Girasole Records

小4でBay City Rollersに、そして中1で甲斐バンドに出会い、甲斐さんのラ…

Girasole Records

小4でBay City Rollersに、そして中1で甲斐バンドに出会い、甲斐さんのラジオで佐野元春にやられた。学校の図書室で読んだ『レンズマン』でSF読みとなり、『占星術殺人事件」でミステリ読みに転向。ずっと映画には縁がなかったが、『ミツバチのささやき』に出会い改心する。

最近の記事

レコード棚を総浚い #83:『The Doobie Brothers / Takin' It To The Streets』

ドゥービー・ブラザーズ、1976年リリースの6thアルバム。 入院していたトム・ジョンストンは復帰したが、新加入のマイケル・マクドナルドとジェフ・バクスター色の強いアルバムとなった。 しかし、バンドが持つグルーブそのものには、やはりジョンストン時代の名残があり、このアルバムの印象を少し曖昧なものにしていると、私は感じた。 https://amzn.to/42u9JlC

    • レコード棚を総浚い #82:『The Doobie Brothers / The Captain and Me』

      1973年のドゥービー・ブラザーズ3rdアルバム『キャプテン・アンド・ミー』 何と言っても『ロング・トレイン・ランニン』『チャイナ・グルーブ』が入ってるだけでお腹いっぱいなのに、だいたい収録曲全部がいい曲という絶好調さ。 ソングライティングでもボーカルでも、トム・ジョンストンの魅力が爆発しているが、『サウス・シティ・ミッドナイト・レディ』を聴くと、パトリック・シモンズもソングライターとして只者でない存在感がある。 そしてこのアルバムには、当時スティーリー・ダンに在籍して

      • レコード棚を総浚い #81:『Don Henley / I Can't Stand Still』

        1980年イーグルスが活動停止。 その後、81年のスティーヴィー・ニックスとの共作シングル『レザー・アンド・レース』を経て82年、ファースト・ソロアルバム『アイ・キャント・スタンド・スティル』を完成させる。 スティーヴィー・ニックスとのシングル『レザー・アンド・レース』は、ニックスの(こちらも)最初のソロアルバム『麗しのベラ・ドンナ』(なぜかいつもドンナ・アンナ=モーツァルトのドン・ジョバンニで刺殺される騎士長と間違ってしまう)に収録されている。 そして本作『アイ・キャン

        • レコード棚を総浚い #80:『Derek And The Dominos / LAYLA and other assorted love songs(いとしのレイラ)』

          ザ・バンドに傾倒したエリック・クラプトンが、歌を主体とする音楽に立ち戻ろうと、デラニー&ボニーのボビー・ウィットロック、カール・レイドル、ジム・ゴードンを誘い、結成したバンドがデレク・アンド・ザ・ドミノス。 唯一のスタジオ盤がこの『いとしのレイラ』である。 名曲『レイラ』のスローパートにおける盗作疑惑の主犯格こそが、そのジム・ゴードン(2023年没)だが、その顛末はすでに書いた。 アルバム『いとしのレイラ』におけるザ・バンドの影響は、複数の声によって織り上げられる楽曲構成

        レコード棚を総浚い #83:『The Doobie Brothers / Takin' It To The Streets』

          レコード棚を総浚い #79:『Donald Fagen / The Nightfly』

          ボイス・オブ・スティーリー・ダン、ドナルド・フェイゲンのソロ1作目『ナイトフライ』は、スティーリー・ダンの80年作『ガウチョ』に続いて、82年にリリースされた。 スティーリー・ダンの『エイジャ』『ガウチョ』そしてこのフェイゲンのソロ『ナイトフライ』は、大学時代のサークル活動の中で知った。 いずれも貸しレコードの録音テープで聴いていた。どちらかと言うと、テクニックに聴き惚れるような聴き方だったと思う。 東京に出た社会人時代、1993年ドナルド・フェイゲンの2ndソロ『カマキ

          レコード棚を総浚い #79:『Donald Fagen / The Nightfly』

          レコード棚を総浚い #78:『Deep Purple / Burn(紫の炎)』

          第3期ディープ・パープルが残した1974年リリースの記念碑的名盤『Burn』 前年の日本公演では、アンコールに応えなかったバンドに怒った聴衆が暴徒化して、翌日の公演が中止。大阪の最終日、アンコールを待つオーディエンスにイアン・ギランは、「The end! Good-bye」と言ってロジャー・グローバーとともに脱退を宣言。 そのまま第2期ディープ・パープルは空中分解となる。 そしてバンドにはデヴィッド・カヴァーデイルとグレン・ヒューズが加入して第3期となる。 そんなことがあ

          レコード棚を総浚い #78:『Deep Purple / Burn(紫の炎)』

          レコード棚を総浚い #77:『DeBARGE / Rhythm Of The Night』

          何と言っても表題曲が有名な兄弟ユニットDeBAGEの4枚目のアルバム。 モータウン製作の映画『The Last Dragon』(日本未公開)のサントラ収録曲『Rhythm Of The Night』がR&BチャートのNo.1を獲得、大ヒットとなった。 作者は、その後数多くのヒット曲を作るダイアン・ウォーレンで、この『Rhythm Of The Night』が出世作となった。 ダイアン・ウォーレンのヒット作は数が多すぎて、ここではご紹介しきれないが、有名どころではエアロスミス

          レコード棚を総浚い #77:『DeBARGE / Rhythm Of The Night』

          レコード棚を総浚い #76:『David Bowie / Young Americans』

          前作『ダイヤモンドの犬』のツアー後半から、ショーの内容をソウルミュージック方向に大きく変更、それが作品として結実したのが本作『ヤング・アメリカンズ』なんだそうな。 レーベル面にはレコード会社の合併により生じた、ロゴ仕様の権利料の関係で消し貼りシールが貼られている。詳しくは過去記事をご参照ください。 ジョン・レノンとの共作シングル『フェイム』には、もう一人カルロス・アルマーというギタリストが共作者としてクレジットされている。 本作『ヤング・アメリカンズ』以降、ボウイの強力な

          レコード棚を総浚い #76:『David Bowie / Young Americans』

          レコード棚を総浚い #75:『David Bowie / Diamond Dogs』

          1974年、デヴィッド・ボウイー8枚目のスタジオ・アルバム。 原盤では「BOWIE」名義となっているが、日本盤では「デビッド・ボウイー」名義。 ジョージ・オーウェルの『1984年』をモチーフにしたミュージカル作品として構想されたが、著者の未亡人がこれを拒否。半人半獣のボウイが荒廃した未来を予言をするというコンセプトに再構築された。 シングルカットされたのは、タイトル曲『Diamond Dogs』と『Rebel Rebel』だが、個人的に思い入れがあるのは後者の方だ。 小学

          レコード棚を総浚い #75:『David Bowie / Diamond Dogs』

          レコード棚を総浚い #74:『Dave Mason & Cass Eliot/ Dave Mason & Cass Eliot』

          トラフィックの活動休止後、アメリカに渡ってファーストソロを出したデイブ・メイスンがパパス&ママスのキャス・エリオット(ママキャス)と組んで、1971年に出したコラボアルバム。 ファーストソロに較べるとアコースティック要素強めで、フォーキー・スワンプとでも呼ぶべきか。ハモンドの多用も印象的。 グラム・パーソンズの手引きで、出会った二人の共作アルバムだが、キャス番長が作曲に関わったのはわずか2曲。その『Here We Go Again』と『Something to Make Y

          レコード棚を総浚い #74:『Dave Mason & Cass Eliot/ Dave Mason & Cass Eliot』

          レコード棚を総浚い #73:『Dave Mason / Alone Together Again』

          トラフィックの活動休止後、70年にアメリカ西海岸に渡ったデイブ・メイソンが、デラニー&ボニーやレオン・ラッセルらスワンプ人脈と録音したファースト・ソロ・アルバムが『Alone Together』。 スワンプの広大な沼の中でもとびっきりの名盤だと思う。 音楽評論家萩原健太氏は、この盤を指して「ジョージ・ハリソンの『オール・シングス・マスト・パス』と背中合わせに存在する一枚として記憶されるべき名盤」と評しており、その言葉に背中を押され、聴いてみたこの『Alone Together

          レコード棚を総浚い #73:『Dave Mason / Alone Together Again』

          レコード棚を総浚い #72:『Daryl Hall / Sacred Songs』

          1980年リリースのダリル・ホール、ファースト・ソロ『セイクレッド・ソングス』 アルバムの内容よりも、まず気になるのがレーベル面に貼られたこの奇妙なシール。 前オーナーが貼ったものと思い込んでいたが、後日デヴィッド・ボウイの『ヤング・アメリカンズ』にも同様のシールを見つけ、どうやら当時のRCAレコードに何かが起きていたと推察された。 調べると、消されたものの正体はすぐにわかった。 Victorの文字と、『His Master's Voice』をモチーフにしたグラモフォン

          レコード棚を総浚い #72:『Daryl Hall / Sacred Songs』

          レコード棚を総浚い #71:『Daryl Hall & John Oates / Big Bam Boom』

          1984年リリースの12thスタジオアルバム『ビッグ・バン・ブーム』 前作『フロム・A・トゥ・ONE』で新録された『セイ・イット・イズント・ソー』と『アダルト・エデュケーション』で共同プロデューサー、『ウェイト・フォー・ミー』のライブテイクではリミックスを担当したボブ・クリアマウンテンが、本作でも共同プロデューサーとしてクレジットされている。 ボブは、同年リリースのブライアン・アダムス『レックレス』に、ホール&オーツバンドのドラマー、ミッキー・カーリーを参加させ、80年代

          レコード棚を総浚い #71:『Daryl Hall & John Oates / Big Bam Boom』

          レコード棚を総浚い #70:『Daryl Hall & John Oates / Rock'n Soul Part 1(フロム・A・トゥ・ONE)』

          1982年にリリースされるや、15週連続全米3位、同年年間第4位、プラチナ・アルバムとなって、ダリル・ホール&ジョン・オーツとして最大の売り上げを記録した『H2O』に続いて、翌年1983年にリリースされたキャリア初のベスト盤。 邦題に『フロム・A・トゥ・ONE』とあるが、#69でご紹介した『プライベート・アイズ』がSIDE AとSIDE ONEとなっていることに何か関係があるのだろうか。 RCA移籍後、最初のビッグヒットとなった『サラ・スマイル』から、その余波で再評価され

          レコード棚を総浚い #70:『Daryl Hall & John Oates / Rock'n Soul Part 1(フロム・A・トゥ・ONE)』

          レコード棚を総浚い #69:『Daryl Hall & John Oates / Private Eyes』

          1981年リリースの9thアルバム。初の全米トップ10入りとなり、前作『Voices』を幕開けに、本作以後の『H2O』『Big Bam Boom』と続く快進撃の中核となった。 ジャケットから取り出してターンテーブルに置こうとすると、レーベルにはSIDE AとSIDE ONEと刻まれていて、どちらから聴いていいか少し迷う。 ライナーを確認して、SIDE Aを上にしてターンテーブルに置く。 『ウエイト・フォー・ミー』収録の『X-Static』から参加し、以降ほとんどのアルバムで

          レコード棚を総浚い #69:『Daryl Hall & John Oates / Private Eyes』

          レコード棚を総浚い #68:『Daryl Hall & John Oates / Along The Red Ledge(赤い断層)』

          1978年、プロデュースにデヴィッド・フォスターを迎えてリリースされた『赤い断層』 タイトルのRed Ledgeには、「人生の転機」という意味だが、音楽的な転機を企図して制作されたアルバムということなのだろう。 ブルー・アイド・ソウル路線を踏襲したA面と思い切ったロック路線に舵を切ったB面で構成されている。 この「転機」を豪華なゲスト・ミュージシャンが支えている。 ジョージ・ハリスン、チープトリックのリック・ニールセン、キング・クリムゾンからロバート・フリップなどなど。

          レコード棚を総浚い #68:『Daryl Hall & John Oates / Along The Red Ledge(赤い断層)』