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目に見えないことを大事にする。

気分のアップダウンが激しい女。あさです(笑)

今はちょうど春休み期間でしばらく学校は休み。のんびりだらだら昼夜逆転しながらも充足した時間を満喫できているなぁと感じています。

先日、所謂精神科へいってきました。
この一年間気分のアップダウンが激しくて、考え込んで悩んで落ち込んで、学校にうまく通えなくなっていました。
一度、最寄りの心療内科にかかったことはあるのですが、なんらかの対処はした方がいいと思うが薬かカウンセリングか、結局は自分が選ぶことというお話で、薬は怖かったのでカウンセリングをお願いしたところ、その病院ではカウンセリングを受けることはできないそうで。
なんやかんやそのまま気分が治った気がして放置していたら、数か月後にまた悪化して学校を休みまくり、出席日数が足りなくなるよ。との通告を受ける事態になっていました。
学校でもカウンセラーの方を呼ぶなどの対処はして頂けていたのですが、結局改善まではいかず、元気な時に会うことになって、大丈夫そうですね。といった感じでまた辛くなったら呼んでください。と2度目でなってからは会う機会もなく、終了していました。

そんな中、ひとりの助手の方が、本当に、なにかおかしいなと思うのなら、大袈裟に思うかもしれないけれどやっぱり病院に行ってみるのもいいと思うよ。と言ってくれていたので、私もずっと自分がだらしないせいで不甲斐ないという気持ちでいましたが、それにしても元気と元気でなくなる時とを繰り返しすぎて支障がでているよなと思い、今回受診することになりました。

前回の心療内科とは別の精神科で、対応の早さ、先生や心理士さんとのお話の感じがなんとなく心地よく、このまま通っていけば少し改善するのではないかという気持ちになれました。

対処方法として、①薬 ②漢方 ③不安薬 といった3点を提示してもらいました。これが私的にはとてもよかったです。
そもそも、こういった鬱的な病気は、初回の診断であなたは鬱です。といったように診断が下されることはまずありません。
先生も何度もあって様子を見ていかないとなかなか断定はできないんですね。自分は鬱的な傾向はあるかもしれないとは思っていましたが、確実に鬱だともいえず、健康で元気なことも多いし、そもそも本当に私はそんな病気のせいにできるほど苦しんでいるのかなという疑問があったので、いきなり薬を使うのには抵抗がありました。
今回は漢方で、また、即効性の抗不安薬もだして頂きました。
これは一時間間隔をあければ一日複数錠飲むことができるらしいです。

あと、今回漢方に頼ってみようかなと思ったのは月経不順の傾向があり、生理の遅れやPMS?に悩んでいたことも大きかったです。
処方された、加味逍遙散は、女性の月経不順や生理前の落ち込みにも効果があるらしく、自律神経が整うことで、色々な不調を改善していくことができるみたいなので、効果に期待しようと思いました。

そんな感じで、新学期からまた、頑張っていけるように、第三者からの支えを増やしてみました。
自分では甘えなのかよくわからない、我慢する耐性がなさすぎるんじゃないかと責めてしまうことも多くありますが、先生とお話して、ちゃんと第三者が、「確実にストレスがかかっているからそうなるんでしょうね」といってくれたことでやっと、自分はストレスに思っているんだと認めることができて、とても心が軽くなりました。

なんだか長くなってきてしまいましたが、タイトルについて。
「目に見えないものを大事にする。」

学校の先生はよく、「世の中って正解がなくて不確定なものじゃん」と言っていました。言葉としてはもちろんわかるのですが、実際きちんと自分の実体験として腑に落ちているかというと今までは全くそうではなかったなと思います。

そう、世の中は不確定わかるわかる。薄っぺらく頭で理解することはできていたけれど、そこどまりだったなと。
最近やっとわかってきた気がします。

実は私、つい先週までは本気で就活しよう、もう絶対に就職してお金稼いで幸せに暮らすんだってそう思っていました。
このまんまガラスなんか続けてちょっとずつ周りの人に影響されて、どんどんと変人になっていって、普通に働いて生きている人とは話が通じなくなっていくのが嫌だって、そう思っていました。綺麗な会社で汚れ仕事のないデスクワークをして、頭を使う仕事をしてできる人間になりたい。社会的な信頼も得たいし、ちゃんとした人に見られたい。

最近は多くの若者が第三次産業を目指しているのではないかと思います。サラリーマンやOLになって普通に働いて普通に幸せに生きる。それだって、多種多様な人がいるし、必要なことだけど。
なんだろう。銀行員とか正直楽だったなっていまは思っているのです。
もちろん大変なことはあったけれど、やることは決まっていて体を使って汗まみれになる必要もなくて、それなのにお給料ももらえて社会的にも信頼されて。楽で稼げて信用が得られるなら絶対そっちの方がいいじゃないですか。って思っていました。

でもまだできるのかもしれないなと思うのです。

私の目的は幸せに過ごすことです。実際社会人だった時どうでしたか。
それなりに幸せでした。お金を貯めるという目的があってど田舎に勤めてしまったから幸せじゃなかっただけで、遊べる土地で、ちゃんと稼いだお金をそれなりに使って過ごせば幸せになれるんじゃない?
そうかな。 どうかな。 
地元に戻りたいとは今は思わない。地元には友達がいて、多分楽しく過ごすことができるよね。それでもきっと、遊ぶときは楽しいけれどどこか虚しさを感じて生きていたはず。その感覚を思い出したから、戻ったからって幸せになれるとは思えない。

じゃあどうしたらいいんだろう。
私は結局現状維持に満足できなかったからでてきたんだ。

それなのにまた、お金や信頼、楽な方にいっても多分ほんとに幸せにはなれないんじゃないかなと考えた。

正直ライン工の人を舐めているようなところがあったと思う。第一次産業や汗水たらして働かなきゃいけない人たちは、もうそれ以外にできないからこれをするしかなくなっているんじゃないかという浅い、あさましい考えを持っていた。
工事現場なんかで働く人々が私たちの生活を本当に支えてくれているのに。
私たちの生活は、生命保険なんかで支えられているわけではないでしょう?
食材を育てて、獲って、送り出してくれる人たちだとか、本当にためになることをしてくれている人はオフィスにいますか?

極端なのかもしれないけれど、私はそう思った。
実際、社会で賢くて素敵なエリートだと思われている人はそんな汚れ仕事をしないだろう。その人たちは誰に支えられているのか。

そしたらこの世で本当にすごい人ってどこにいるのだろうかと。

そう考えたら、やっぱり資本主義の洗脳というか、私は資本主義と戦っていかなきゃいけないんじゃないかなみたいな考えに至って、そして、汚れ仕事を嫌がってる場合じゃないな。頭を使う仕事をしている人の方がちゃんとしていて、そうでない人はやっぱり教養がない感じがする。なんか合わないな。みたいな見下したような考え方は腐っていたなぁと思える。何か間違っている気はしていたけれど、でも実際見下しているようなところがあって、なにかもやもやしていた。でも私はそんな人の方が実際は尊敬すべき人間であるんじゃないかと思えた。

そう思うと、私はまだ頑張れると思う。それに自分が興味があって、作り出せるものは綺麗なもので。汚れることなんて気にしてないようなふりをしていても、多分そこまでちゃんといけてなかった。どこかでうわーやだなーできるならこんなことしたくないなぁと思っていた。

もっともっと広い視野を持ってみると固定観念に気づけるのかもしれない。

心から反省して、感謝しよう。そして目に見えないことこそ大切にしていこう。所ジョージのような人間になりたいんだ。

今日美輪明宏さんの出演しているREDChairという番組をYouTubeでみた。
美輪さんは小さいころ、銭湯でお偉いさんの貧相な体と、汚らしいと嫌な顔されている労働者のたくましい体をみて、目に見えないところに本当があるというようなことを思ったそうだ。だから、自分が変わっているといわれようと大丈夫だと思っていたらしい。
今回私が言いたかったのは、つまりそういうことなのだ。



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