繊細な心は『ガラス細工』のように...
私は昔、ガラス館に行った事があります。
行ったのはその時の一回だけですが、
私はその時の光景を今でも忘れる事が出来ません。
"辺り一面に美しいガラス細工たちがキラキラと輝いている光景"
"ガラスで出来た風鈴がただただ優しい音色を生み出している空間"
心が清らかに、穏やかに、研ぎ澄まされていく。
そんな本当に素敵な空間でした。
あの時の光景をずっと覚えているからこそ、思う事があります。
それは、
「繊細な心ってガラス細工みたいだなぁ」
っという事です。
ガラス細工は本当に綺麗で宝石みたいにキラキラと輝いています。
でもその繊細さゆえに、部分によっては少しの力を入れただけでもすぐに折れてしまうかもしれません。
そしてその折れてしまった部分を完全に元通りに戻すことは出来ません。
(専門の方なら直せると思いますが、今はそのお話は置いておきます)
例え接着剤などでつける事が出来たとしても、折れた部分の跡は残るし、一度折れてもろくなった分、次はもっと少ない力でも簡単に折れてしまいます。
そんな状態の中、
何かの拍子に大きな打撃を受けたのなら
ガラス細工は粉々になってしまうのです。
あんなに美しいのに
なんてもろくて儚いのだろう...。
そんなふうに思います。
それと同じように『繊細な心』は、少しのダメージを受けただけでポキッっと折れてしまいます。
でも人は、その折れてしまった部分を、接着剤でつけ直すかのように、元の姿に戻そうと頑張るのです。
何も知らない人から見たら、前と何ら変わっていない、同じ姿に見えるかもしれません。
でもそれは折れた事実を知らないからであって、その部分には確実に『折れた跡』があります。
本人にしか分からない、心の傷が。
そして『折れてはつけて』を何回も繰り返し、
「頑張ろう」と今まで必死につけ直してきたところは、確実にもろく弱くなっていきます。
気がつけば、あらゆるところに接着剤でつけ直した跡があって、かろうじてその姿を保てている状態になっているかもしれません。
そんなもろくなった状態の中、
大きなダメージが加わった瞬間...
繊細な心は粉々に崩れてしまうのです。
「今まであんなに必死に付け直して頑張ってきたのに...どうして...」
うつ病になった時、私はそう思いました。
でも、違う視点で考えた時、ふと思ったのです。
「私の心が崩れてしまったのは
『繊細なガラス細工』だったからなんだ」
確かに一度壊れてしまったガラス細工は元の姿に戻す事は出来ないのかもしれません。
でも、だからと言って"これで終わり"という訳では決してありません。
元の素材がガラスである限り、もう一度、新しいガラス細工を作ることは出来ます。
それに、例え壊れたままだったとしても、
すぐには新しいものを作れなかったとしても、
『美しい』という事実に決して変わりはありません。
『美しいガラス』は『美しいガラス』のままなのです。
繊細な心を持っている人がこの世の中にどれだけいるでしょうか?
私は決して多くないと思っています。
小さな事にも感動出来たり、
ささいな事からも喜びや幸せを感じられたり、
そんな心を「本当に綺麗だな」っと思います。
だからこそ、
自分が『繊細な心』を持って生まれてきた事を誇りに思っても良いのではないか
っと私は思いました。
だってその心は、
ガラス細工のようにとても美しいのですから。
自分の中にある『繊細な心』を
これからも大切に、そしてそれを誇りに思いながら歩んでいけたらいいなっと思っています。
そして、皆さまの『繊細で美しい心』を垣間見る事ができるnoteを、これからも大切にしていきたいです。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。✨🌷✨
うつ病により自宅療養をしているため、サポート頂けましたらとても嬉しく、そしてとても励みになります。