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エッセイ

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書きながら考える。深みのあることを書きたい。
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【エッセイ】認識について

【エッセイ】認識について

 今、同じ場所で、私が見ている赤いコップと、あなたが見ている赤いコップは、本当に同じ色だろうか。
 対象の色を言葉でこれは「赤」と決めてしまっているから、同じ対象であると通じるのではないか。人それぞれの知覚に若干の個人差はあっても。この色の特定のように、認識とはある程度の幅のあるパターン(ルール)で人間の見方をくくっていることだと思う。言葉で。人の間の中での認識を。だから、同じ対象を他人と共有する

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【エッセイ】私の哲学観、私の生き方

【エッセイ】私の哲学観、私の生き方

「分からないけど、分かりたい」

 私にとっての哲学はそういう存在。現象の根源へ。分からないからといって投げ出さず、分りたいという好奇心をかき立てられるもの。私の興味の趣くままに。分かったような氣になることもある。だが、それはあくまでも仮固定。最終的な結論ではない。それだけ、哲学は奥が深い。いつも未知の謎が残る。哲学にも流行がある。そのときは流行っていても、時代とともに廃れることがある。それでも、

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【エッセイ】好きと嫌いと幸せと

【エッセイ】好きと嫌いと幸せと

 人は生まれたからには生きなければならない。せっかく生きるのだから、充実して生き生きとした生活を送りたい。自分は何に喜びを感じるのか。それをどう生活に生かすのか。

 やりたいことが出来れば良いのだが、それが定まっていないことがある。趣味と仕事を分けて考えることはよくある。仕事と趣味が同じなのが理想ではある。だが、趣味を仕事にすると、楽しめなくなることもある。喜んでいたことを仕事にすると、それが苦

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【エッセイ】愛のことを

【エッセイ】愛のことを

 愛とは元氣づけることだと思います。自他共に対して。
 例えば、恋人が風邪を引いたとします。恋人の風邪は自分の愛で治るわけではなく、やはり風邪薬で治します。ただ、その恋人の看病や身の回りの世話をして元氣づけることはできます。これが愛と呼ばれることではないでしょうか。看病して恋人が元氣になっていく姿を目の当たりにすると自分も嬉しい。

 こんな話もあります。マザー・テレサの「死を待つ人の家」の住人達

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