シモーヌの場合は、あまりにもおばかさん。----ヴェイユ素描----〈14〉

ナチスドイツの傀儡政権であった当時のフランス・ヴィシー政府が打ち出した、対ユダヤ人政策にもとづいて、ヴェイユは教職を追われた。その身の置き所を失った彼女を、一時期自らの農場で預かっていたカトリックの農民哲学者、ギュスターヴ・ティボンは、後に彼女から託されたノートを編さんして出版し、それをきっかけとしてシモーヌ・ヴェイユの名が広く世に知れわたることになる。
 その書物の解題に、ティボンは次のような言

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ヴィシー留学記 あるバーにて(2017.03.10)

金曜日の夜、ヴィシーの小さなバーには多くの男女がいて、彼らは浴びるように酒を飲んでいた。この田舎町では、酒を飲むこと以外に楽しみがない。室内にはマイケルジャクソンやアースウィンド&ファイアーなどの70~80年代の音楽が大音量でかかっていた。色々な人種の若者が、そのビートに合わせ、体をよじらせたり、手を叩いたりしていた。

僕は二人の韓国人の女の子とその場所にいた。彼女たちは酒に弱いくせに、飲み始め

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ヴィシー留学記 シャロルー(2017.3.1)

フランスに来てから、2週間が過ぎた。ヴィシーは北海道に比べて、ずいぶんと温かい。もちろん町の人は「寒い、寒い」と言っている。でも、僕にとってはずいぶんと温かい。

ただ、水曜日にシャロルーに行った日あたりから、天気は急に下り坂になった。長くて細い雨が降り、渦を巻く風が吹き始めた。僕はそのせいで少しだけ体調を崩した。今は、もう一度、自分のリズムを取り戻さなければいけないと思っている。

シャロルーは

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ヴィシー留学記 リヨン(2017.02.26)

リヨンの市街を流れるローン河の水を眺めて、自分は今石堤の下、河原の小砂利を蔽う青草の上に、疲れた体を投倒している。
毎日なにもしないが非常に疲れた。体も心も非常に疲れた。フランスに来てから早や二週間あまりになる。もう旅路の疲れと云う訳でも有るまい・・・。

これは僕の日記ではない。永井荷風の『ふらんす物語』における一節である。僕は残念ながら、今となっては荷風の気持ちを全く理解できない。

リヨンを

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ヴィシー留学記 クレルモン・フェラン(2017.02.22)

ヴィシーに着いてから4日が過ぎた。相変わらず、夜と朝が繰り返し、過ぎ去っている。これは日本でも変わらない。いや、日本だけでなく、世界中のどこでも変わらないことだ。

水曜日の午後、またアクティヴィティでクレルモン・フェランという街を訪問した。ヴィシー散策と同様に、その参加者のほとんどは日本人で、ガイドの説明を高野先生が通訳するスタイルも変わらなかった。僕はフランスで日本語を使うことについて、もう何

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ヴィシー留学記 3日目後編(2017.2.20)

午後も3時半まで授業があった。その後、学校が主催するアクティビティ「ヴィシー散策(visite de Vichy)」に参加した。

参加したのは20人近かったが、そのうちの15人ほどは日本人だった。北星大学の学生がほとんどで、高野先生も同伴されていた。彼らは常に日本語で話していた。僕は出来る限り日本語で話したくないので、ベトナム人のヴァン、ドイツ人のアルベルタ、それから日本人の琴美とフランス語で話

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ヴィシー留学記 3日目前編(2017.02.20)

長い夜が明けた。それでもフランスの朝はなかなか明るくならない。

初日は8時に集合だったので、7時半には家を出た。町に鮮やかな朝日が差し込んでいた。

日本ならば通勤ラッシュの時間だが、この町で起きている人はほとんどいない。静かで、冷たい朝の空気が心地良かった。パン屋だけが朝から活動していた。

学校に着いてしばらくすると、今日からスタートの学生が集まってきた。驚いたことに、そのほとんどは日本の大

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ヴィシー留学記 1日目(2017.2.18)

日本から12時間かけて、フランスに着陸した。
街は朝だったが、夜のように真暗だった。

パリ市内に出ても街は濃い霧に覆れていて、先には何も見えなかった。
たまに見えるのは廃れた露店くらいだ。
これなら札幌の方がよほど豊かだと思った。

空港から駅まで送ってくれた佐渡さんは、フランスに住んでもう15年だという。かつては大学院でフランス文学を専攻していたそうだ。
「自分もフランス文学専攻です」と言うと

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