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note2周年 書くことは性か、それとも

私が小学校のとき、嫌いだったこと。

作文。

書くことない。

書いたら直される。


書くの嫌いになりますよね。


本を読むのは好きでした。

自分が今いる世界と違う世界へ行けるから。

物語の世界の登場人物達と思いっきり体験ができるから。

感情を味わえるから。


国語の読解テストも嫌い。

答えは一つではないから。

答えは一つでないのに、バツがつくから。

国語の読解テストは、結局、マニュアルの答えが用意されているのね。

自由に読んでいい読書と違うのね。


今の小学校は、私の時代とだいぶ違う。

小学校低学年の掲示物を見ていると、どんなことが書いてあっても丸がつけられ、
先生の共感のコメントが添えられている。

てにをは、間違っていない?

習った漢字もひらがなだよ

これって、聞かれていることと違うこと答えてない?


先生、直さないの?

と、最初思いました。


でも、60歳で定年を迎えられ再採用された先生のクラスの、子どもたちの作品の掲示物を見たとき、娘の担任が若い世代の先生でよかったと思いました。

縦書きで、算用数字はだめ。漢字に直されていました。
読点の打ち方も(読点の打ち方って決まりないんですよね)。
ひらがなは漢字に。(私も習った漢字は使って欲しいと思いますが……)

正しい書き方を、低学年で習うことは大切です。
でも、小学1、2年生で一生懸命書いた自分の文章に赤ペンで二重線を引かれ、いっぱい訂正されたら?

先生に直されないように書くことに意識が向く。

昔の私のように、書くことが嫌いになる。
何を書いていいかわからなくなる。
自分のことを表現しようとしなくなる。

書いた
読んでくれた
共感してくれた
興味持ってくれた

小学校低学年で、それを味わわせてくださっている今の先生たちに感謝です。

約2年ぶりの授業参観。
高学年になった子どもたちの作品。素敵です。
もちろん、中には文章を書くこと、表現することが得意な子はいるでしょう。
でも、みんな素敵なのです。
自分の言葉で、自分が感じたことを伝えてくれています。
漢字の使用割合は子どもによるけれど、読みやすい程度に使っています。
構成もしっかりしています。

好きこそものの上手なれ

ではないですが、幼少期(児童期も大人も)認められることは力になりますね。


娘は、書くの嫌いと言っていました。

絵で描く方がいい。

それならそれでいい。

絵を描くのも自分を表現すること。

絵で描いて伝えて。


それが、少し前から、
「書くの好きになってきた。今まで算数好きだったけど、国語も好きになった。」と言うように。

ママと一緒に俳句を詠んだり、夏休みの宿題の短歌を文集に載せていただいたり。
楽しみながら、認められながら、言葉で表現することに馴染んでいったのかもしれません。


さて、私の話に戻ると、作文大嫌いだった私。
だけど、中学校3年生の進路面談の時、今までたくさん本読ませてもらったから書く人になろうかな。と伝えました。
書いたことなかったけど。相変わらず、書くの嫌いだったけど。

「女性も世界に羽ばたき貢献する人材を」という理念の学校。
書く人なんて職業は、認められていない。
うちの母は、医師など師がつく職業もしくは弁護士など士がつく職業がいいと言っていた。
(中学・高校生だった当時の私は、私には医歯薬剤師か弁護士しか選択肢がないと思いこんだようだ。実際、高校3年の大学受験では、医歯薬系大学と弁護士目指す法学部という前代未聞の併願をやっている。)

私には幼い妹が二人いて母は家を空けるのが難しく、幸か不幸かその日の面談は父だった。
中高一貫校で高校へは全員進学できるので中3の面談はゆるく、父と担任の雑談で終わり、「書く人」という私自身もどこから出てきたかわからない(読書が好きだったのは確か)将来の夢は、「書く人」って何ですかね。で終わった。

高校では、理系の科目を多く履修し、読書する時間も減っていった。
小・中の作文の宿題は、全部父が書き直していたが、高校の全員必修の国語の夏休みの宿題の作文は、初めて自分で書いた。返却時の先生の一言に、自分の思いなど書かなければよかったという気持ちと、書かなければわたしの一端は知られないままだったのだなというアンビバレントな感情を持った。

大学入学後は、理系のレポートも文系のレポートも書いたが、あれはレポートであって作文とも書くこととも違う。


私が書くことを始めたのは、2006年、主婦の友達にブログを勧められて。

結婚3年目、起き上がれなくなった。
軌道修正するには、心身を守るためには、起き上がれなくなるという手段を取らざるおえないところまでいっていたのだろう。
実家で育ち直しをし、実家の庭で土と植物に癒されているうちに体力もつきました。
で、日常に戻るのですが、庭のない生活です。
毎日公園へ行こう。1日1つ素敵なことを見つけよう。

1日1つ素敵なことを見つけると、伝えたくなります。
そこで思い出したのが、友達が勧めてくれたブログ。
「同じ趣味の人とも繋がれるよ」とも、友達は言っていました。

ブログを毎日書く。
が、日課に加わりました。
そうすると、散歩に行くのやめようや、素敵なことなかった。
で終わらせず、どんな小さないいことも味わえるように、見逃さないようになります。
また、当時のブログはコメント交流も盛んでした。
リアルの友達、特に社会人で忙しく働いている友達のスケジュールに合わせて約束して会うはしんどかった当時、同じように主婦で、家でそれぞれの時間にブログやコメントを書く新しい友人たちとの交流は楽しく、元気になりました。

示し合わせたかのように1年ほどで、ブログで知り合った人たちも次のステージへ。
私は、アロマインストラクターの仕事を再開し、ブログに書く内容もアロマセラピーやエッセンシャルオイルについてになっていきました。

日常は戻っていたけれど、健康かと問われれば健康だけれど、元気かと問われれば、子どもの頃から、「はい、元気です!」とは答えられないわたし。
不妊年月も更新され、またまたそれが結婚生活の中心問題に。

アウトプットからインプット。
アロマセラピーから発展して、ホリスティックケアを学びに通学を始めました。
そこでの学びと、助産師さんとの出会いで、わたしの中にあった妊娠・出産への意識が変わり、娘を授かりました。


「この子がこの子で在れるように、お預かりします」と
宣言して授かった娘が、いのちについて、愛(宇宙)について教えてくれました。

結婚生活の問題は、不妊が原因ではありませんでした。
愛そのものの娘がやってきたことで、お互いが隠していたものが、よいものも悪いものも表に出始めました。時間もかけて、話もしたけれど、乖離はひどくなり、
私の宣言「この子がこの子で在れるように、お預かりします」はすでに壊され始めている。
私が戦うと、モンスターは大きくなる。
私と娘が愛であっても、愛を恐れているモンスターは愛を縛りつけ黙らせようとする。
再び私は、起き上がれなくなる生活を選択するのか?
娘がこの世に生まれてきている今、その選択肢はもうない。

私と神様との約束。というより、私と私との約束。
「この子がこの子で在れるように」
それは、
「私が私で在れるように」。

そのためには、我慢の偽りの生活は捨てるしかない。
今まで、軌道修正のチャンスは何度もあった。
でも、これしかなかったらしいです。
離婚後も、子どもがいなければもっと簡単に縁が切れただろうと思う苦しいことがたくさんありました。
でも、この状態を選んで私のところへ娘はやってきたのです。


細かいことは割愛しますが、
娘と二人、家を出て3週間後に3つ目のブログを始めました。

2つ目のブログは、
「アロマって、香りって、スピリチュアルだよね。そういう領域にも働きかけるよね。」と問われても、
「アロマセラピーは、化学です。分析が進み、実証されています。」と答えていた私。そう思っていた、信じたかった私がアロマインストラクターとして書いていたブログでした。

3つ目は、スピリチュアルなことも当たり前の私で発信することにしたブログ。
アロマもヒーリングも、目に見えない存在たちと話すことも、西洋占星術も、胎内記憶もその前の記憶も全部当たり前の私が書くブログ。

3つ目のブログ、
ある時から「メッセージ」を綴るようになりました。
宇宙から伝えてと言われたメッセージを言葉にして文章にしてブログに書く。
私が書いているのではない。
作文ではない。
エネルギーでどっかんどっかんと降りてくるときは、言葉にするのが間に合わない。
でも、丁寧に「メッセージ」を伝え続ける。

ブログの「メッセージ」読みました。ヒーラーとしてご紹介したい。
などと、いくつかの雑誌からお問い合わせもいただきました。
私の紹介ではなく、自由に書かせてくださる雑誌や、
本にまとめて出版してくださる出版社さん、welcomeです。


1つ目のブログの時代は、趣味などで横につながり交流も生まれた。
3つ目のブログの時代は、仕事として使う人が圧倒的に増え、いかに目立たせるか、いかに仕事の導線につなげるか。フォローも同業者で疲れてきました。



そして、私はさらに本当のことを伝えたくなった。

何者でもない私で。


アロマインストラクターでも、ヒーラーでも、チャネラーでもなく

宇宙そのものである私で。


肩書きを必要としない

愛そのものの私で。



そして始めたのが、このnoteです。


私が中学生のとき、なりたかった職業。

もう1つは、通訳者。

女性通訳者かっこいいな。英語好きだしと思って、国際教育が盛んなその中高一貫校を選んだところもあります。でも、帰国子女いっぱいのその学校に通ったら、通訳の夢はどこかに行ってしまいました。


でもね。

私は、外国語の通訳者ではなかったようです。


宇宙の、愛そのもののメッセージを

人の言葉に通訳して

書く人。


私は、みなさんヒーラーでチャネラーだと思っています。
私は特別ではないと思っています。

でも、子どもの頃から植物と話すのは当たり前で
(みんな話していると思っていた)、
植物も自分も、机も自分も違いがないと思っていて、
でも、1つ1つの机は既製品の学校の机でも1つとして同じものはないと思っていて。などなど。
(今の言葉でいうとワンネスが当たり前だったのかな。でも、ワンネスという言葉も一人歩きしていて、使う人や受け取る人で概念が違うので、あまり日本のスピリチュアルの言葉は使いたくないのですが。)

多くの人が忘れて生まれてくることを、覚えていた私。
それがどういうことかわからず、覚えていても、
忘れて母の思いや社会の慣習で生きようとしてもどちらも辛かった私。


そんな私は、

宇宙の通訳者で

書く人だった。


中学のとき、何気なく思った通訳者と書く人。

私は、今、それです。



宇宙とは、どこか遠くにあるのではなく

あなたの中にある。


でも、自分では聞こえにくかったり、

通訳が必要なときは

頼ってください。


愛は、言葉にできないもの

でも、人は言葉で思考し、行動している。
(厳密にいうと、自分が思考しているわけではないのですがね。)


私は、言葉にし続ける。

でも、言葉だけを伝えることはしない。

愛を伝える。


私がそうしなくても、そうなる。



noteで、私を通して伝えられるメッセージを受け取ってくださり
ありがとうございます。



ヒーリングと共にお伝えする、個別のメッセージも愛溢れているので、
本来のご自分を思い出したい方、
宇宙とは何か思い出したい方などご用命ください。



泣けなかった方が涙を流して癒されることもあります。
勇気が湧く方もいらっしゃいます。
背中を押される方も、ワクワクする方も。
安心する方も、喜びに満たされる方も。


茉叶Makanaは、ハワイ語で贈り物。

宇宙からの贈り物を受け取ってください。

それは、あなたがあなたへ贈る贈り物。


宇宙の通訳者であり、書く人にもなった茉叶より






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