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特別扱いされたくない


こんにちは。死別の悲しみに寄り添うことはできるのか?という問いを掲げて活動しているGrieFuuです。


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の2点を言語化し共有することで、残された方にとって、曖昧模糊とした内なる感情と向き合う機会を提供したいと思っています。私たちの記事は「死」という繊細なテーマを扱っておりますので、苦手な方はご遠慮ください。


いつ、誰を亡くしたのですか?

小学5年の頃、予兆もなく急に、心筋梗塞でお母さんを亡くしました。親戚全員が急に家に来て「お母さんが救急車に運ばれた」と聞きました。当時、おじいちゃんも入院していたので、また同じようにお見舞いなどするのかなと思っていました。でも、お見舞いに行くこともなく翌日に父から「亡くなった」と知らされました。


大切な人を亡くした時、どういう感情でしたか?

あんまり覚えていないです... 普段はあまり泣かないのですが、当時はただ泣いていましたね。それ以来これと言って泣いたこともないですね。


それはどのような涙でしたか? 

もう二度と会えない、二度と声も聞けない、二度と話すこともできないという悲しさや不安の涙ですね。


誰かと悲しさを共有しましたか?

弟とは日常会話さえしないため、話していないですね。


話したいと思いますか?

変な感じになるので話したくないですね....


どうのようにして死別の悲しみから乗り越えましたか?

病むことはなかったため、悲しみは時間とともに薄れました。
でも、最近になって母の死を考えるようになりましたね。 卒業式などの節目の時に母がいないことを実感します。でももう慣れてきましたね。なので喪失体験で悩んだことはないです。当時は普通に学校に通ってもいたので...笑


死別後はどのように過ごしていたのですか?

死ぬ前と同じ生活を送っていたいと思いながら過ごしていました。       「あと1年で6年間、皆勤賞!」と生前、母と話していたので葬式以外の日は学校に行っていました。



お母さんの葬儀を通して感じたことはありますか?

親御さんも含めて多くの人が葬式に参列してくれました。800人くらいきた気がします...   めちゃくちゃ長かった気がします。



周りの人からどのような接し方をされましたか?

あんまり特別扱いされませんでした。インフルエンザで休んだ程度の接し方でしたね。 事前に先生が学年に言っていたそうです。



先生の配慮も大切ですよね。

そうですね。あと、可哀想な子だと思われたくないです。相手にも申し訳なくなって、こっちとしてもやりにくいので、特別扱いされず、今まで通りに接してもらいたいですね。最近、同じ学校の生徒で親を亡くした人がいて、みんなどう接していいかわからないそうです。



グリーフはもっと知られるべきだと思いますか? 

現在はグリーフを広めるために、あしなが育英会というグリーフサポートの施設の方とお話ししています。自然現象なのに全く知られていないので、グリーフサポート自体の認知度は課題ですね。 医療の現場でさえもグリーフの認知度が浸透していないそうです。教員免許を取る過程でグリーフを入れないと絶大な効果は得られないと思います。


死を通じて成長したことはありますか?

心配性が増しました。母が急死だったため、自分の見えないところにいる家族が不安になります。成長したかはわかりませんが、人のことを気遣えるようになりました。



執筆・編集


関口音花(Otoha Sekiguchi)


死別体験から生じる感覚は1人1人異なり、特別なものです。文章に登場してきた男の子と同じ感情を抱くことが正解ではありません。今後も、様々な方の死別体験を発信していき、読者の方に曖昧模糊とした感情と向き合う機会を提供していきたいと思います。
このnoteの感想や自分の死別体験などを教えてくださる方がいらっしゃいましたら、TwitterのDMなどでご連絡いただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。


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