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画家 Hirooki Hatori に出会って

「これ、プレゼントです。」

正体不明の初対面の男の子から渡された絵には、演奏中の私の姿。

自己紹介よりも先に、彼の絵を見て、“あ、きっといい人だ”と確信した。

芸術には垣根がない。
素晴らしさを分かち合い、すぐに打ち解けられるときは、芸術に携わる分野の人間でよかったと思える瞬間である。

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2019年の夏、私はウィーンで最後の演奏を済ませて、コンサートを聴きに来てくれた友人たちと外で飲んでいた。

Twitterで知り合ったヨーロッパを旅する路上書道家のダイスケさん御一行と、私のウィーンでのコンサートで初めましてをしたときに、ダイスケさんとその日に友達になったという画家のHiroくんとも出会った。

なんと私の演奏中の絵を描いてくれていたという。初めての経験で嬉しいサプライズだった。

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夏休み、現地人はバカンスへ、日本人は一時帰国で一斉にいなくなり、ウィーンはとても寂しくなった。

私は続けてドイツ、ベルギーと音楽祭に参加する予定だったのでウィーンに残り、日々練習に励んだ。

その期間、ちょうどHiroくんはウィーンで路上ペイントをしていた。ウィーンは狭い街なので、彼が路上ペイントをしているとすぐにわかった。探さなくとも、道に人だかりが出来ているのだ。

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太陽が照りつける中、路上で一心に人々の似顔絵を描いているHiroくんを見ていると黙って居られず、近くのカフェに入りマカロンを買って、「生ものだから、早めに食べてね!」と渡しに行った。

その時の彼の驚いた顔が今でも忘れられない。

「振り返ったらハルカちゃんがいてさ、びっくりしたんだよねぇ」と笑う、思い出話のひとつだ。

短期間で、よく会っては、よく話した。ウィーンの色んなところに一緒に行った。 シェーンブルン宮殿のグロリエッテの丘にも登ったし、ドナウ川を散策した。

だから、まだ出会って間もないのにお互いのこれまでやこれからを語り合ったので戦友のような、私にとって弟のような、彼にとっては私は姉のような、なんでも話せる関係になっている。

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Hiroくんは、普段はドイツ・デュッセルドルフを拠点として活動中だ。高校時代は韓国の高校に行っていたそうで、海外生活が長い彼は私の5つ下なのにしっかりした大人のように見える。

私は10月に上京したが、ビザの関係で一時帰国したHiroくんと、ウィーンに居た頃のように東京で何度も会うことができた。

「あの日のシェーンブルンは寒かったね」と、留学時代の話をしたが、日本でその話ができることが私にとっては嬉しかった。私はウィーンに住んでいたんだ、という感覚を蘇らせてくれる。

多忙なHiroくんとのタイミングも合い、12月の私のコンサートにも来てくれて、そこでも絵を描いてくれた。

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彼の凄いところは、描きたいと思ったらどこでも描く。 すぐ描く。

ウィーンでも、駅で歌うストリートミュージシャンを前に、突然画材を出して、彼らを描き出した。描き終わったあと、チップと一緒に絵を足元のギターケースに入れていた。

彼らが歌い終わる前に私たちは移動してしまったが、絵を見た彼らはどういうリアクションをしたのだろう。見ることができなかった彼らの喜びが、今でも気になる。

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うちの母がよく言っていた。

「誰かに “はい、今なにか弾いて” と言われたときに、いつでもどこでもサッと演奏できる人が真の音楽家だと私は思うの。あなたも、もしそれができたら音楽家って名乗っていいかもね。」

とても納得できる。音楽家に限らず、全ての芸術家がそうあるべきだと思って育った。

果たして自分はそれをできるのか、誰が居ても、どこに居ても私はそれを成し遂げられるか。Hiroくんに会うたびに、己に問う。

だから、それを成し遂げられるHiroくんは、私にとって尊敬する芸術家のひとりだ。

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また海外で会ったとき「あの日の新宿はシェーンブルンよりも寒かったね。」と、今年の冬の話ができたらいいなと思っている。

来月からドイツでまた頑張るHiroくんへ、少しの寂しさとエールを込めて。

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Näturlich möchte ich Dich wieder einmal sehen, hoffentlich gibt es dieses
Wiedersehen bald.

Liebe Grüße,

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