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台風いっか

子どもの頃、季節はもっとはっきりしていた。

台風の次の日は、「台風いっか」が来ると親に教えられた。

「台風いっか」が台風一過だと知ったのは、気づいたのは何歳だっただろう。

中学生に近い年齢だったと思う。「過」の漢字を習う小学校高学年頃か。


小学校低学年の私は、台風の次の日は「台風一家」が来ると疑わなかった。

「台風一家」が、今年も訪ねて来るのが楽しみだった。

子どもの私は、台風がやってくるのも良きこと、自然なことと知っていたのだろう。

それに激しい暴風雨が来なければ、「台風一家」もやって来れないのである。

一年に一、二度しかやって来れない「台風一家」。

夏休みの家族旅行を、「台風一家」の子どもたちも心待ちにしているに違いない。

今度は、どんな「台風一家」がやってくるのだろう。


台風のご家族さん

ようこそ!

いらっしゃーい

お待ちしていました。


「こんなに、晴れ晴れ」していて、

台風の家族が喜んでいる!


「とっても暑いなぁ」

今回の台風一家は大家族なのだなぁ。

暑い国から来たのだな。(南洋やフィリピン沖からやってくるのですよねー。)


「雲の流れが早すぎ」

そんなに早く通り過ぎなくてもーーー
はしゃぎ過ぎーーー

などと、台風一家を楽しんでいた。


台風が来たはずなのに、台風の次の日独特の晴れて蒸し暑い日が来なかった時は

今回の台風では、台風の家族ここまでやって来れなかったんだなぁ

途中で帰っちゃったのかなあ

会うの楽しみにしていたのに

と寂しく思った。


私が幼い頃、両親も一緒に「台風一家」を楽しんでいたと思う。

可愛いから

微笑んで一緒に、空を見上げていたくれた記憶がある。

私も、可愛いから娘の言いまつがい(日刊イトイ新聞風)や勘違いを訂正しない年月を送り、楽しんでいた。

一緒に楽しむ余裕がなくなったのか、このまま勘違いしているとまずいと思ったのか、両親は次第に反応しなくなったように記憶している。



そして「台風一家」ではなく「台風一過」と知ったときの私の寂しさよ。

そう、それこそ「台風一家」も去り、秋を感じたときの一種の寂寥感に似ている。


あー、もう「台風一家」には会えないのか……

ただの蒸し暑い日なのか

でもそこには、すでに秋が混じっている。


今回この文章を音声入力で作った。

このiPhoneは優秀だ。(普段は、なんでやねんという変換をすることもたまにある)

「台風一家」と「台風一過」を聞き分けている。

台風一過が台風一過でしかない人にとっては、なんでやねんと言う変換ですね。


吾子はしゃぐ台風一過の眩しさよ


吾子がはしゃぐのを見ていられるのは、親も安心しているから、余裕があるからですね。

そして子どもも、台風一過の空も眩しい。

逆に余裕がないとき、いつもと変わらずはしゃぐ子どもたちに救われることがある。

眩しさに助けられることがある。



台風一過を楽しめる状況でありますように。

台風の影響があった方々も復旧が速やかに行われ、安心が戻ってきますように。



ちなみに今、小学4年生の娘に「たいふういっか」を漢字で書いてもらったら

台風一家

台風の家族のこと


だそうです。

「それ以外、何があるの?」

親子だ(笑)






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