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*22 猫の手

 一月末の時点で、二月は忙しくなりそうだという予感が起こったのは、占星術のおぼし召しでもタロット占術の絵札の配置でも無く、私の直感によるものであった。直感と呼ぶには芽の出そうな種の場所を把握し過ぎていたが、それでもその種が本当に発芽するのかという点においては矢ッ張り不確実な予感に頼らざるを得なかった。漠然と忙しくなるだろうという予感があったわけでもないが、そうかといって一月末の時点で二月の予定が全て決まっていたわけでもなかった。
 
 
 先週から始まった駅でのパンの販売は引き続き行った。この販売活動の申請をする時、私は二月末までの約三週間と期間を設定していた。それを大前提としながらも、事前打ち合わせの際に所長から「利用客のピークが過ぎていますから、様子を見て、もしも売り上げが見込めなさそうな日というのがあれば、無理せずお休みいただいてもいいですからね」と不利益を出さない為の助言をしてくれていた。期間こそ三週間として申請してあったが、その期間内であれば、出店した日にのみ場所代がかかり、出店しなければ場所代も無いという良心的なプランで場所を利用させてもらっていた私は、それでもまあ折角だから三週間の内は休まず駅に立とうとは端から決めていた。
 
 
 やらぬ後悔よりやる後悔、という言葉がある。変に格言染みた形で持て囃される言葉を嫌う節が私にはあるが、この時の私の心情を劇的ドラマチックに言い表すとすればまさにこれである。仮にやらなければ場所代を仕払わずに済むが、これといって何も起こらない。何も起こらないの「何も」は、ある特定の事象を指すものではなく、「もし駅で販売していたら」とたらればで仮定した時に頭の中に思い浮かぶありとあらゆる事象を指すわけであるから、思い浮かぶ可能性の数が多ければ多いほど、やらなかった場合の損失というのは大きくなるのである。それを簡潔に大袈裟に言ったのが既出の格言である。
 
 
 それで私は月曜日も駅に立った。先に言っておくと金曜日まで毎日立った。そうすると矢ッ張り色々起こった。私が頭の中で想像し得なかった事が幾つもあった。
 
 
 
 先週春の様な陽気が続いて里の雪はほとんど溶けた。山の上のスキー場にはまだ雪が蓄えられている事と思うが、駅周辺も豪雪地帯の冬景色とはとても呼び難い景色になってしまっていただけに、ひょっとすると駅が突然伽藍堂がらんどうになってしまっていたりしないか知らんと、パンを準備しながら、駅へ車で向かいながら、なるべく小さく不安がった。
 
 駅に着いて持ち場へ向かう。十一時になると観光案内所へ顔を出して販売開始を知らせる。それから三十分程経った頃に最初のピークがある。スキー場からの帰りのバスが到着するのである。バス乗り場からぞろぞろと観光客がエスカレーターで私のいる二階へ上がって来る。エスカレーターで上がった正面に私は立っていた。ほとんどの人は私の前を通り過ぎて券売機へ真っ直ぐ向かう。新幹線こそ通っているが決して大きい駅ではないから券売機には直ぐに行列が出来る。ここが一番の狙い目である。
 
 
 買って行ってくれる客は矢ッ張り外国人客が多かった。そんな中である一人のオーストラリア人が私からプレッツェルを買うと、その日の夕方にインスタグラムを通して「凄く美味しかった」と感想を寄越してくれた。私も「ありがとう、嬉しい」と返事をやると、翌日にもその男は表れて、「私のスタッフの分も」と言って六個もまとめて買って行ってくれた。そうして一度店頭を離れたかと思うと、くるりと踵を返して戻ってくるなり「私はこの辺のスキー場でロッジをやっているんだ。このプレッツェルはビールと凄く合う。是非来年はうちで使わせてくれ」と言った。これが一つ、私の想像し得る可能性の外側にあった事象であった。
 
 私は「本当か。もちろんだとも、それは嬉しい」と興奮して答えたかったが、いずれも瞬発的に喉までせり上がって来た言葉がドイツ語であったから、それらを沈めながら「イエス」だとか「グッド」だとか簡易な英語に意思を込めて伝えた。
 
 
 それから別の日には、私が駅に到着して机を広げるよりも前に話し掛けて来た二人の女性がいた。なんでもインスタグラムを見て来てくれたんだと言った。そうして机を準備するよりも先にパンを広げると、商品を買いがてら話している内に彼女達が地域の広報誌を作っているんだと分かり、その広報誌の或るコーナーで私の事を紹介して貰える運びとなった。これも言わずもがな私の想像の外にあった事象であり、実際に起こった出来事である。
 
 日々、たった三時間立っているだけでも矢ッ張り色々ある。或る日は完売もした。或る日は私のパンを道の駅で注文してくれている人と出会った。何事もやる“価値”というのは後になってみないと分からないものであるが、やる“意味”についてはやらぬ内から見えている。私の場合、パンを売ること以上に名前と顔を売る為のこの販売活動であったから、売り上げと場所代の収支は相殺されてもそれ以上の“意味”も“価値”も端からあった。

 しかしたった三時間立っているだけと言ったが、連日活動の始まるのは深夜の一時頃であった。売り手も作り手も同じ手でやるんだから当然である。おまけに今週は同時に幾つも大量の注文が入ったから朝から晩まで忙しかった。
 
 その日に売る分のプレッツェルを焼くだけでも、大型のオーブンやミキサーを持たない工房では時間を要した。そこにクロワッサンやアップルパイやライ麦のサンドイッチも加わって、それでなかなかさっさと片付けるわけにもいかなかった。無論、パンを焼いて終わりではない。袋詰めやラベル貼りに始まった配達や駅での販売も一つの手でやるんだから暇がない。暇をするのが苦手な私の性分から言えばそれ自体に別段文句も無かったが、時間に追われて急ぐ事が苦手な私の性分から言えば、其々それぞれの制限時間の存在がなかなか大変であった。
 
 
 パンを焼いて、袋に詰めて、配達に回って、駅での販売をして、注文分のパンの準備をして、売り上げの勘定をして、そうするとすっかり夕方で、また翌日は一時に起きる必要があるからそこから逆算して導き出した就寝時間にはとうてい間に合わなかった。これで音を上げる様な人間であればドイツで八年半も過ごしてマイスター資格など取れていなかったに違いない。いやむしろ、これを屁とも苦とも思わぬ体はドイツで鍛えられたものであった。
 
 渡独直後、ドイツ語を身に付けなければ生きていけぬと腹を括って寝食もないがしろに教科書を血眼で読み漁り、辞書を破れるまで捲ったあの生活が、その後の職業訓練の三年間もマイスター学校の期間に際してもすっかり癖付いてしまっていた。それの延長の今である。してや「多忙になるだろう」という直感による覚悟があっての今である。
 
 世の傾向トレンドは不労所得にあろう。今の私はその真逆を行く過労に微得を重ねた状態で、世間からすればさぞ時代遅れの滑稽者に見えよう。しかし私は分かっている。今送る過労の日々も、どうせ何時いつかは下積み時代の苦労話として酒の肴になるという事を。そうしてまた何時かの自分の足腰を鍛えたのが今日こんにちの一分一秒である事を。目先の金銭や名声に関心の湧かない私でなければ、場所代を稼ぐ為に場所代を支払うなどという非効率は働くまい。全ては四年後の自分の為である。
 
 
 そんな話を水曜日、先日の雪まつりで知り合ったよもぎ屋のカフェを訪れた際に話した。その時その店のオーナーから「三月後半以降、この店舗を使ってパンを売るなりカフェをするなりしてみても良い」と声を掛けていただいた。すこぶる面白そうである。面白そうであるからこそ、アイデアと計画はしつこく練り上げたい。どんなやり方が今の自分には出来るだろうか、新たな宿題である。三月も案外忙しくなるかもしれない。
 
 


 
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。


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