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ある先生のことば

それは新田次郎という昭和の小説家が書いた『孤高の人』という本で、文庫で上下巻あった。まず上だけ買い、読み終えたらすぐに下を買いに走った。
(その頃は鹿児島市の実家がある住宅街や最寄りの市電の電停前にも「本屋」がまだ存在していた、そんなものは懐かしい前時代の風景になってしまったが……)
『単独行』という著作もある(読んだことはないが)加藤文太郎という昭和初期の登山家をモデルにした小説で、中学生だったぼくは夢中で読んだ。
先日、若い人たちとのワークショップで、「一番心に残っている本は?」と訊かれて、『孤高の人』を思い出したのだった。
なぜその本だったのか、と言われて思い出した。
中学校の国語の先生が、若い美人の先生だったが、授業でたまに自分の好きな本の紹介をしていて、すすめられたのだった。
その頃、ぼくは国語のテストが得意ではなく、英語と数学は得意な科目だったが、あるときその先生に「国語は苦手で…」と話したら(どういう状況で話したのか全く覚えていないが)「あなたは本をよく読んでる。それでいいよ」と言われた。
とても、励まされたのだった。嬉しかった。

※このつづきを書いていたのだが、誤って消してしまった。いま、数週間後、あらためて書いてみる。

「読んでいる」だけで「それでいい」と言われた経験は、そのときも含めて二、三度しかないんじゃないか。だから印象深く心に刻まれる。書いたものやつくったものを褒める人はたくさんいるが、読んでいる姿をみて(あるいは見ている姿、聞いている姿をみて)褒める、励ましのことばをかける人にはあまり出会えない。しかし「読むこと」が「書くこと」「つくること」と同等か、場合によってはそれを超えるエネルギーをもってなされることは、よくあることだとぼくは思う。世界中のあちこちでイロイロサマザマな人によって毎日行われている、あたりまえのような行為だけれど、その《ただ読む》という人の営みを、食べるとか眠るとかと同じくらい、尊いものと感じている。


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