapfenェン:別名ベルリナー。ドイツのジャム入り揚げパン。

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