小鷹研理

110:「水平−垂直|下-上」という二つの軸の交差

小鷹研理の《ボディジェクト指向 #1》は水平に置かれたディスプレイに対して,垂直に鏡が置かれていることも,見る者の認識の混乱を与えている要因となっている感じがする.​​水平に置かれたディスプレイが表示する映像の光を垂直に置かれた鏡が反射して,水平方向に線対称で「向こう側」を付け足す.こちら側で水平に展開されている指の映像が垂直の鏡に反射して,垂直面に水平面の「向こう側」を付け足す.そのとき,水平に

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108:写真の「向こう側」を考える

カメラのシャッターを押して出来上がる写真には,もともと「触覚」はなく「視覚」のみがあった.しかし,デジタルになって「写真」を操作することが当たり前になって「触覚」が入り込んできた.けれど,最終的に写真として提示されるときには,操作の履歴が失われると同時に「触覚」も欠如して,「視覚」のみが写真のサーフェイスを覆っているのではないだろうか.

写真にはもともと「触覚」はないけれど,デジタルになった写真

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107:何かの「ラベル」を剥がしていく

身体と言ってみたところで,何よりもまずそれはオブジェクトのことであり,そのオブジェクトの上に「body」という名の,なにやら特別なラベルが貼られているだけなのだ,と考えてみる(それは,認知科学的の世界では「身体所有感」と呼ばれるような感覚的対象である).そうであるならば,僕たちは誰であれ,その「body」ラベルを首尾よく剥がすことさえできれば,「オブジェクトとしての身体」にアクセすることができるだ

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050:「「幽体離脱の芸術論」の射程距離」と「私」との「内的共鳴」

岐阜に行って,小鷹研究室の「からだは戦場だよ2018Δ(デルタ)───ボディジェクト思考法」を体験して,トークセッション「「幽体離脱の芸術論」の射程距離」を聞いてきた.

トークセッションでアーティストの金井学さんが身体もオブジェクトであり,オブジェクトは差延するということ言っていた.「オブジェクトしての身体」というのは,まさに小鷹研究室が行っていることなのだが,オブジェクトだから「差延」が発生す

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049:私たちの身体は影のマスキングによって「平面に住まう身体」に移譲されて,ひとつのサーフェイスに集約されているのかもしれない

小鷹研理さんの《公認候補》を横から見ると高さが存在している.しかし,その高さは上から見ると消えている.それは,下からの光源としてディスプレイがあるからだろう.ディスプレイが光源となって,光が下から上に向かう.それによって基底のサーフェイスから影が消失する.影とともに高さがなくなり,高さがバラバラな複数のサーフェイスが一つのサーフェイスに集約されていく.そして,集約されたサーフェイスにはモノと映像と

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048:映像のズレが示す身体とまわりくどい感じで結びついた「断層」

小鷹研理の《公認候補》には,至る所にスマートフォンを握った手が映っている.左上のあたりに,スマートフォンと手とが上下にズレているものがある.手のズレはあまり気にならないが,スマートフォンのフチがスパッと上下にズレている.このズレているスマートフォンと手とは物理的にズレているわけではなく,映像として右から2/3のところで上下にズレている.映像のサーフェイスが右から2/3のところで上下にズレている.こ

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047:物理的サーフェイスと仮想的サーフェイスとが互いに組み込み可能な環境

小鷹研理の《公認候補》で,ディスプレイの上に置かれたスマートフォンにスマートフォンを握った手が表示されている.握られたスマートフォンのディスプレイには腕が表示されている.ディスプレイの上のスマートフォンは影を失い,光るサーフェイスの一部のようになっている感じがある.それはモノであることをやめて,映像となったかのように見える.そして,複数のディスプレイには文字通りモノであることをやめたスマートフォン

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