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超一流になるのは才能か努力か?

「一万時間の法則」というのを、聞いたことがある人も多いかもしれない。

マルコム・グラッドウェル氏が著書の中で提唱した法則なのだけれど、この法則は必ずしも正しくはない、ということを私は知ってしまった。

そのきっかけとなったのは、この本を読んだからだ。

この本で私が学んだエッセンスを、読書レビューとして残しておきたいと思う。

・「傑出した能力を持つ人」が、練習に多くの時間を費やしているのは事実

まず、「傑出した能力を持つ人=一般的に"才能があると言われている人"」は、そうでない人と比べて練習時間が多いことがわかっている。

能力が開花しなかった人は、才能が無かったわけじゃない。練習時間が足りなかったのだ。

この本の中では、様々な分野の「才能がある」と言われる人たちが出てくるが、彼・彼女らは例外なく必ず、そうでない人たちよりも練習時間が多い。

ただその能力を開花させる練習時間は、どの分野でも一万時間がボーダーラインというわけではない。

一万時間よりも遥かに多くの練習時間を必要とする分野もあれば、遥かに少ない練習時間でも傑出した能力を発揮できる分野もある。

「一万時間の法則」は、万能選手なわけじゃない。

この法則について、本の中ではこのように触れられている。

グラッドウェルは一つだけ正しいことを言っており、〜中略〜「一万時間の法則」はこの基本的な真実、すなわち多くの分野で世界トップクラスになるにはとてつもなく膨大な練習が必要であることを説得力のある、記憶に残るかたちで表現しており、それは好ましいことだ。

つまりは才能があるとかないとか「しのごの言わずに練習せよ」、ということだ。

・適切な方法で練習を重ねる

いわゆる「才能がある人」が、膨大な練習時間を費やしていることは、わかった。

じゃあ、ただ漫然と練習時間を積み重ねればいいのだろうか?

答えはもちろん「NO」である。

これが「一万時間の法則」の、一番大きな落とし穴だ。

例えば筋肉を鍛えたいと思ったとき、自分が全く苦しくない練習をしても意味はない。自分の限界を超える負荷をかける必要があるのだ。
限界を超えたときに筋肉は壊れ、筋肉痛を引き起こすが、やがて再生して強くなる。

このような練習を、本の中では「限界的練習」と定義し、その他の一般的な練習とは区別している。

さらに例えるのであれば、私みたいに「文章を書く力を鍛えたい」と思ったときも同じで、「限界的練習」を積む必要がある。

「コンフォート・ゾーン=自分が心地よく感じる範囲」の外へ出て、容易ではないことに取り組む必要がある、ということなのだ。(「書く練習」で筋肉痛は起きないけれど、「文章痛」みたいな負荷をかける必要があるのかもしれない。)

そのためには、本当に「限界的練習」を行えているのか、客観的なフィードバックも必要になってくる。

定量的なデータを取れるのであれば、その変化を計測する。
他人から定性的なフィードバックをもらってもいい。

その分野のエキスパートに師事し、適切なフィードバックをもらうことが「限界的練習」を行う近道であると、この本の中でも言及されている。

ただし「エキスパート」とは、その道にいた経験がただ長ければいいわけではない点は注意したい。(甲子園優勝を果たした高校生と、その道何十年の草野球チームのおじさんの、どちらが強いだろうか?)

大切なのは、「どのような心的イメージを持っているのか」ということなのである。

・限界的練習によって、心的イメージを磨く

心的イメージとは、「思考プロセス」であり、「具体⇔抽象に対応する力」であり、誰しもが持っている力である。

限界的練習を積む理由は、それにより自分のコンフォート・ゾーンから抜け出し、心的イメージを磨くためなのだ。

・・・と、私は本を読んでいるからわかるけど、急に「心的イメージ」と言われてもちんぷんかんぷんだと思うので、説明させてほしい。

例えば私たちが普段使っている「言葉」も、心的イメージそのものである。

「犬」と聞けば、パッと心の中に「犬」とその特徴を、合わせてイメージできる。
しかし、「犬」という言葉を知らない外国の人や、言葉を覚えていない赤ちゃんは、心の中に「犬」をイメージすることは出来ない。

これらと同じで、その道のエキスパートは、様々なシチュエーションに対応し、パッと能力を発揮することができる。

プロアスリートが試合で最高のパフォーマンスを出したりできるのは、その試合の全体像を瞬時に把握し、あらゆる予測を行い、その中で最も勝つ可能性の高い一手を選び、実行することができるからだ。

彼・彼女らは、長年にわたる練習により、脳の神経回路が変わり、緻密な思考プロセスを経ることができる。

つまり傑出した能力を発揮するための「心的イメージ」を自分自身の中に形成していくことが、「限界的練習」の目的でもあり、正しく練習が行えているかどうかのフィードバックにもなり得るのだ。

・誰もが自分の才能を開花させることが出来る

この本で一番勇気づけられたのは、「生まれ持った才能なんて存在しない」ということだ。

誰だって適切な練習方法で多くの練習時間を積み上げれば、「傑出した能力=才能」を開花させることができる。

才能ははじめから輝いているものではなく、練習で磨いて輝かせるものなのだ。

私自身、30代になってから「文章を書く力を磨きたい」と思うのは、遅すぎるかもしれないと感じるときも多々あった。

だけどこの本を読んで、考えが変わった。だってその気になれば、老眼でさえも克服することができるのだ。(この本の中に"老眼を改善した実験"についても、紹介されている。)

何歳になったって、どんなことだって、才能を開花させることはできる。

「超一流になるのは才能か努力か?」

この質問を投げかけられたら、もう私は迷いなく答えられる。

「才能は生まれ持ったものではない。努力で花開かせるものである。」と。

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