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別れの後の、待ち時間

ここでは、元旦になんとなく書き始めて、200日を越している。とにかく毎日書くことが目的で、内容はどうでもいいというのがぼくの姿勢で、読む人にとってはじつに厄介である──かもしれない。

読みたくなければ読まなければいいのだ。こんなに簡単なことはない。でもね、サッと読んで面白いことなんて長続きしないよ。

なんて書いているが、ぼくにとって、サッと読んで面白いと思えるものは滅多にないので、そんな簡単に面白がれる人がちょっと羨ましくもある。

いま、ぼくには大半のことが面白くない。だいたいのことは詰まらないような気がしている。でもくり返し読むうちに「あ、これ、ちょっと面白いな」と感じられるものはたくさんある。

さて、今月は1年3ヶ月ぶりに雑誌『アフリカ』を出して、例によってたくさんは売れていないが、これまでになくじわ〜っと売れている。忘れそうになっているところへ連絡が来る。今週は初めて国外からのご注文もお受けして発送したところだ。書店営業とかそういうやつはまだこれからです。そんなことを何年言ってるかわからない。

今回の『アフリカ』は、いつも読んでる人からは、「厚さがありますね」と言われる。たしかにそうだ。ページ数がいつもより多いもの。いつも薄いのは、中身が薄いからではなくて(薄くはないことを祈ってる)、薄さを志向しているからである。いや、かつては薄さに憧れさえしていた。

10年前の、2009年に出した2冊の『アフリカ』は、自分にとっては、もしかしたら一生忘れられないと言ってもいいくらいのものだった。不思議な出会いが満載の年だったから。

いま、手にとって見てみると、その2冊も、40ページという数字を頑なに守っている。守っているって、何を守っているのか意味不明なのだが、でもとにかく守っていたのだ。

いま、『アフリカ』の目次に毎回、出てくるスタッフ・クレジットの(お遊びが満載な)ページは、2009年7月号に初めて現れている。初めからあり、今まで途切れなく続いているのは、

切 絵=向谷陽子
装 幀=守安涼

の2人のクレジットと、それから、なぜか、

差 入=粋に泡盛を飲む会

である。

意味はない。験担ぎのようなものである。

ぼくが何の仕事をしているかというクレジットは、まだない。読む人にとっては当然、わかりきったことだったから、か。よくわからない。自分のことは自分にはあまり重要ではなかったのかもしれない。

今回、再始動にあたって、『アフリカ』の10年前を、ちょっと意識している。

10年前は、7月号と12月号だった。10年前の7月号に、その時出会ったばかりだった中村広子さんが「大通りから一歩その街に入る」を書いている。今度、その中村さんが久しぶりに書いている。

では、次の『アフリカ』は今年の12月に出るはずである。こういう予想は当たる。

ぼくは"縁"を信じる。出会いは、出会いだけで存在せず、別れを伴う。逆にいえば大きな別れがあればあるほど、大きな出会いがあるのである。

しかし大きな別れの後にある大きな出会いを、誰でも得られるわけではないような気がしている。

別れの後には、待たなければならない。出会いはいつ、やってくるかわからないから。まだない、まだ来ない、と思うかもしれないが、焦っちゃダメ、次の瞬間には来るかもしれないのだ。

何を言いたいか。

ま、気を楽にして、ぼんやり待て。

(つづく)

さて、その"日常を旅する"雑誌『アフリカ』最新号、じわ〜っと発売中。

ご連絡いただければ郵送で直接、お届けすることもできますので、遠慮なくどうぞ。「どんな雑誌なの?」は、コチラに詳しく書いてますのでぜひご覧ください。

「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"は、1日めくって、7月23日。 今日は、再びあの白い花の話。

※"日めくりカレンダー"は、毎日だいたい朝に更新しています。

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