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少しお邪魔する。

この3日間は、体調を崩しそうになりながら、こらえたような感じで、眠れる時には昼でも寝たりしつつ、ほとんど仕事をしないで過ごした。心の隅には、今後の生活にかんする不安がたっぷり押し込まれているが、そういうことばかりに表に出して浸っていてもろくなことがない気がするので、なるだけ呑気に。呑気"そうに"していよう、と思っている。

まぁ、何とかなるさ、っていう気持ちがないと、いまの時代は生きてゆけないような気すらしている。

「何とかなるさ」という根拠のはっきりしない自信をもつためには、何が必要かというと、声をかけ合える人がいるということ、相談できる人がいくつかの生活の分野にかんして複数いるということ、何も持ってなくても自分という人のあり方には信頼をもっているということ、人生の時間の時々で、そういったことの、どれかがあればいい。

必要なものがなければ、つくればいい。いただいてもいい。拾ってもいい。盗めばいいとは思っていないが、死ぬよりは盗む方がいいとすら思っている。つまりぼくは、生きるということには絶対の肯定感を抱いている。これは誰にでもあることではないだろう。ぼくはその点、恵まれている。だからその分は、人を助ける分に充てられる。

その一部は『アフリカ』のような営みにも生きているのではないかと思う。生きていてほしいと願っているということだ。

その時々によって社会状況や自分の状態も変わる。どんな状況でも、自分の立っていられる地面がひとつしかないというのではちょっと危うい。その地面が立てない状況になったら、死ぬしかないからだ(でも、ひとつでもあれば、とりあえずはそこに立てばいいとは思うが)。つまりその時々のことに過剰な自信も持たないほうがいいかもしれないとぼくは考える。時代は常に変わっている。

これは、よく考えてみれば、平和な時代を生きてきた人のもつ人生観ではないですね。

平和な時代では、じつはなかったのだ、ということかもしれない。平和そうに見えることと、平和であることは違うから。

近所の根岸森林公園に、昨年に続いて今年も、"草刈り隊"としてヤギのめえとさくらがやって来た。今朝、息子を連れて、「ウェルカム会」に行ってきた。夏のように暑い日だった。帰ってきて食事をしたあと、ぼくはやはり体調がイマイチなので昼寝をして、夕方、また息子を連れて今度は駅前まで買い物に出ようと歩いていたら、あっ、えーと、どなたでしたっけ? あのー、と(ぼくには覚えのない方だが)声をかけてくださる方があり、話してみたら、先日妻子がコミュニティ・カフェやイベントでお世話になった町内会の方らしい。いまちょうどカフェやってますよ、と言われて、少しお邪魔する。息子がいることによって、出会うそういう場もある。

休みも、まぁ、悪くない。

(つづく)

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をご覧ください。

「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"は、1日めくって、9月7日。今日は、「恐竜博」の話。

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